「居場所のない人のために」 柳美里さんが紡ぐ物語

「居場所のない人のために」 柳美里さんが紡ぐ物語
「居場所のない人のために書く。魂の避難所になりうるような物語を作りたい」
アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」の翻訳文学部門を受賞した、柳美里さんのことばです。人に寄り添う物語を書き続けてきた柳さん。そのことばから見えてきた、物語に込める思いとは。(科学文化部記者 富田良)

「あなたの話を聞きたい」

「取材ということばが、やっぱ暴力的なことばなんですよね」

「取材」を始めてほどなく、「作品を書くに当たり、どういう思いで取材をしたのか」と問いかけに対し、柳美里さんが口にしたことばです。
柳さん
「『取材』という文字は材料を取るというように書く。こういう材料を取りたいんだというように接してしまうとそれは伝わるのではないか。だから材料を取るのではなくて、あなたのことを知りたい、あなたの話を聞きたいという気持ちを持って聞くということに尽きるのではないかな」
平成9年に芥川賞を受賞し、その後も話題作を次々と発表している小説家の柳さん。東日本大震災をきっかけに南相馬市に移住し、現地で書店を営みながら執筆活動を続けています。
「あなたのことを知りたいという気持ちを持って聞く」
このことばを体現した作品が、全米図書賞の受賞作、『JR上野駅公園口』です。

東京オリンピックの前の年に集団就職で上京して家族のために働き続けたものの、息子と妻に先立たれたことで人生に絶望し、上野公園で路上生活者、いわゆるホームレスとして生活するようになった南相馬出身の男性を主人公とした物語。

柳さんはこの作品を描くにあたり、上野公園で生活する人たちに話を聞いて回りました。

「ある人」に「ない人」のことは分からない

柳さんが上野公園に通ったのは14年前。今月改めて足を運んだ柳さんに、その印象を尋ねました。
柳さん
「駅の入り口も変わったし、駅を背にして眺めた時の風景も変わりました。ことし行われるはずだったオリンピックに合わせて、きれいにしたんだなと思います」
駅の外装や歩道はきれいに舗装され、当時とはまるで違う景色となったという柳さん。しかし、しばらく園内を歩いた後、「見えないもの」の存在に言及しました。
柳さん
「『きれいになった』って言ったんですけど、きれいに見せたいところだけに目を向けていれば見えないと思います。けれどもよく歩くと見えるものもあります。意図があって見せられていないものや聞こえないもの、それはその方々が沈黙しているからです」
その人たちとは、作品で描いたホームレスの人たちです。

「あなたのことを知りたい、話を聞きたいという気持ちを持って話を聞くことに尽きる」
この思いで彼らの話に耳を傾けた柳さん。
その中で、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多いことを知り、それが『JR上野駅公園口』の作品の礎となったのです。
柳さんは、そのときに聞いたある男性のことばが忘れられないといいます。
柳さん
「会話の中でふっと間ができた時に、こう(両手で三角と直線を描く)示して、『あなたにはあるでしょ、でも自分たちにはない』。それは屋根があって塀がある、家のことです。『ある人にない人のことは分からない』というふうに言われました。体だけが覆われるような場所で寝泊まりしたい人は誰もいない。でも何らかの事情をもってそうせざるをえない。その苦しみや痛みや悲しみは分からないわけですよね。けれど分からない痛みがある自分には、その痛みをよりどころにしていくしかないと思うんです。なぜここにたどりついたのか、『JR上野駅公園口』は彼らの小さい時からを一歩一歩たどった小説です」

本は「魂の避難所」

『居場所のない人の物語』
これは柳さんの作品に共通するテーマです。その背景には自身の生い立ちがあるといいます。

在日韓国人の柳さんは、幼い頃から両親の仲が悪く、学校でもいじめを受け、家にも学校にも居場所はありませんでした。

そんな時に支えとなったのが本の物語だったのです。
柳さん
「逃げ場のないときに、本の扉を開いて別の世界に魂を避難させていた。だから本は魂の避難所だと思うんです。それで自分の本を書くということを仕事に選んだときに、居場所のない人のために書く。魂の避難所になりうるような物語を作りたいと思いました」
当時読んでいたのは太宰治や上田秋成、ドストエフスキーなどのハッピーエンドではない物語だったと振り返る柳さん。

その理由を独特の表現で説明してくれました。
柳さん
「悲しみを自分だけで抱えていると悲しみの水位が増していって、自分の悲しみで溺れてしまうという瞬間が誰しもあるのではないか。そのときに悲しい物語を読んで他者の悲しみに触れることによって、どこか自分の悲しみが触れて慰められるというような作用があるのではないかと思いますね。悲しい物語を読むことによって悲しみを流すことができる。今流行している歌でも『頑張ろう』とか『くよくよするな』とか、明るい方向に促す歌詞が多いですけど、悲しみは生きていく上で大事だと思います。それを否定しないで大事に抱えて生きていく。物語はそのための器です」

「私の物語」から「おらほの物語」に

さらに今回の作品を書くにあたって欠かせない存在となったのは、柳さんが現在生活している南相馬の人たちでした。

震災からおよそ1か月後、当時住んでいた神奈川県鎌倉市から福島へ通う日々が始まり、翌年には南相馬にできた臨時の災害放送局でパーソナリティーに。

さらに2015年には移住を決めました。

「居場所のない人の物語」を書き続けてきた柳さんにとって、当時の行動は必然だったと振り返ります。
柳さん
「震災と原発事故が起きて、着の身着のままで荷物、家財をそのままにして各地を転々としていたわけですよね。それを見た時に、考えるよりも前に行動する時がきたと思って、とにかく南相馬の原発周辺地域に赴いたんです。そこで臨時災害ラジオをやらないかという要請に応える形で始めたんですけども、そこで私が行動しなければ矛盾するんじゃないか、自分の書いてきたことや言ってきたことを裏切ることになるんじゃないかと思ったんですね」
6年間にわたっておよそ600人から「3・11」の記憶を聞き取ってきた柳さん。その時に聞いたことばが、作品づくりに変化を及ぼしました。
柳さん
「出会った人が自分の中に流れ込んでいったときに、自分がほどけていくのを感じたんですね。自分という垣根が取り払われていろんな人が流れこんできて、そこで自分を編み直せると思った。これまでの作品は自分を始点として他者に向かうというふうに考えていたんだけれど、他者を始点として自分に向かったり、他者に向かったりという物語を書いてみたくなった。ですから、『JR上野駅公園口』は、ある意味で自分の物語を書くように、他者である彼(主人公)の物語を書きました」
柳さんは、震災前は自分自身の体験や周囲に起こった出来事を表現することが多かったといいます。

それが震災を経て「他者」の視点を取り込み、『JR上野駅公園口』が生まれました。

全米図書賞の受賞後に南相馬の人たちが口々に「おらほ(自分たち)の物語」と言って喜んでいたのは、自分たちのことばや思いを柳さんがしっかりと受けとめて、物語として紡がれていたからでした。

人を助けるためにことばを紡ぐ

柳さんの作品は、ハッピーエンドではなく、読んで明るい気持ちになれる物語ではないかもしれません。ただ、人の悲しみや痛みに寄り添い、「どんな悲惨な苦しく悲しい人生でも、人生は生きるに値する」というメッセージが込められています。

柳さんとの会話の端々から、今も「ことばの暴力性」と向き合いながら人を助けるためにことばを紡ごうとする、小説家としての強い信念が伝わってきました。

その思いが作品を通して伝わっているからこそ、コロナ禍で苦しい状況に置かれる人が増える中で、柳さんの作品が日本で、そして世界で求められているのかもしれません。
科学文化部記者
富田良