「歓喜の歌」は聞こえるか…

「歓喜の歌」は聞こえるか…
この時期になると、街なかでよく耳にする「第9」のメロディーライン。大合唱で迎えるラストは、クラシックに詳しくなくても誰もが聞いたことがあるはずです。コロナ禍のことし、年末の風物詩ともいえるあの歌声は聞こえてくるのでしょうか?
(ネットワーク報道部記者 小倉真依 秋元宏美)

「歓喜の歌」が歌えない

「第9」はベートーベンの交響曲第9番のこと。
特に第4楽章で合唱される「歓喜の歌」は人気が高く、プロ・アマ問わずたくさんの人が歌い継いでいます。

ベートーベン生誕250年のことし、各地でイベントが予定されていましたが新型コロナの影響で中止や規模の縮小が相次ぎ、年末の楽しみを我慢するしかないという人も少なくありません。

その1人に話を聞くことができました。
都内に住む山田尚幸さん(60)です。
大学生のとき合唱団に入ったのをきっかけに第9を歌いはじめ、これまでに20回近く演奏会で歌い続けています。

第9の魅力を単刀直入に聞くと、願いが込められた歌詞にあると教えてくれました。山田さんお気に入りの歌詞は「百万の人びとよ、抱き合え!このくちづけを全世界に!」という部分。
山田尚幸さん
「宗教や信条を問わず誰もが共感でき、平和を願う気持ちが込められていると思います。初心者からベテランまでレベルは違うけれど、仲間たちと何回も練習して1つの音になってくると一体感がうまれて感動するし、それぞれの達成感を求めて取り組んでいます。1年の締めくくりに歌ってみたい、世界の平和への想いを考えてみたいということでしょうか」
ファミリーコンサートを開くほど、音楽好きの山田さん。ことしも第9を歌いたいという気持ちはありますが、いまは感染リスクを考えて合唱への参加は控え、自宅で1人歌の練習をしているといいます。
山田さん
「大勢集まって歌わないといけないので、どうしても密になってしまいます。年末にみんなで第9を合唱できないのはとても残念ですが、我慢するしかないですね」

ことしは見送りに…

個人だけでなく、多くの人たちによって支えられてきた地域の合唱団も第9の演奏会の見送りを余儀なくされています。

神奈川県横須賀市の劇場では地元の市民を中心に総勢300人ほどが参加して20年以上にわたって演奏会を行ってきました。しかし、オーケストラや合唱団が練習できない状況が続いたことや舞台上で参加者どうしの距離をとるのが難しいことから、12月13日に予定していたことしの開催を見送りました。
劇場の担当者
「参加者を減らすというのもあるかもしれませんが、プロとは違いアマチュアだとひとりひとりの声量が小さいのである程度の人数は必要ですし、本来、市民みんなで一緒にやろうという開催の趣旨からもずれてしまいます」
およそ1700席のホールは毎回、満席だったということで、多くの市民に愛されてきたイベントの見送りは苦渋の判断だったといいます。
劇場の担当者
「毎年参加している人からは残念だという声もありましたが、高齢者も多く家族から参加をとめられたという人もいたようです。コロナ禍なので感染のリスクを考えると見送らざるをえませんでした」

合唱の火を絶やさない

今年は合唱を見送る人たちが相次ぐ一方、悩みながらも歌う決断をした人たちも。

『コロナに負けるな!トライアル公演「未来へ繋ぐコンサート」』
今月、和歌山県で開かれたコンサートのタイトルです。
主催は第9を歌うために作られた「和歌山県第九合唱団」。
地元の人たちが中心ですが、プロのオーケストラを招く本格的な合唱団で、1972年から50年近く、第9を歌い続けています。

しかし、コロナ禍のことしはさまざまな事情を考慮して第9の公演を中止せざるをえませんでした。それでも、何か違う形で次の時代につなげたいと例年とは違う形でのコンサートに挑戦することを決めました。

本来は第4楽章で大合唱となりクライマックスを迎えます。しかし今回は最も有名な、喜びを声高らかに歌い上げる部分のみを合唱することとしました。
20人あまりの団員が集まり、11月から練習を開始しました。練習会場では検温や消毒などのほか団員どうしの距離を取り、冬でも練習場の窓を常に開けた状態にして上着を着て歌うようにしていました。

さらに練習時間も大幅に短縮し、発声練習も行わないなどできる限りの対策を行っていましたが、さまざまな不安から辞退するメンバーもいたといいます。

それでも「合唱の火を絶やさない」という思いを胸に本番を迎えました。
25年以上にわたり指揮をしてきた高瀬優佳さん
「コロナ禍の中で、誰もが心の葛藤があり、不安もあります。でも、1年間いろいろあったけれど、ことしもここで第9を歌えたというように1人1人の人生が詰まっていて、みんなで1つになって歌えることが魅力です。毎年歌ってきたから、開催してきたからという気持ちではなく、人々が大変な思いや努力をしている中で“歌い継いでいきたい”という気持ちでした。最後はアンコールが起き、再び披露しました。会場も手拍子で1つになることができ、本当にすばらしい時間でした」

世界最大級の第9は…

例年とは異なる方法で開催された第9イベントもあります。

大阪の大阪城ホールで毎年12月に開催されている「サントリー1万人の第九」。30年以上にわたって続くイベントは抽選で選ばれた一般参加の観客も参加して、1万人規模で高らかに歌い上げます。
阪神・淡路大震災や東日本大震災の年にも、“こんな苦しい時だからこそみんなで歌い合おう”という思いで歌い継がれてきたとして、ことしも12月6日に開催しました。

ことしは1000人規模で行う予定でしたが、大阪府では11月末になって新型コロナの感染が急激に拡大したため、初めて無観客での開催を決めました。

一方、自宅などで歌う様子を撮影した動画を募集し、当日3台の大型スクリーンに国内外の1万人の参加者から集まった動画を映し出して会場のプロの合唱団と一緒に歌う初めての形をとり、公演を成功させました。
「サントリー1万人の第九」田淵伸一事務局長
「第9の歌詞(ベートーベンが込めた思い)の中で特に重要なメッセージは『苦難の先に歓喜が待っている。結束して乗り越えていこう』というものです。合唱=3密なので慎むべきものという考えになりますが、コロナが人と人の絆や社会を分断し続ける今こそ第9のメッセージが必要ではないかという思いから、従来とは異なるデジタル上の結束という形での開催を考えました」

あらゆる努力で演奏を

これから第9の演奏会を開く予定のプロのオーケストラでは、徹底した対策で準備を進めています。

毎年、年末に東京・渋谷のNHKホールで第9の演奏会を続けてきたNHK交響楽団の担当者に話を聞きました。
NHK交響楽団の担当者
「公演では合唱団の人数は例年100人ですが、ことしは40人まで減らしました。練習中もマスクを着けて歌うことにしています」
ステージでは合唱団は左右1メートル、前後2メートルの間隔をとって交互に並び、飛まつがかかるのを防ぐようにします。

さらに、オーケストラの最後尾と合唱団の最前列までの距離を2メートル以上あけ、間には飛まつ防止のためアクリル板を設置することにしています。

交響曲第9番の演奏時間は1時間を超えることが多く、合唱が始まるのは4つの楽章の最後です。合唱団は通常、第1楽章からスタンバイしていますが、感染対策としてステージにあがるのは第3楽章からとしました。

例年、ファンで満席のNHKホールの会場も、今回ばかりは半分の1500人程度にとどめることを決めました。
NHK交響楽団の担当者
「第9は長年にわたって演奏してきた曲で、NHK交響楽団の存在の根幹にあたるレパートリーとなっていて、年末の風物詩として楽しみにしている人が多いんです。開催にあたっては関係者と議論を重ねて、専門家の助言も受けながら感染リスクを減らすためのあらゆる努力をして演奏することを決めました。コロナ禍での第9は聞く人を勇気づけられると思うので、ぜひ楽しんでもらいたいです」

コロナ禍の合唱 マスクと換気

年末の風物詩を楽しみたい。

とはいえ気になるのは合唱と感染のリスクです。
では、私たちが歌うにあたってはどのような感染対策が必要なのでしょうか。

理化学研究所のチームリーダーで神戸大学の坪倉誠教授は、室内で合唱した場合の飛まつなどの予測をスーパーコンピューター「富岳」を使って計算しました。

その結果、大きな声で歌を歌うと普通の会話の約3倍にあたる約2万5000個(/分)の飛まつやエアロゾルと呼ばれる小さな飛まつが発生することがわかりました。
換気機能の備わったコンサートホールを想定した実験の結果、人数を減らして前後の列が重ならないよう配置したり、2メートルの十分な間隔を開けたりすることで、後列の人の飛まつが前列の人の頭部にかかるリスクが下がるとしています。

一方で、密度が下がると上昇気流が弱くなり、エアロゾルは滞留しやすくなるリスクがあることも分かりました。
坪倉教授は合唱時の安全性を保障するものではないと指摘したうえで、全員がマウスガードなどを着用することで前方への飛まつの流れを抑えられるとしています。

こうした結果から、合唱する際には可能なかぎりマスクを着用し適切な距離を取るなど、複数の対策を講じるよう呼びかけています。
理化学研究所チームリーダー・神戸大学教授 坪倉誠氏
「合唱による感染リスクを完全になくすことはできませんが、できるかぎりマウスガードより効果が高いマスクを着用し、適切な距離を保つよう心がけてほしいです。また、エアロゾルと飛まつ両方の対策にはマスクと換気の両方が重要になります。合唱にあたっては各種のガイドラインも参考にしてください」