コメディアン 小松政夫さん死去

「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌で人気を集め「小松の親分」の愛称で知られたコメディアンの小松政夫さんが今月7日、肝細胞がんのため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。

小松さんは福岡市の出身で、昭和39年に当時、国民的人気だったコメディアンの植木等さんの付き人として芸能界入りし、テレビ番組や舞台で演じたひょうきんなキャラクターや持ち前のギャグで一躍人気者となりました。

中でも、伊東四朗さんとのコンビで出演したコント番組で演じた「小松の親分」は、小松さんを代表するキャラクターとなり、番組の中で披露した「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌が大ヒットしました。

また、イッセー尾形さんとの即興の二人芝居など舞台での活動も精力的に行ったほか、植木等さんとの師弟関係を描いた自伝的長編小説「のぼせもんやけん」は平成29年に原案としてNHKでドラマ化されています。

小松さんは去年11月に肝細胞がんが見つかり、治療を受けながら最近まで仕事を続けていましたが、先月14日から入院し、今月7日、都内の病院で肝細胞がんのため亡くなりました。

78歳でした。

葬儀は親族のみで11日執り行ったということです。

伊東四朗さん「俺より先に逝くなんて」

コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、コント番組にコンビで出演していた俳優の伊東四朗さんは「俺より先に逝くなんて馬鹿野郎。会いたかった」と、所属事務所を通じてコメントを発表しました。

イッセー尾形さん「どんな無茶ぶりも受けとめ笑いに」

コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、小松さんとの二人芝居で共演した俳優のイッセー尾形さんは「突然の訃報にただただ驚いています。きっと元気でやっておられるとばっかり思ってました。楽しい舞台をご一緒させていただきました。笑いの渦と真剣な汗が目に焼きついています。こう言うと、ますます信じられませんが…とにかく小松さんの包容力に甘えての舞台でした。どんな無茶ぶりでも受けとめて大きな笑いを劇場に巻き起こしたものです。ここで型どおりを言わなければならないなんて。残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。やすらかにお休みください。おつかれさまでした」と、コメントを寄せました。

出身地 福岡では悼む声

コメディアンの小松政夫さんが生まれ育った福岡市博多区の商店街では、小松さんの死を悼む声が聞かれました。

買い物に訪れていた女性は「テレビの中ではふざけていますが、とても温かく、芯は優しい人という感じがありました。亡くなってさみしいです」と話していました。

商店街で働く女性は「この近く出身で、山笠のときにははっぴを着ているのを見かけていたのでさみしいです。山笠やどんたくが再開するのを見守っていてください」と話していました。

小松さんが働いていた和菓子店副社長「大変お世話になりました」

小松政夫さんが高校生のころに住み込みで働いていた福岡市博多区の和菓子店の石村慎悟副社長は「とてもびっくりしています。2代目の社長にあたる祖父が小松さんをかわいがっていて、店の2階に住んで働いていました。上京したあとも気にしてくださっていて、福岡に来られたときは『元気にしとお?』と博多弁で話しかけてくださって励ましていただきました。大変お世話になりました」と話していました。

うどん店 店主「律儀な方でした」

福岡市博多区にある創業138年のうどん店、「かろのうろん」の店主、瓜生高康さんによりますと、小松さんは子どものころ、店の近くに住んでいて、瓜生さんの父親と幼なじみだったということです。

店内には、小松さんがうどんを食べる写真や瓜生さん親子と撮った写真、それに小松さんの似顔絵とともに代表的なギャグが印刷された手ぬぐいなどが飾られています。

小松さんが最後に店を訪れたのは去年の山笠の時期で、いつも好んで食べていた、ごぼうの天ぷらと魚のすり身の天ぷらが入った「ごぼうまる天うどん」を注文したということです。

瓜生さんは小松さんについて「父が亡くなったときも線香あげさせてくれと、黙って仏壇の前で涙を流してくれました。それ以来、ずっと来ていただいていて、律儀な方でした。ほんとうにさみしい気持ちでいまでも『帰ってきたよ』と現れる感じがします」と話していました。