忘れてはならない ~世界で続く北朝鮮の拉致問題~

忘れてはならない ~世界で続く北朝鮮の拉致問題~
北朝鮮による拉致は世界で行われていたーーー

日本の被害者や家族たちに、いまも言いようのない苦しみを与え続けている北朝鮮による拉致。実は、日本だけでなく、少なくとも11の国と地域の出身者が拉致されたと見られている。世界でどれほどの広がりで行われていたのか全体像は明らかになっていない。

拉致が世界に拡大した1970年代後半に北朝鮮で何があったのか。世界の被害者家族たちは手がかりのない中で、どのような時を過ごしてきたのか。タイの農村でおばの帰国を待つある男性を取材した。
(アジア総局 内田敢)

時が止まった部屋

その部屋では、時が止まったかのようだった。

タイ北部の中核都市チェンマイから車で40分ほど郊外に向かった木造家屋。42年前に突如、失踪したアノーチャー・パンチョイさんの実家だ。救出活動を行っている、おいのバンジョン・パンチョイさん(51)の案内で部屋に入った。
目に付いたのは、アノーチャーさんが家族のためにバンコクで買ってきたお土産や当時着ていた服。保存状態がよく、ブラウスやスカートのデザインは今でも通じるセンスだ。
「アノーチャーを連れて帰るときに、これらの服を持って行って見せようと思っています」
幼い頃からアノーチャーさんを姉のように慕ってきたバンジョンさんは言う。
「部屋の掃除はいつもしています。いつ帰って来てもいいように…」

女性3人が同じ日に失踪

アノーチャーさんが失踪したのは、23歳だった1978年。出稼ぎ先のマカオ(当時ポルトガル領)で、ある日、同居していた友人に「美容院に行く」と言って家を出たまま戻らなかったという。

マカオでは同じ日、ほかに女性2人が行方不明となり、地元紙も大きく報道。

「事件に巻き込まれたのではないか」

バンジョンさん家族はそう考えたものの、手がかりはほとんど得られなかった。

ジェンキンスさんの「情報」

それから20年以上たって、事態は大きく展開する。

2002年、小泉純一郎総理大臣と北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記(いずれも当時)による首脳会談で、北朝鮮は長年否定してきた日本人の拉致を認めて謝罪。日本人拉致被害者の5人が帰国を果たした。
2年後には、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんが、娘の美花さん、ブリンダさんとともに日本の地を踏んだ。そして、ジェンキンスさんが持ち帰った情報に、次のようなものが含まれていた。

「ピョンヤンに、北朝鮮に拉致された“アノーチェ”という名前のタイ人女性がいた」
ジェンキンスさんが提供した写真だ。
ビーチにいる曽我さん一家の後ろには、当時交流があったというアノーチャーさんと見られる人物の姿が写っていた。

立ちはだかる「壁」

なぜ、北朝鮮にいるのか。

バンジョンさんは、アノーチャーさんの兄でもある父親とともに、救出活動を始めた。2人の熱意に動かされた地元の郡長は、役場に残る30年近く前の書類を照会。ジェンキンスさんがもたらした“アノーチェ”の情報と突き合わせ、写真の女性がアノーチャーさんだと認定した。

それでも、事態はなかなか進展しなかった。
理由の1つが、タイ政府を突き動かす関心と共感が社会に広がらなかったことだ。
バンジョンさんたちの活動を長年、支えてきたタマサート大学のワリントン元教授は「タイでは、失踪や行方不明という事案が頻繁に起きている。外国に出稼ぎに行った女性の話となると、なおさら関心は集まらない」と指摘する。

もう1つ、背景にあると見られるのが、タイと北朝鮮の「特別な関係」だ。
コメの生産大国で、かつて世界最大の輸出量を誇ったタイにとって、北朝鮮は重要な輸出先となっていた。

そうした経済的な結びつきもあり「タイ政府は、1人の拉致被害者のために北朝鮮との関係を損ねるリスクを負うことを望まなかったのだろう」とワリントン元教授は見ている。

なぜ拉致されたのか

北朝鮮はなぜ、そのような関係にあるタイの人を拉致したのか。
背景には北朝鮮での権力継承があったと、複数の元工作員がインタビューや著書で証言している。
それらによると、キム・イルソン(金日成)主席は1974年、後継を息子のキム・ジョンイル氏に定め、責任あるポストを任せるようになった。

その1つが、朝鮮労働党の対南工作部門だった。
そしてジョンイル氏は権力掌握に向け、部門のそれまでの実績を全否定。工作員の養成を徹底して行うとして、世界各地から人を連れてきて教育にあたらせるよう指示したという。
南山大学の平岩俊司教授は、次のように指摘する。
南山大学 平岩俊司教授
「北朝鮮が工作活動を活発化させるにあたって、工作員の教育、あるいは工作について手助けさせるため、拉致した人たちを利用しようとした可能性はある。東南アジア、ヨーロッパ、中東など、おそらく世界中で活動空間があるだろうから、その土地の状況や情報を収集する目的があったかもしれない」
こうした北朝鮮の戦略の一環として、タイ人のアノーチャーさんも拉致された可能性が高いと言う。

日本人も支援

アノーチャーさんの救出に向け長年、声を上げてきたバンジョンさんには、心強い日本人の支援者がいる。現地に20年以上住む、海老原智治さんだ。
言語の研究を目的にタイの農村社会を回り、チェンマイの大学で講義をしていたこともある。タイに何か恩返しができたらと考えていたときに飛び込んできたのが、アノーチャーさんの拉致問題だったという。

強烈な使命感を覚えた海老原さんは、バンジョンさんたちのために日本のNGOやメディアが発信する情報を伝えたり、日本政府が定める「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」(12月10日~16日)にあわせて、バンジョンさんの訪日をサポートしたり、タイ政府や議会への働きかけを支援したりしてきた。

中央の政治家との間にいまも距離を感じるという農村出身のバンジョンさんにとって、どれほど大きな支えになったかは想像に難くない。

期待された外交的アプローチ

海老原さんの支援もあり、バンジョンさんは2006年と2007年、当時の外相との面会にこぎ着けた。

そしてタイ政府は北朝鮮とのパイプを生かし、行方不明者を捜索するための共同作業部会の設置を呼びかけるなど、当初は積極的な働きかけを行った。
しかし、北朝鮮側から前向きな回答はなかった。タイ国内でも、クーデターなどの政変がたびたび発生。政権が変わるたびに北朝鮮との交渉が振り出しに戻り、外交ルートでの働きかけは、いつしか停滞してしまった。

忘れてはならない

バンジョンさんの父親は5年前、アノーチャーさんとの再会を果たせないまま、病気で亡くなった。先の見えない救出活動を続けていくため、バンジョンさんはことし、27歳の娘ニローボンさんに協力を求めた。
「アノーチャーは私たちの家族だ。もし今後、自分が活動できなくなったら、代わりに活動を続けてほしい」
父親の切実な願いに、ニローボンさんもうなずいた。

アノーチャーさんの失踪から、すでに42年。止まった時が動き始めるのは、いつになるのだろうか。

世界各地でいまも苦しんでいる人たちがいることを、決して忘れてはならない。
アジア総局CP 内田敢
2000年入局
国際番組部などを経て
2020年から現職
デジタル通貨など取材
趣味はトレッキング