ありのままの自分で~きつ音と僕~

ありのままの自分で~きつ音と僕~
僕の名前は数村純平。14歳から「吃音(きつおん)」に悩み続けてきた大学4年生です。人としゃべろうとすると緊張して言葉が詰まってしまう。人と話すのが怖くなり不登校にもなりました。一時は「生きるのが嫌だ」とさえ思った僕が、今、「言葉が詰まってもいいんだ」と思えるようになっています。そして、子どもを支える仕事に就きたいと思うようになりました。そこには、ある教室との出会いがありました。
(神戸放送局ディレクター 真崎俊介)

きつ音を治さない「大阪吃音教室」

僕が5年前から通っているきつ音の人たちの自助グループ「大阪吃音(きつおん)教室」。

集まりは週に1度、金曜日の夕方。

関西だけでなく全国から20人以上が参加します。

話し言葉が滑らかに出ないきつ音。

100人に1人いるとされ、確かな治療法もないといいます。
この教室では、きつ音を治すことにはこだわりません。

「あなたはあなたのままでいい」。

きつ音の自分を肯定して生きることを目指します。

カリキュラムも独特。

自分のきつ音に名前をつけてキャラクター化したり、きつ音を周囲の人に受け入れてもらえてうれしかった経験を披露し合ったりなど、きつ音を客観的・肯定的に捉えるためのトレーニングを行います。

ちょっとふだんの教室の様子を動画で聞いてください。
「今でも平気で どどど どもるから」
「相手の気持ちがよく分かる ににに 人間になれたことが」
「ひとりで ささささ 寂しいなって時は」
きつ音を隠すことなく話す人たち。

僕も最初はびっくりしました。

きつ音は治さなくちゃいけないものじゃないの?
恥ずかしいものじゃないの?

だって、僕はずっとそう思って生きてきたのだから…。

きつ音でひきこもりになった僕

以前からしゃべるときに詰まることがあるなと思っていたけど、きつ音だと強く意識したのは14歳の時。

授業中に発言を求められて、最初の言葉が出てこなかった。

友達と一緒に帰るときにも雑談がうまくできない。

「なんで自分だけちゃんと声が出ないのかな」
「世界中で自分だけがこういう症状があるのかな」

最初は戸惑いしかありませんでした。

そして、「恥ずかしい」「かっこ悪い」という思いが芽生えていきました。

次第に人と話すことが怖くなり、学校に行くことができなくなりました。

以来4年の間、ひきこもりに。

「人と普通に話せない自分」。

きつ音であるということを自分の中で認めることができませんでした。

悩むあまり「生きるのが嫌」だとさえ思い詰めました。

“親には分かってもらえない”

親には相談しませんでした。

もちろん先生にも。

苦しい思いを打ち明けることのできた大人は一人もいませんでした。

母とは家にいるとどうしても顔を合わせます。

母も僕のしゃべり方からきつ音だと分かっていたと思います。

でも母は、なんとか僕を学校に行かせようと促します。

そんな母の姿を見て、きつ音の僕を責めているように感じていました。

家の中で、お互いにきつ音のことはまったく話しませんでした。

「母に話したってどうせ僕の苦しい気持ちは分かってもらえない」そう思っていました。

僕は母の顔を見るのが嫌で、別のところに住みたいとさえ思っていました。

4年間の苦しく孤独なひきこもり生活。

18歳になった時、ふと思いました。

きつ音の事実に背を向けたままでは何も変わらない…。

きちんと向き合おうと、ネットで偶然「大阪吃音教室」を知り、通うことにしました。

「大阪吃音教室」で変わった

「大阪吃音教室」に通うようになって、きつ音に対する思いが少しずつ変化していきました。

何よりも、きつ音を抱えながら社会で立派に仕事をして生活している人にたくさん出会えたことが大きいです。

営業の仕事に就いている人や弁護士、学校の先生など。

みんな明るい表情で、言葉に詰まりながらも自分の状況について話します。

共通しているのはみんな、きつ音の自分を肯定して生きているということ。

聞いていると、他のみんなもこの教室に来る前は、きつ音を隠すため、人と関わらないように生きていたといいます。
教室の運営メンバーの藤岡千恵さんもその一人。

ずっと人と関わることを避け、仕事を転々としてきました。

そして、29歳の時、言葉が詰まるのではないかという恐怖が募り、心療内科で不安神経症と診断されたといいます。

でもこの教室に来て、「詰まってもいいんだ」と気づき、今では「言葉に詰まることを恐れず、話したいことを話す」といいます。

そうして再就職もできました。

今の彼女の思いを動画で聞いてください。
藤岡 千恵さん
「今自分が機嫌良くというか生きていられるのは、きつ音があったから。ここに来られたと思うと(きつ音が)あって良かったと思っています」

将来の夢「苦しむ子どもを支えたい」

ここに通ううちに、僕も次第に、不登校などで苦しんでいる子どもを支える仕事をしたいと思うようになりました。

僕自身不登校になったので、そういう経験がきっと生きると考えたのです。
大学にも高校卒業認定試験を受けて合格。

教職の免許をとるコースも履修しています。

この日、「大阪吃音教室」で1分間スピーチの順番が回ってきました。

僕は初めて、みんなの前で自分から将来の夢について語りました。

ちょっと聞いてください。
数村 純平さん
「きつ音があるからっていう理由で仕事ができないっていう思い込みがあったんですけど、現実にはそういうことはないなって感じていて。今僕は学校の先生とか保育者とかを目指していて話すことが多い仕事に就こうかなって思っているんですけど」
この日の教室終了後、僕と同じ大学4年生の男性が声をかけてくれました。
教室に通う男性
「俺は営業の仕事をするつもりだけど、数村君がさっきのスピーチで学校の先生とか目指すと聞いて、大変やと思うけど、応援するよ」
自分は一人じゃないと思えた瞬間でした。

他の人の前でも正々堂々と、言葉に詰まっても話したいと勇気がわいてきました。

母と初めてきつ音について話をした

僕には、子どもと関わる仕事を目指すうえで、話をしておきたい人がいました。

母です。

母からは以前、人と関わることが多い仕事はやめてほしいと言われたことがありました。

僕が苦しむ姿をずっとそばで見てきたのですから無理もありません。

だから学校の先生になって苦しむ子どもを支えたいという夢は言えないでいました。

だけど、自分が大切にしている思いは、たとえ相手からどう言われても伝えるべきではないか…。

この日、初めて母に、面と向かって自分の思いをぶつけました。
僕「大学で教員免許とるってどう思う?」

母「もし純平がその仕事に就くならすごく心配する」

僕「うれしいっていうのはないの?」

母「不安の方が大きい。難しい職業の一つだろうなと思う」

僕「大阪吃音教室に行っても営業職とか人と話す仕事に就いている人が多くて自分も人と話す仕事ができるって考え方が変わったんだけど」

母「親はどうしても過保護になって心配性になるから心配の方が先に来てしまって、それでもやりたいって、純平がやりたいと思ってやるなら応援する」

僕「就職決まったら連絡します」

母「楽しみにしてるわ。お父さんとそれだけが心配で」
母ときつ音についてきちんと話をしたのは初めてでした。

ひきこもりの間、母は僕を責めていたのではなくて、心配してくれていたのだと、この時、初めて気がつきました。

夢に向かって

僕は今、夢に向かって実際に動き出しています。

幼稚園で教育実習を受けながら、子どもと関わる仕事を目指しています。

不安は面接試験。

でも、言葉に詰まってもいいから、自分の思いをきちんと伝えたいと思っています。

きつ音のありのままの自分で。一歩ずつ前へ歩んでいきます。
神戸放送局ディレクター
真崎俊介