座間9人殺害事件裁判 検察が白石隆浩被告に対し死刑求刑

神奈川県座間市のアパートで若い女性など9人の遺体が見つかった事件で、強盗殺人などの罪に問われている被告に対し、検察は死刑を求刑しました。一方、弁護士は、いずれの被害者も殺害されることを承諾していたとして死刑を回避するよう求めました。

2017年10月、神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件では、白石隆浩被告(30)が性的暴行をしたうえ9人を殺害し現金を奪ったなどとして強盗殺人などの罪に問われ、被告の弁護士はいずれの被害者も殺害されることに同意していたなどと主張しています。

26日、東京地方裁判所立川支部で開かれた裁判で、検察は「すべての被害者が首を絞められた際に必死に抵抗していて、殺害されることを拒絶していたことにほかならない。被告の法廷での証言は客観的事実とも一致し自然かつ合理的で、信用性が否定されないのは明らかだ」などと述べました。

そのうえで、「被告の犯行は計画的で卑劣、冷酷かつ猟奇的だ。被害者の人権や尊厳を無視したもので悪質極まりない。2か月の間に9人の若い尊い命を奪っていて、極刑以外を選択する余地はない」などと述べ死刑を求刑しました。

一方、弁護士は、「法廷で調べられた証拠で被害者の具体的な抵抗の様子が分かったかは、はなはだ疑問だ。被告の証言は客観的事実に一致させているのであって一貫性があるとは言えない」と述べ、承諾殺人と性的暴行をした罪などにとどまるとして、死刑を回避するよう求めました。

最後に裁判長が被告に何か述べておきたいことがあるかと尋ねると被告は「何もありません」とはっきりとした口調で答えていました。

判決は来月15日に言い渡される予定です。

弁護士「出来ることはほぼできた」

裁判のあと白石隆浩被告の主任弁護人が報道陣の取材に応じ、「当初から死刑が求刑されると想定された裁判で被告が弁護士の質問に答えないという
状況は大変だったが、出来ることはほぼできたと思う」と述べました。

また、被告が法廷で「仮に死刑判決が出ても控訴しない」と述べていることについては、「今後の対応については判決が出てからでないとわからない」と話していました。
※25日と26日の裁判では、被害者の遺族や代理人の弁護士などが意見陳述を行いました。以下は一部の方の意見陳述の詳細です。

Cさんの父親

私は本件の被害者であるC(神奈川県横須賀市の当時20歳の男性)の父親です。

息子が亡くなって約3年の月日がたちました。

頭では分かっていても息子の死がうそであって欲しい間違いであって欲しい、信じたくないという気持ちがいまだに私の心の中の片隅から離れることはありません。

そのうち息子がいつものようにギターを担いでふらっと帰ってくるのではないか、家の2階にある自分の部屋に駆け上がっていく足音や、「父さんこれ一緒に飲もうよ」と酒瓶を差し出してくる姿などをふとしたときに思い浮かべてしまいます。

そしてしばらくして我に返ったとき「もう2度と息子と会うことも話すこともできない」という事実とともに、深い、深い、寂しさや悲しみ、息子を救ってやれなかった申し訳なさが心の中を支配し胸の中をえぐられるような痛みがこみ上げ苦しくなります。

私はこの先も死ぬまでこんな気持ちを心の中に抱えたまま、生きていくのだろうと思います。

息子の行方が分からなくなってからの日々は、ひたすら息子の無事を祈りながら妻と2人で時間が許すかぎり息子を探し続け、私立探偵を雇うために借金もし、精神的にも、体力的にもいっぱいいっぱいになっていて、心身共に疲弊しかかっていたところに、今回の事件の一報を知りました。

「まさか、そんなことがあるはずがない」と最初は確認することをためらいましたが、じわじわと胸の奥から沸き上がる不安感や焦燥感にいてもたってもいられなくなり、仕事が終わったあとに思い切って高尾警察に連絡を入れました。

その後の捜査で、事件の被害者の中に息子の存在がわかった時、血の気が引いて目の前が真っ暗になり、崖から突き落とされたような感覚に襲われ、何も考えられなくなりました。

夏に少しずつ事件の様子がわかるにつれ、息子が受けた想像を絶するほど恐ろしく残忍な犯行とその残虐な内容に自分自身がどうかなってしまいそうな激しい衝撃を受けました。

その後、数か月がたち、高尾警察で息子を引き取ることになりましたが、警察で用意していただいたひつぎのなかの変わり果ててしまった息子の姿はもはや人のものとは思えませんでした。

「本当にここにいるのが息子なのか」ととても信じることができませんでした。

だびに付され息子の遺骨を手にし自宅に戻ったとき、それまであまりの衝撃で思考や感情がまひしたかのような精神状態でしたが、せき止められていた感情が一気に噴き出してくるように、悲しみがあふれてきました。

音楽を人生のよりどころとして生きていた息子の人生をもっと見ていたかった。

暇さえあれば自分の部屋に閉じこもり、なるべく音を外に漏らさないように、周りに気を使いながら一生懸命、寝る間も惜しんでギターの練習をしていました。

あるとき息子が出演していた小さなライブの映像を目にしたとき、本当に生き生きと輝いていて、楽しそうにステージで演奏している息子が映っていました。

またあるときは、勤めていた介護施設の利用者に聞かせてあげたいと、アコースティックギターを担いで勤め先に出勤していたこともありました。

将来を音楽1本でやっていきたいという息子の気持ちに対して、最初はあまり理解を示してやれませんでしたが、もし息子の気持ちが本当に真剣なら、見守ってやるのもいいかなと感じ始めていました。

しかし、それはもう叶わなくなってしまいました。

悲しみと同時に被告人に対して激しい怒りと憎しみ、絶対に生かしてはおけないという感情がわいてきました。

息子は一時的には本人にしかわからない、死にたいほどの苦しみを抱え、心を病んでしまったかもしれませんが、心の底では息子は最後まで生きることをあきらめきってはいなかったし、苦しみを取り除いてやりさえすれば息子は必ず立ち直れていたと、今回の裁判で確信しました。

被告人は別件で執行猶予中にも関わらず、それまでの犯行の発覚を恐れ、口封じするという身勝手極まりない理由で、息子を容赦なく惨殺し、むごたらしく遺棄したのです。

人の弱みを食い物にし、息子の未来を奪ったこの悪魔のような所業に対し、被告人だけがのうのうと生きながらえる、こんな理不尽なことは断じて許すことはできません。

どうか、このような危険極まりない人間を生かして再び社会に解き放つようなことは絶対にやめてください。

そうでないと私自身が死んでも死に切れません。

私としては被告人の極刑を強く希望します。

Cさんの母親

私はCの母親です。

息子は優しく繊細な子でした。

繊細が故に思い悩むことも多々あったように思います。

ですがその都度、私たち家族もサポートしてきましたし、周りの友人、先生、職場のかたがたに支えられ、一生懸命生きていました。

それなのに、このようなひどい事件に巻き込まれてしまいました。

息子の周りには力になってくれる人たちがたくさんおりましたが、そのことを息子に気づかせ、救ってやれなかったことが心の底から悔やまれます。

息子が幼少のころ、幼稚園から帰宅後、習ってきたダンスや歌を私によく見せてくれ、聞かせてくれました。

楽しそうにしている息子の姿を見るのが大好きで、幸せを感じる瞬間でもありました。

あるとき、通い始めた習い事に初めて私の送り迎えなしでひとりで行き、ひとりで帰ってきたときの得意そうな顔。

あるときは次男を出産するとき、入院先の病室で自分が大切にしているポケモンのぬいぐるみを「お母さん、ひとりで寂しいでしょ、これ貸してあげる」と照れくさそうに私に渡してくれたときの顔。

とてもとてもかわいかった。

今でも鮮明に私の目に焼き付いています。

二十歳を過ぎてもなお、私にとってはあのころのまま愛おしい存在でした。

しかし、いまはもう、そんな息子の顔や姿を2度と見ることはできなくなりました。

心の中が空っぽになったようで、毎日がいつも悲しくむなしいです。

事件が起こる少し前、息子は病気になりましたが、色々とつらいことが重なり、気持ちが追いつかなくなってしまったからだと思います。

入院し、治療を続けているなか、様子を見に行くと少しだるそうにしている日もありましたが、日を追うごとに元気になっていく息子を見て順調に回復しているのだと安心していました。

退院後も家族で買い物に行ったり外食したり入院前とほぼ変わらない状態になっていきました。

このままいけば職場にも復帰してまたこれまでどおりの日常に戻れるのだと信じていました。

そうしたなか、突然、息子の行方がわからなくなりました。

私も主人も思いつくかぎりの場所をめぐり、一生懸命息子を探しましたが、2017年8月29日、あの日から息子の顔、姿を見ることはありませんでした。

そして、息子が亡くなってしまったことを警察から知らされました。

数か月後、主人と2人で高尾警察に息子を迎えに行き、変わり果てた息子の姿を見て、私のおなかを痛めて産んだ大切なわが子の骨をどうして私が拾わなくてはならないのか、胸が引き裂かれる思いでした。

「これからはちゃんと生きていきます」と言っていた息子をだまし、自分の身を守るためという理由だけで息子は被告人に殺されました。

どれほど無念だったろうと息子の気持ちを思うと胸をえぐられるように苦しくなります。

私が大切に育てた息子の命をたった20年で終わらせてしまった被告人が、いまだにのうのうと生きているだけで、はらわたが煮えくりかえる思いです。

この事件で、未来ある息子の尊い命が無残にも奪われました。

しかし、被害を受けたのは決して息子だけではありません。

そこからつながっていたであろう命、関わっていたすべての人々の思いたくさんの人が傷つけられ、人生を狂わされたのです。

被告人には、これがどれほど罪深いことなのかしっかり理解した上で、極刑をもってこの世から消えてほしいです。

Hさんの父親(横浜市の当時25歳の女性)

2017年、神奈川県座間市で男女合わせて9人が殺害された事件の犠牲者のなかの1人が私の娘です。

白石隆浩被告が私の娘に対して私利私欲のためにSNSでことば巧みに誘い、自宅アパートで急に背後からおそい、失神させたあと性的暴行におよびさらに首をしめ殺害、さらにその死体をバラバラに解体、クーラーボックスに遺棄されたことに対して父親としての心情を申し述べます。

私の娘が殺害された2017年10月18日の事件当日、私は仕事で朝早く家を車で出発したため娘の顔を見ることもなく、まさかこのような殺人事件に巻き込まれるとは。

午後9時をすぎてもあの子が仕事から戻らないので、おかしいと思って妻が仕事先に確認したら定時であがったとのこと、娘の携帯は連絡が取れず私は胸騒ぎを覚え、すぐ近くの交番に駆け込みました。

慌てていてことの次第を説明するも、なかなかうまく説明することができず、警察官にとりあえず写真を持ってくるように言われて、私は家に駆け足で戻り娘の顔写真を手に再び交番へ行きましたが、結局その夜はどうすることもできず、ただ心に胸騒ぎだけ。

娘の安否を確かめるすべもなくそのまま朝を迎えました。

警察官の指導により最寄りの署にも行方不明届を提出。

そのときからわが家には明かりがついていても暗闇の世界にいるようでした。

家族の顔からは笑顔が消えうせ、ただ娘の安否を願う毎日でした。

11月初旬、私の家の周りを報道の人に押しかけられても、なにかの間違いであってほしいと願っていたが、遺体の一つは娘さんに間違いなかったという警察からの連絡を受けました。

私たちは苦しみのどん底に。
生きていく力がわかず、人目を忍びつらい毎日でした。

二度とわが家に戻らぬ娘。
子に先立たれた親の心境。
この思いいかにすべきか。

ようやく娘の遺体に対面できたのは、2018年4月13日、高尾署で、でした。
その変わり果てた娘の姿にただ号泣し、犯人をどれほど憎んだことか。
法廷で娘のことをまるでひと事のように話しているお前を見て、憎しみが一層強くなった。

被告人白石よ。
お前の身内が同じように殺され、同じ状況に接したとしたら、その犯人を憎まず冷静でいられるか?殺してやりたいほどうらむであろう。
それが家族であり親なのだ。
わかるか!私たちは死んでもお前を許さない。
今でも同じ年頃の子を見ると娘じゃないかと思ってしまう時がある。
このつらく切ない気持ちは一生消えない。
娘を返せ!平穏な日々を返せ。

どうか裁判官、裁判員の方々、私たち遺族の心の叫びを受け止め白石隆浩被告に厳罰を下してください。

Hさんの兄

この事件から私の生活は変わってしまいました。

家族や友人と、たわいもない話で笑っていた時間は、ほとんどなくなってしまいました。ときおり、妹の夢を見ます。お気に入りのぬいぐるみを抱きながら私と会話をし、けらけらと無邪気に笑っているのです。

私はもしかしたら妹が帰ってきたのではないか?そう錯覚しました。しかし、目覚めてみると妹の姿はなく、私の涙のあとだけが残っている、これが現実でした。

被告に残虐な手口で殺されてしまったことがわかってからは、私は人を信頼しなくなりました。今でもシャッターとカーテンを閉めきっていなければ落ち着いていることができません。さらに一歩外に出れば人はみな、敵に見えてしまうのです。

殺害状況を淡々と話す被告の声は、なんの反省もしていないようでした。私は怒りが込み上げ、こんなことを聞いているくらいなら、すぐにでも被告を殺し、かたきをとってやりたいと思いました。その怒りは全身の血液が沸騰するかと思ったほどです。供述を聞いている間、私は鋭利な刃物で傷口を何度も何度も切りつけられるような思いでした。

そして、すべてを聞き終えた頃には私の心は完全に死にました。
私は妹を失っただけでなく、私本来の心も失ってしまいました。
私の壊れた心がほんのわずかでも癒やされることがあるならば、それは被告がこの世から消えること、これ以外ありません。