不妊治療に光明は差すか

不妊治療に光明は差すか
夫婦の5.5組に1組が経験している不妊治療。
総理大臣に就任した菅は保険適用の拡大を打ち出した。
不妊治療にいま何が求められているのか課題と実情を探った。
(政治部記者 山枡慧)

不妊治療に「脚光」

不妊治療をする人たちの負担を軽減するための支援。これまでも、議論されてきたが、総理大臣の菅が「不妊治療の保険適用の拡大」を看板政策の一つに掲げたことで、注目を浴びることになった。

日本産科婦人科学会の調査によると、不妊治療の一つで体内から取り出した卵子を体外で精子と受精させる「体外受精」で生まれた子どもは、2018年に5万6979人と過去最多を更新した。この年に生まれた子どもの、実に15人に1人。晩婚化などを背景に、治療件数も過去最多の45万4893件に上っている。

今は人工受精などは保険適用外

不妊治療の内容は案外と知られていない。
医療機関での検査の結果、不妊治療は一般に、(1)「男性不妊」(2)「女性不妊」(3)「原因が分からない機能性不妊」に大別され、それぞれ治療内容も異なる。
国内には約600の専門の医療機関があり、多くの場合、治療は男女とも血液や超音波検査などで不妊の原因を調べるところからスタートする。精子が精管を通過できない場合や子宮内膜症などの治療には保険が適用される。また排卵日を予想して性交渉のタイミングを指導する治療も保険適用の対象だ。

一方、保険が適用されないのは、こうした治療を経ても妊娠に至らない場合に行われる治療で、精液を直接、子宮に注入する「人工授精」や精子と卵子を体外で受精させて子宮に戻す「体外受精」などだ。

300万円以上かかる現状も

保険適用の対象にならない治療は「自由診療」と呼ばれ、医療機関ごとに治療技術も治療費も異なっている。原則3割の自己負担が基本となる「保険診療」と比べて高額になることが多い。厚生労働省の研究班が2017年度に行った調査では、不妊治療にかかる1回あたりの平均費用は、体外受精が38万円、顕微授精が43万円に上っている。

患者の支援に取り組むNPO法人「Fine」が2018年に行った調査では、治療費の総額は「100万円から200万円未満」という回答が27%と最も多く、「300万円以上」という回答も17%ある。
国は保険適用のほかに不妊治療にかかる費用の一部の助成も行っているが、対象は体外受精や顕微授精など一部に限られている。
その理由として厚生労働省は、「保険適用の治療とするかどうかは、不妊が疾病なのかどうかという問題や治療の安全性や有効性に根拠があるかが前提となる」としている。
また、夫婦で年収730万円未満という所得制限や治療開始時の妻の年齢が43歳未満であることなど一定の条件が課されている。所得制限は、日本全国の世帯所得の9割をカバーできる金額として、年齢制限は妊娠率など医学的な理由から設定されたものだが、こうした条件を満たさない夫婦からは不満の声も聞かれる。
不妊治療への保険適用の拡大が政治的注目を集める背景には、治療にかかる経済的負担に悩んだり支援の対象から漏れたりした多くの人たちの存在がある。

安くするだけでは…

医師として東京と大阪で専門の医療機関を運営する「リプロダクションクリニック」CEOの石川智基は、関心の高まりは不妊に悩む患者の後押しにつながると期待する。
「非常に好意的に受け止めている。患者の心理的なハードルがかなり低くなったと思う。菅総理大臣が(保険治療の適用拡大)を打ち出してから初診件数が伸びている。患者としては背中を押してもらった部分も大いにあると思う」

一方、患者の支援に取り組むNPO法人「Fine」の理事長の松本亜樹子は、具体的な議論の中身が見えない現状への不安を指摘する。松本も不妊治療の経験者だ。
「不妊治療を議論のテーブルに載せてもらったことはありがたく歓迎しているが、詳細が見えないまま『保険適用の拡大』という言葉だけがひとり歩きしている印象は拭えない。医療の質が担保されることが患者にとっては何より重要で、いくら安い治療を受けられるようになったとしても治療の質が下がれば本末転倒だ」

問われる治療の質

一般に、保険が適用されれば患者の自己負担額が減り、経済的負担の軽減につながる。保険では、疾病ごとの医療行為に価格(診療報酬)が決められているため、適用範囲をどう拡大するかが大きな課題となる。一方で、日本の不妊治療は国内未承認の海外の最先端の治療技術や薬を導入するなど「自由診療」を中心に発展してきたといわれる。

このため、石川は、多くの治療方法が標準化していない不妊治療で、診療報酬を一律に設定することの課題を指摘する。
「日本の不妊治療では、自由診療を軸にそれぞれの夫婦にあったテーラーメイドの治療が行われてきた。新しい医療機器や技術をいち早く導入できることに自由診療の強みがあったが、いたずらに保険適用が拡大されて、他の医療機関と一律の画一的な治療が行われる状況が生まれれば患者のメリットにならないのではないか」

松本も、現状では医療機関ごとに治療の質が大きく異なると指摘した上で、保険適用を拡大しても医療の質が保たれるのか懸念している。
「保険適用の拡大により、出来ない治療が増えてしまえば妊娠が遠のくことになりかねない。保険診療だけでよい人はそれでよいが、『年齢的にも時間が無い』という人や、体への負担から流産を避けるための治療を行いたい人のためにも治療の自由度は高くしてほしい」

保険適用の拡大により、医療の質の低下を懸念する声がある中で、医療界からは「混合診療」の解禁を求める声も出てきている。

「混合診療」は「保険診療」と「自由診療」を組み合わせたもので、これが認められた場合、費用は、保険適用分の治療は保険でまかない、適用外の治療は患者自身が支払うことになる。現在、国は患者の支払い能力によって提供される医療に差ができてはならないとして「混合診療」を認めていない。ただ、ある厚生労働省の幹部は「不妊治療の領域では、例外的に検討の余地はある」と一定の評価をする。

一方、石川は別の見方を示す。
日本の医療界では「混合診療」に対する慎重論が根強くある。こうした中で不妊治療の経済的負担の軽減と治療の質を両立させるためには、自由診療を維持したまま助成金を拡充したほうが現実的だと指摘する。

“技術に差がない治療を適用対象に”

どんな治療なら、保険適用の拡大の対象となり得るのだろうか。

厚生労働省は体外受精や顕微授精などのうち、有効性や安全性が確認されたものを新たな対象に加える方向で検討を進めている。
今後、専門医の意見も踏まえながらガイドラインも策定し、中医協=中央社会保険医療協議会の審議を経て、令和4年度からの適用拡大を目指す方針だ。

これに対し石川は、専門医の立場から医療施設ごとの治療技術に差がない治療であれば、保険適用の対象に加えられるのではないかと指摘する。
「無精子症の男性患者を対象にした『TESE』と呼ばれる精巣から精子を取り出す手術については、保険診療が考えられる。また女性不妊に関しても、人工授精は施設ごとのレベルの差が少ないので一歩踏み込んで保険適用を拡大するのは考えられる」

治療のために仕事を休む?

不妊治療を受ける多くの夫婦は、妊娠の可能性をわずかでも高めたいという切実な思いを抱えている。

一方、治療を取り巻く環境は非常に厳しく、なかでも治療と仕事の両立は大きな課題となっている。
松本はその実情をこう指摘する。
「不妊治療には、身体的、精神的、経済的、時間的な負担という4つの課題がある。保険適用の拡大は経済的な面にすぎず、そこだけを解決しても全体的な解決にはつながらない。仕事と治療の両立が出来なければ、保険適用を拡大しても結局は治療に行くことができない。休暇制度についても治療の実態に即した制度が必要だ」

2017年の厚生労働省の調査では、治療経験者の離職率は16%に上る。治療のために休暇の頻繁な取得や休職をせざるを得ないケースも相次いでいて、雇用の安定化のため休暇制度の創設を求める声も上がっている。

一方、石川は治療と仕事の両立は医療機関側の努力によっても改善できるのではないかと提言する。
「患者に休めと言うのではなく、医療機関側に平日の夜間や土日に診療を行うよう政策的なインセンティブをつけるやり方もある。患者が休めば企業の生産性も落ちるし、女性のキャリア形成にも影響が出るので、休暇制度を設けるよりも医療機関側を変える方が社会的コストが少なくて済むのではないか」

不妊治療は“口コミ”頼み?

さらなる課題として、医療機関側の透明性や客観性を求める意見もある。
NPO法人「Fine」の調査では、患者が病院選びで重視した点について「評判(口コミ)がよいから」という回答が49%に上った。

患者の多くが治療先の医療機関を選ぶ際、インターネットの口コミなどを頼りにせざるを得ない実態は、治療を受けるにあたって参考に出来るデータが不足していることを如実に表している。同様に、公表される治療実績の基準が医療機関によって異なることも課題として指摘されている。

石川は、患者に適切な情報を提供する「第三者機関」の必要性を指摘する。
「『不妊治療はブラックボックスだ』と言われるが、実際、私たちは隠そうとしているわけではなく、施設ごとに売りが違う。ただ、いろんなクリニックがホームページで情報を出し、患者は悩んだ上で通院先を選ぶが、妊娠率などの基準にも透明性が無いため、患者はクリニックを選ぶことにも苦しみがある。しっかりと第三者機関を作り、透明性を確保することが大切だ」

松本も同じ意見だ。
「医療機関ごとの客観的なデータの開示は今すぐ出来ることだし、保険適用の拡大に関係なくやるべきことだ。国が第三者機関を作り、それぞれのクリニックの治療実績などを出すべきだし、クリニックが公表している実績を第三者機関がチェックすべきだ」

晩婚化・晩産化という日本の事情も

政府は保険適用が拡大されるまでの間、現行の助成制度を拡充して対応する方針で、今年度中にも所得制限を撤廃し助成額を引き上げる方針だ。

その検討にあたって気になるデータがある。
日本では、不妊治療の患者のうち治療成績の低い40歳以上の割合が40%を超えて世界で最も高く、結果的に治療成績が世界平均を下回っている。

こうした晩婚化、晩産化という社会的な課題にどう向き合い、いかに取り組んでいくかということも不妊治療の環境整備を進めていく上で欠かせない視点だ。
(敬称略)
政治部記者
山枡慧
2009年入局。青森局を経て政治部に。文部科学省や野党、防衛省の取材を経て、9月から厚生労働省を担当。