甲子園3回優勝 木内元監督が死去

高校野球の監督として茨城の取手二高と常総学院を率いて、甲子園で合わせて3回の優勝を果たした木内幸男さんが24日、肺がんのため亡くなりました。89歳でした。
木内さんが最後に野球部の監督を務めた常総学院の関係者によりますと、木内さんの家族から24日午後7時ごろ亡くなったと連絡があったということです。

監督として甲子園で3回優勝 通算40勝

木内さんは甲子園でそれまで優勝がなかった茨城県で取手二高と常総学院の2つのチームを率いて夏2回、春1回の優勝に導き、通算40勝をマークした高校野球界の名将の1人です。

木内さんの采配は『木内マジック』と呼ばれ、選手の持ち味や調子、それに心理を読み取って巧みにチームを率いたほか、選手を頻繁に交代させるなど相手チームの意表をつく試合運びも光りました。

また甲子園での勝利監督インタビューなどで見せた愛きょうのある茨城弁での受け答えは高校野球ファンから親しまれました。

DeNA仁志2軍監督「悲しさと寂しさでいっぱい」

木内さん率いる常総学院が夏の甲子園で準優勝した時のメンバーだったDeNAの仁志敏久2軍監督は、「木内さんには入院前日に会いに行きました。そこで、来季よりユニフォームを着ることをご報告させていただきました。思い出は話せば尽きません。覚悟はしていましたが、今は悲しさと寂しさでいっぱいです」と球団を通じてコメントを出しました。

PL学園の中村元監督「すばらしい指導者だった」

木内さんが亡くなったことを受けて大阪のPL学園の元監督、中村順司さんがNHKの取材に応じました。

中村さんは夏の甲子園の決勝で木内さんが率いた取手二高と常総学院、それぞれ1回ずつ対戦しました。

このうち昭和59年の決勝では当時、高校2年生だった桑田真澄さんと清原和博さんの「KKコンビ」を擁して連覇をねらっていましたが、木内さんが率いる取手二高に敗れました。

中村さんは「のびのび野球」と言われた当時の取手二高について、「木内監督と選手の年齢差があったから、締めるところはきちっと締めて、あとはもう『お前ら思いっきりやれ』という指導をしていた。大振りするかと思ったら、うまくミートしたり、選手たちがのびのびとやっていた感じがした」と振り返りました。

また、『木内マジック』とも呼ばれた采配については「ピッチャーに外野を守らせて、それからまたマウンドにあげるとか、高校野球では珍しい時代で、ふだんの練習の中で選手たちをよく把握していた監督だった」と話していました。

そのうえで、「甲子園を沸かした名監督の1人だった。ありがとうございました、ご冥福を祈ります」としのんでいました。

智弁和歌山の高嶋元監督「『木内マジック』僕らが目指す監督」

木内さんが率いた常総学院と甲子園で熱戦を繰り広げた智弁和歌山高校の元監督、高嶋仁さんは「『木内マジック』と呼ばれるほど選手の使い方がとてもうまい監督で、選手たちは伸び伸びとプレーしていた。僕らが目指す監督の1人だったので残念でしょうがないです」と話していました。