めぐみさん拉致 元捜査員が証言する“空白の20年”

めぐみさん拉致 元捜査員が証言する“空白の20年”
ことし6月5日、横田滋さんが亡くなった。

娘への深い愛情と優しいまなざしで北朝鮮による拉致被害者救出の先頭に立ってきた滋さんの死去。学生時代、韓国に留学し、朝鮮半島情勢について学んでいながら、ほとんど拉致事件を取材していないことに、私は焦りを強く感じた。

NHK新潟局でも担当記者が代々、ニュースやリポートで拉致事件を取り上げていたが、久しく番組は制作できていなかった。2002年、蓮池さん夫妻や曽我ひとみさんが帰国する一方で、横田めぐみさんらの帰国がかなわなかったニュースは、当時、小学6年生だった私も鮮明に記憶している。

しかしその後、報道される機会はどんどん減っている。このままでは、特に若い世代を中心に拉致事件は忘れられてしまうのではないか。警視庁も担当し、長く拉致事件を取材しながら、「これまで十分、この問題を伝えられず、後悔していた」と話す先輩や、めぐみさんの拉致現場の近くにアパートを借り、「徹底して関係者にあたりたい」と話すディレクターと取材を始めた。

(新潟放送局記者・山下達也、時津英嗣、ディレクター・柚木涼也)

めぐみさん拉致

横田めぐみさんが拉致されたのは11月15日。

これまでもたびたび、現場を訪れてはいたが、この秋、私たちは、一緒に現場を訪れた。日没後、あたりが暗くなった周辺の様子を見たかったからだ。

当時中学1年生のめぐみさんは、バドミントン部の練習をいつも通りに終え、午後6時半ごろ、友人2人と下校した。ほどなく2人と別れ、学校から自宅がある海岸方向へ200メートルほど歩いたところで1人になった。
事件が起きた43年前は今よりも街灯が少なかったというが、現場は住宅地。自宅まで徒歩1分ほどのところだった。しかも、600メートルほど離れた場所には警察署があり、さらにその先には新潟一の繁華街があった。

そんな場所で、少女が連れ去られるとは。
何としても、当時の捜査関係者に直接、話を聞きたいと思った。

「空白の20年」

まずは、拉致事件の全体状況を把握するために政府発行のパンフレットの年表を見てみた。

横田めぐみさんの失踪を政府が拉致事件と認定する1997年以降は、2002年の日朝首脳会談を受けて、新潟県の蓮池さん夫妻や曽我ひとみさん、福井県の地村さん夫妻の5人が帰国したこと。
2004年の蓮池さんの子どもや曽我さんの家族が帰国したこと。
北朝鮮がめぐみさんの「遺骨」として渡した骨が別人と判明したことなど、年によっては月単位で拉致問題や北朝鮮をめぐる出来事が記載されている。

しかし、めぐみさんが失踪した1977年から、拉致と政府が認定する1997年まで20年間は、ほかの拉致被害者の失踪が記されていること以外、ほとんど記載されておらず、「空白の20年」となっていたのだ。

初動捜査 横田家の「連絡係」 元刑事の証言

「空白の20年」はなぜ生まれたのか。

事件発生直後の捜査状況について、元刑事の安藤六郎さん(80歳)が語ってくれた。
安藤さんは当時、現場を管轄する新潟中央署で、刑事事件を担当する捜査第一係の署員だった。

当日は警察署で当直勤務に入ったところで、早紀江さんからめぐみさん失踪の電話が入った。すぐに横田さんの自宅に駆けつけたそうだ。

安藤さんによれば、父親の滋さんが日本銀行に勤めていたこともあり、金銭目的の誘拐を軸に捜査を進めていたという。横田さんの自宅には、犯人から身代金を求める電話に備え「逆探知」の機械を設置した。
新潟県警は、始まって以来と呼ばれる大規模な体制で、聞き込みや捜索を行ったという。
新潟県警 元刑事 安藤六郎さん
「何か手がかりになり、参考になるものはないかと、学校関係者、同級生、親しい友人みんなに話を聞かせてもらった。何か遺留物がないか、松林の検索も、みんな距離を置かずに、だーっと一斉に並んで捜したが、本当に何もなかった」
安藤さんは、横田家に何か変わったことがないか聞いたり、捜査の進捗状況を伝えたりする「連絡係」として、毎日、家を訪ねたという。
新潟県警 元刑事 安藤六郎さん
「早紀江さんから何か変わった話はないですかと聞かれると、切なかったですね。何か1つでも、実は、という話が欲しかったんだけど、ないんだもんね。申し訳ないけども、特に変わった話はありませんでしたと伝えるのが、本当に切なかった」

北朝鮮を警戒していた!? 元刑事部長の証言

「実は、めぐみさんの事件の前から北朝鮮の影があり、パトロールを強化していた」

そう、話してくれたのは、事件当時、新潟中央署で外国人の犯罪も担当する警備課に所属していた小幡政行さん(66歳)だ。
小幡さんは、外国人の犯罪を取り締まる県警本部の外事課長を歴任。刑事部長で退職するまで長年、めぐみさんの事件を捜査してきた。

小幡さんの話によると、めぐみさんの事件の前から、県内をはじめ全国で、北朝鮮の工作員とみられる不審者が摘発されたケースがあり、警戒していたという。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「警戒は北朝鮮工作員の潜入・脱出だった。新潟では沿岸部のパトロールや張り込みを強化していた」
つまり、めぐみさんの拉致は、パトロールの間隙をつく形で起きたのだった。

早紀江さん 「アベック拉致」の新聞記事を手に警察へ

捜査は誘拐事件を軸に進められ、一向に進展がないなか、母親の横田早紀江さんは、ある新聞報道にわずかな希望を抱いた。

めぐみさん失踪から3年後、1980年の産経新聞の報道だった。
めぐみさん失踪の翌年には、新潟県柏崎市、福井県小浜市、鹿児島県日置市の海岸で若い男女の失踪が起きていた。新聞には、一連の失踪に「外国の情報機関が関与」の疑いと書かれていた。

知り合いからその報道を知らされた早紀江さんは、記事を手に、すぐに警察に走ったという。
横田早紀江さん
「もうびっくりして。うわ、本当だと思って、その足ですぐ警察に行って聞いてくるって言って。同じ海岸線だし、どう思いますかって聞いたら、ほかの失踪した方は皆さん20歳以上で年が違うからと。めぐみちゃんは13歳でまだ中学1年生。そんなのと全然違うから、これはちょっと違うんじゃないですかって、何人もおっしゃった」

「もうがくんとなって、本当にうぉんうぉん泣いて、歩きながら帰った。玄関でわあーって泣いたのを思い出します」
「外国」の関与ではないかと疑って警察署に飛び込んでいったという早紀江さんの話は衝撃的だった。裏を返すなら、警察も気が付くチャンスがあったように思える。

記事には「外国の情報機関が関与」としか書かれていなかったが、めぐみさんの失踪の翌年には、富山県でアベックの拉致未遂事件があり、現場で見つかった遺留品から、北朝鮮の工作員による犯行が疑われていた。

しかし、結局、めぐみさんの失踪については、1997年に政府が拉致事件として認定するまでの20年間、事実上、捜査が進まなかったのだ。

早紀江さんが振り返る“狂気の時代”

めぐみさんの失踪について、なんの手がかりも得られない「空白の20年」。この20年間の苦しみについて早紀江さんは「狂気の時代」と表現した。
横田早紀江さん
「もうことばには表せない。あの『狂気の時代』というのは、思い出したくもない。本当に死にたいと思うぐらいに毎日、海をさまよっていた。遺体も出てこないし、連絡もない。煙のように消えちゃって、20年っていうのは一体何だろうって。(どこかで誰かの)遺体が海から上がると、そのたびにドキッとして。口では表現できない」。
ではなぜ、めぐみさんの失踪と北朝鮮による拉致が結び付かなかったのか。

北朝鮮の拉致と見抜けなかった3つのポイント

小幡さんの証言から大きく3つのポイントが見えてきた。
1つ目は犯行の「時間」だった。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「工作員の潜入・脱出は当時、深夜であろうと言われていた。めぐみさんの事件は午後6時半ごろだった」
新潟県内では、小幡さんが警察官になる5年前にはすでに、沿岸部のパトロールを強化していたが、その時間は深夜。だから、車や人通りもある午後6時半ごろという時間帯に工作員が活動するとは考えにくかったというのだ。
2つ目は被害者の「年齢」だった。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「北朝鮮が日本人を拉致する目的というのは、日本人へのなりすましであるとか、(その後、判明する)北朝鮮工作員への日本人化教育だとかということが言われていた。ただ、中学1年生の女の子のめぐみさんが、この対象の人物になり得るかどうかを考えた場合、北朝鮮の拉致とは違うのではないかとされた」
当時、北朝鮮は、拉致した日本人になりすました工作員を韓国などに送り込み、軍事情報を収集させていた。中学1年生のめぐみさんの名義を利用するには「若過ぎる」というのだ。確かに、蓮池さん夫妻も地村さん夫妻も20代前半だった。
3つ目は拉致された「場所」だった。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「めぐみさんの事件の発生地は、ほかの事件がいずれも海岸のそばだったのと異なり、海岸から数百メートル離れていて、新潟市の繁華街の古町からさほど遠くない。そんなこともあって拉致と結び付けることはできなかった」。
私たちもこの場所が拉致現場になるとは想像できなかった。

社会情勢も影響か

さらに、当時の社会情勢も影響したという。

新潟では、マンギョンボン(万景峰)号が寄港するなど、北朝鮮との結び付きが強かった。北朝鮮に関係する組織や団体が数多くあり、複数の元捜査関係者は、「当時は、北朝鮮の批判につながるような言動を表立ってできず、捜査を難しくした面もあった」と話した。

捜査員の悔恨

横田家の「連絡係」を務め、誘拐事件として捜査にあたった安藤さん。ふだんは気丈にふるまっていた滋さんが、家族のいない場所で、人知れず悲しみに暮れる姿を忘れられないと言う。
新潟県警 元刑事 安藤六郎さん
「滋さんが、仕事の帰り道、飲食店のカウンターで、1人で飲んでいる姿が今も目に焼き付いている。酒の味なんか全くなかったと思う。たまにはお酌したりしたが、切なかったと思う」。
亡命した工作員の証言をきっかけに、めぐみさんが北朝鮮に拉致されていたことが判明したことは、小幡さんや安藤さんにとって大きな衝撃だった。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「本当にびっくりした。まさか、あのめぐみさんまで。北朝鮮はここまでやるのかということで、ものすごく驚いたと同時に、戦慄を覚えた」。
新潟県警 元刑事 安藤六郎さん
「われわれが今までやってきたことは何だったのか、ということがまず頭に浮かんだ。最初から拉致というのがあれば、何かほかの方法もあったと思う」。

0点の捜査

小幡さんは、拉致事件の捜査責任者である外事課長として、曽我さん親子と蓮池さん夫妻の事件に関与した工作員の逮捕状を取った。警察が逮捕状を取り、事件をより具体的に公にすることで、被害者帰国への外交交渉のカードになるとの思いもあったという。

しかし、めぐみさんの捜査では、膨大な捜査資料はあるものの、物証や証言が乏しく、逮捕状の取得には至っていない。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「めぐみさんの事件に携わった先輩の捜査員が、『いちばんの心残りはめぐみさんの事件』としみじみ話していた。捜査員は皆、めぐみさんが帰国し、家族と再会することを願っていた。こうした思いも胸に捜査をしたが、実行犯に迫れなかった。めぐみさんをはじめ拉致被害者で帰国できていない方がいる以上、捜査に点数をつけるのであれば0点だと思っている」
小幡さんは、まだ犯人を突き止める捜査は終わっていないとして「めぐみさんと家族の再会は全国民の願いであり、捜査に携わった捜査員たちの願いでもある。現役の警察官は、そうしたことも胸にしっかり捜査してほしい」と話していた。

そして、実行犯に迫れなかったことについて、「空白の20年」が重くのしかかったと振り返った。
新潟県警 元刑事部長 小幡政行さん
「発生から20年間、北朝鮮の犯行だと気が付かなかったことが、捜査が進まなかったいちばん大きな要因。警察官として責任を感じるし、また横田さんご夫妻にも本当に申し訳ないという気持ちがすごく強くある」

一刻の猶予もない

滋さんが亡くなったことで、被害者家族で残る親世代は、早紀江さんと、神戸市出身の有本恵子さんの父親の明弘さんだけとなった。

とくに親世代には残された時間はない。

私たち一人一人が、問題の解決に向けて、もっと考え、行動していく必要があるのではないかと感じた。
新潟局
山下達也 記者

平成29年入局
現在警察・司法を担当
新潟局
時津英嗣 記者

平成3年入局
横浜局・社会部などを経て
現在新潟局記者
新潟局
柚木涼也 ディレクター

平成30年入局