あなたの痛みを、社会の変化に

あなたの痛みを、社会の変化に
「“男優賞”、“女優賞”をなくします」。
世界3大映画祭の1つ、ベルリン国際映画祭がことし8月に発表した新たな取り組みは、多くの人を驚かせました。

最近、映画界ではこうしたジェンダーの平等や多様性を実現しようという動きが、急速に進んでいます。大きな変革のきっかけを作ったのは、ハリウッドの大物プロデューサーの性暴力に対して声を上げた、女性たちの勇気でした。
(国際部・佐藤真莉子)

「絶対に、真実を暴かなければ」

2017年10月5日。

アメリカのニューヨーク・タイムズが報じた記事が、世界中に衝撃を与えました。ハリウッドの著名な映画プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスティーン氏が、長年にわたって女優やモデルなどに対し性暴力をはたらき、それを隠すため口止め料を支払っていたという内容でした。

この記事がきっかけとなり、ワインスティーン氏は逮捕され、ことし3月、性的暴行などの罪で禁錮23年を言い渡されました。
事件をスクープした、ジョディ・カンター記者です。

企業などでの性差別の問題について調査報道を手がける中、映画界、とりわけワインスティーン被告による性暴力の話も耳にしたことはあったものの、具体的な証拠はありませんでした。

取材を進め、なんとか被害者が見つかりましたが、「話すこと自体がつらい」「仕事を失うのが怖い」「被告から口止めされている」といった理由から、誰1人として被害の実態を話してくれる人はいませんでした。

それでも「事実を明らかにすることで、社会を変えられるかもしれない」と説得を続けたところ、あるハリウッド女優が「名前を公表しないなら話してもいい」と返事をくれたのです。

被害者や記者が被告から脅迫されるなどの妨害も受けたということですが、勇気ある女性たちの証言を積み上げ、ワインスティーン被告が権力を背景に続けてきた卑劣な性被害の数々を、世間に明らかにしました。
ジョディ・カンター記者
「多くの困難に直面しましたが、決してあきらめようとは思いませんでした。被害者の話はあまりに強烈で、絶対に、真実を暴かないといけなかったのです」

「寝て役を取る」が当たり前

カンター記者は、取材の記録を1冊の本にまとめました。

そこには、女性たちが長年にわたってワインスティーン被告から受けてきた性被害の実態が克明に記されています。
「あるプロデューサーにレイプされた」

「ハリウッドやマスコミの間でそのことは公然の秘密で、関係者は私を侮辱する一方で、レイプした相手にはこびへつらっていた」

「お前のキャリアを潰してやるからな、というようなことを何度も言われた」

「オフィスで会ったとき、彼に体をまさぐられた」
本には「キャスティング・カウチ(Casting Couch)」ということばが出てきます。

「寝て役を取る」という意味です。

役をもらう代わりにプロデューサーやディレクターに体を任せるという風習は、ハリウッドでは黙認されるどころか“当たり前”とされてきたと言います。
ジョディ・カンター記者
「キャスティング・カウチは、この業界そのもの、ハリウッドそのものでした。決して、変えられるようなものではなかったのです。ハリウッドのビジネスの不幸な部分でした」。

変わり始めたハリウッドの“常識”

こうしたハリウッドの“常識”を変えたのが、記事をきっかけに世界中に広がった「#MeToo運動」です。
ハリウッド女優のアリッサ・ミラノさんがツイッターに、「セクハラや性暴力にあったすべての女性が『Me Too』と書けば、問題の重大さを知らせることができる」と投稿。

これにレディー・ガガさんやアシュリー・ジャッドさんをはじめ、著名な女優や歌手、モデルなどが次々と「#MeToo」と書き込み、応じました。
アメリカのメディアによりますと、ツイッター上で「#MeToo」というハッシュタグは、呼びかけから約1週間で85か国で170万件掲載され、大きなうねりとなりました。
2018年のゴールデングローブ賞の授賞式には、メリル・ストリープさんやアンジェリーナ・ジョリーさんなど、名だたる女優たちが晴れ舞台にそろって黒いドレスで登場。

ハリウッドで横行するセクハラ行為に抗議の意志を示すためです。

映画界にはびこってきた“男性が支配する文化”は少しずつ変わってきていると、カンター記者は言います。
ジョディ・カンター記者

「ハリウッドは変わりました。キャスティング・カウチはもう受け入れられないのです。なくなったとは言いませんが、今までのように暗黙の了解の下で平然と行われていたことから、クビになることもあるような間違ったことだと、広く認識が変わってきたのです」

うねりは日本にも

「#MeToo」に触発された女性が、日本にもいます。

女優の松林うららさん。

かつてプロデューサーから受けたセクハラの経験をもとに、映画「蒲田前奏曲」を製作しました。
女性の生きづらさを描いたこの映画で、主役の売れない女優を演じている松林さん。喫茶店で監督に口説かれる場面は、みずからの体験を忠実に再現し、見る者にその理不尽さを訴えかけます。
女優 松林うららさん
「自分が受けたセクハラには、今も怒りを感じます。でも、単に男性が悪いと言うのではなく、その憤りを表現者として作品に昇華したかったのです」
ことし9月に映画が公開されたあと、松林さんのもとには、「自分も話していいんだと思った」「勇気をもらった」といった女性からの感想や、「気付かされた」という男性からの感想が続々と届いていると言います。

日本では、性暴力やセクハラの被害を「恥」だと感じる人が少なからずいると指摘されています。

声を上げた被害者が批判されたり、不利な立場に追いやられたりするケースもあるとして、松林さんは社会への呼びかけを続けていく決意です。
女優 松林うららさん
「私が声を上げたことで、見た人が考えるきっかけになったと感じました。声を上げることはエネルギーを使うし、傷つくこともありますが、これからも作品を通じて訴えていきたい」。

男女比を50/50に

性暴力やセクハラの背景には、権力を持っているのは男性が圧倒的に多いという現実があります。

そこで映画界では、真の変革を目指した運動「50/50by2020」が広がっています。さまざまな現場での男女比を、2020年までに平等(50/50)にすることを目指すものです。

世界3大映画祭のカンヌ、ベネチア、ベルリンの映画祭がこの宣言に相次いで署名したのをはじめ、これまでに少なくとも119の映画祭が署名。

いずれも、映画祭の選考委員や応募作品の監督の男女の割合などを公表しています。
運動を提唱したスウェーデン映画協会 アンナ・サーナーCEO
「映画界全体の現状は男女の平等とはほど遠く、まだセクハラもあります。映画界にはさらなる多様性が求められていて、この動きは終わっていません。いまも大きな変化が続いています」

「痛みを社会の変化に」

カンター記者の記事をきっかけに、この3年間で映画界だけでなく、企業や学校など、私たちの日常生活にも「#MeToo」の理念が広がってきました。
日本でも去年3月、性犯罪について争われた裁判で、無罪判決が4件相次いだことから、性暴力の被害者に寄り添う気持ちを花で表現しようと、各地で毎月「フラワーデモ」が開かれるようになりました。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、デモは一時中断を余儀なくされ、オンライン上での集会に切り替えられました。

カンターさんは、女性の中でも立場が弱い人ほど性暴力やセクハラを受けやすく、声を上げにくい状態が続いているのではないかと懸念しています。
「私たちはいま、世界中で困難な時期にあり、誰もが孤独を感じていると思います。特に所得の低い女性たちのことを心配しています。なぜなら、この3年間でそうした女性のために本当に変わったことは、何もないと思うからです」。
それでもカンターさんは、現状を打ち破る最大の力は、女性たちの「声」だと訴えます。
ジョディ・カンター記者
「変化は、事実があってこそ起きます。被害者の声があってこそ、変化が起きるのです。過去に起きたことは変えられませんが、一緒に協力すれば、自分の痛みを社会の変化につなげられるかもしれません」
被害にあったことを打ち明けるのは、大きな困難を伴います。

それでも、おかしいことは、おかしい。
許されないことは、許されない。

だから、まずは「#MeToo」、「私も」というひと言から始めたい。

そのひと言が、この3年間で社会を少しだけ変えたから、これからも、さらなる変化を起こせると信じて…。
佐藤真莉子

国際部記者
平成23年入局
福島局、社会部を経て
平成27年から国際部
アメリカ、ヨーロッパを担当