よみがえるヒロシマ

よみがえるヒロシマ
遊び疲れて眠る幼い兄と妹。
お気に入りのクマのぬいぐるみも一緒です。

「あしたは、なにをしようかな」

いつもと変わらない幸せな日々は、突然、断ち切られました。一発の原子爆弾によって。
核兵器の開発、保有、使用を禁じる核兵器禁止条約が来年1月に発効するのを前にヒロシマの若者によって在りし日の家族の姿やまちなみをよみがえらせようというプロジェクトが動き始めました。(広島放送局記者 秦康恵 石川拳太朗)

消えた6人家族

写真に写っているのは鈴木六郎さん一家。
爆心地から500メートルの場所で理髪店を営んでいました。
家族は、父親の六郎さん、母親のフジエさん、長男の英昭くん、長女の公子ちゃん、次男の護くん、次女の昭子ちゃんの6人です。
広島に投下された原爆によって家族6人全員が亡くなりました。
戦前に撮影された写真。もともとは白黒でした。
色がつくことによって、確かに、そこに、家族が暮らしていた。
その息づかいが聞こえてくるようです。

白黒写真をカラー化で身近に

白黒写真をカラー化したのは広島市出身の大学生、庭田杏珠さんです。
大学教授と共同で白黒写真をカラー化し、当時の様子を「よみがえらせる」プロジェクトを進めています。
きっかけは、高校時代。被爆者の証言を記録する活動を通して、庭田さんは戦前の白黒写真に色をつける技術を知りました。
それ以来、原爆で家族を失った人たちの思い出の写真をカラー化し写真展を開くなど活動を続けています。
庭田さん
「白黒写真がカラーになるのを見たときに、昔の歴史的なもの、遠い昔の写真から、身近な現代の写真に感じました。私たちいまの人間が、現代の人々が、戦前の暮らしに思いをはせてそれが原爆でなくなったことをより自分事として想像できるという意味がカラー化にはあるなと感じます」

カラー化はAI技術を活用

白黒写真に色をつけるため活用しているのは、AI技術です。
カラー写真を学習したソフトで自動的に色を判別し、それを組み合わせることで実際の色に近づけていくといいます。
AIで判別できない色も多いため、当時の靴や着物を参考にし手作業で色をつけていきます。

しかし、これで終わりではありません。
AIはあくまでも下色づけに過ぎないのです。

「記憶に残る色」を再現

写真に色をつけるとき、庭田さんが大切にしていることがあります。
それは、写真に写っている人物をよく知る人から話を聞くことです。

庭田さんは、鈴木六郎さんのおいで、写真を長年保管してきた鈴木恒昭さん(89)を繰り返し訪ね、「記憶に残る色」を再現しようとしています。
鈴木恒昭さんは、六郎さんの理髪店をしょっちゅう訪れ、いとこの英昭くんや公子ちゃんと遊んでいました。

戦時中ではありましたが、家族ぐるみでピクニックや海水浴にもでかけていました。
特に、2歳年下の英昭くんとは仲がよく、原爆が投下される前日も川で遊んでいました。

庭田さんは、鈴木さんから一家の話や鈴木さん自身の被爆体験を聞きとります。
AIで色づけした写真を見せながら、理髪店の建物の色や、みんなが着ている着物や洋服の色合いを尋ね「記憶に残る色」を引き出すのです。
庭田さん「どんな色だったか覚えていますか? 理髪店が」

鈴木さん「外側は白です」

庭田さん「こういう色ですか?」

鈴木さん「そうです」
鈴木さん
「色が付くと生き生き、ほんまに命がよみがえるいう感じがしますね。おばさんのフジエさんも、カラー写真見せてあげたらどんなに喜んでか。美しく写っとるけえ」

断ち切られた日常を知って

庭田さんは、家族写真をカラー化することで、今と変わらない日常が突然断ち切られる原爆被害の実態を知ってほしいと考えています。
庭田さん
「カラー化写真で核兵器や戦争が奪うものの大きさは、見て感じられるんじゃないかなと思います。戦争とか核兵器禁止条約とか平和とか関心がない人でも考えられるきっかけになるんじゃないかと思っています」

失われたまちなみを再現

ひとりひとりが暮らしていたまちなみを再現することで失われたものの大きさを身近に感じてもらい、原爆の記憶を次の世代に引き継ごうというプロジェクトも動き始めています。
店がぎっしり連なった商店街。
75年前、原爆が投下される直前の爆心地近くのまちなみです。
こちらは原爆ドーム。原爆が投下された直後、あたりが真っ暗になり一瞬で炎に包まれる様子がCGで再現されています。
CGを制作したのは広島県立福山工業高校の生徒たちです。
11年前にこの高校で始まったプロジェクトでは、VR=バーチャルリアリティーの技術も導入。
現在では爆心地からおよそ1.5キロメートルの範囲で再現した被爆前後のヒロシマのまちなみを散策することができます。
そこには、見慣れた白黒の焼け野原の写真とは異なる風景が広がっています。

指導する長谷川勝志先生は、そこに生きていた人たちの日常が突然失われた現実を理解することで、生徒たちに平和の大切さを感じてもらいたいと考えています。
長谷川先生
「大勢の方が亡くなっていったんだというひとつひとつのプロセス、それからそこで暮らしていた人たちの生活、生徒たちにはそういうものを感じ取ってもらったうえで、作品作りをしてもらいたいんです」

大切にしているのは「被爆者の声」

プロジェクトに参加する生徒全員が必ず行うことがあります。
それは、ありのままの惨状を語った被爆者の証言およそ400人分を読み込むことです。
被爆前後のまちの様子を知り、理解するためにも当事者の声を大切にしています。
被爆者本人から直接話を聞くこともあります。
プロジェクトの中心メンバー、3年生の柿原惟人さんです。
もともと興味があったVRの制作を通じて、これまで身近に感じられなかった原爆の被害について真剣に考えるようになったといいます。
柿原惟人さん
「原爆の映像はアメリカ軍側からの映像が多いんですが、僕たちが大事にしているのはそこに暮らしていた市民の目線なんです。こんなことがあったんだ、こんな恐ろしい場所だったんだということをしっかり理解しないと、僕たちが作るものが空虚なものになってしまう。原爆というものに対して、自分なりの考えを持つという意味でも被爆者の方から話を聞くことは重要です」

忠実に再現するために

被爆者の証言などをもとに、生徒たちはCGで再現する建物や風景に関連した資料を探し出します。
航空写真や設計図など複数の資料から建物の形、大きさを割り出し、空間を作り上げていきます。
なるべく正確に再現するため、被爆者にもVRを体験してもらいます。
VRゴーグルをつけているのは森冨茂雄さん(91)です。
原爆ドームから250メートルほどの場所に住んでいた森冨さんは、生徒たちが参考にしたまちなみの風景画を描きました。
生徒たちは森冨さんに再現したまちなみを細かく確認してもらいます。
森冨さん「赤いポストのところ、こっち側だったと思う」

先生  「あ、逆ですか」

森冨さん「(建物の)色がもうちょっとですね。ああいう明るいえんじではなかった、くすんだえんじ色でした」
森冨さんの指摘で、郵便局に設置されたポストの位置や壁の色が修正されました。

若者からさらに次の世代へ

こうして完成した当時のまちなみ。
原爆ドームにつながる元安橋から眺めた景色は、川幅や護岸の高さも当時のままです。
商店の看板の文字や書体も可能な限り忠実に再現しました。
VRには、現在のまちなみの写真を組み込み、当時と比較できるような工夫もされています。
被爆者が実際に語る機会が少なくなる中、柿原さんは、自分たち若い世代が受け継いだ記憶を、さらに次の世代へとつないでいかなければならないと考えています。
柿原さん
「原爆の恐ろしさや当時の様子を被爆者の方々から伝えてもらって、僕たちは知ることができました。今度は僕たちがVRを用いて、被爆者の方々から受け取った思いを伝える側になっていく。昔の広島を見ることで、原爆が炸裂した場所には大勢の人が暮らしたまちがあったんだということを知ってもらいたいんです」
AIを活用して白黒写真をカラー化する。VRの技術でまちなみを再現する。
新しい技術を使い、ヒロシマを“よみがえらせる”ことで、若者たちは普通の暮らしが突然絶ちきられた原爆の被害を身近に感じられるようになったと話します。核兵器の廃絶を切に願う被爆者の思いは若い世代に、そして次の世代に確実に受け継がれようとしています。
広島放送局記者
秦 康恵
平成11年入局。
被爆者や教育取材を担当。
広島放送局記者
石川 拳太朗
平成30年入局。
福山支局で地域の課題を
取材。