“小説家”北野武「一人で生きて、一人で死んでくんだよな」

“小説家”北野武「一人で生きて、一人で死んでくんだよな」
あの北野武さんが今、食事もそこそこに「小説」を書きまくっている。最新作は子どものころから青春時代までを振り返る私小説とのこと。
3つの時代の先端を駆け抜けてきた“世界のキタノ”も73歳、社会を覆うコロナ禍にあって、人生を振り返り“旅支度”を始めているのでは。そう思ってお話を聞いたのですが…。
(アナウンサー 桑子真帆 / 「おはよう日本」ディレクター 加藤麗 / ネットワーク報道部記者 秋元宏美)

「もう闘う必要はないって思ってさ」

タレント「ビートたけし」として毒のあるギャグで80年代を牽引し、監督したすべての映画が話題を集め、ベネチア国際映画祭をはじめ数々の映画祭を席巻した“世界のキタノ”。
その代表的な肩書は今は「小説家」かもしれません。それくらい生活が激変しているそうです。
北野武さん
「前はすぐに飲みに行っちゃったりしてたけどそれが無くなって、家に帰ってきて絵描いて、ピアノの小学生くらいの教則本買ってきて練習して。それ終わってごはん食べるか食べないかで、小説。コロナ禍で外出しなくなったのが続いたんで、急激にいろんな小説書き出しちゃって。
『よくそんな仕事しながら書けるね』って言われるけど、お茶飲むのと同じような感覚で書いてるから、ひどいときはテレビ見ながらたまに(ワープロを)打ってテレビ見て、とりあえずワープロの前には座ってるみたいなとこがあったり」
「ビートたけし」や「北野武」名義ですでに多くの著作がある武さんですが、特にこの3年ほどは、自身初の恋愛小説「アナログ」や、作家を目指す男と愛犬の物語「ゴンちゃん、またね」など16作を相次いで発表。今や生活のローテーションを“作家業”に移しています。
北野武さん
「若いときは負けず嫌いで、自分よりウケるやつ見ると腹立つんだよね。ちきしょう、って思って。イライラを鎮めるためにテレビ局の帰りに若い衆連れて居酒屋行っちゃったり、お酒飲んで憂さ晴らして寝てっていう段取りをしないと熱が下がんなくて。
でも今やっとそれを通り過ぎて、あのころは俺もがんばったけど、今の若い人は面白いなって思うようになったら、別にイライラしなくなって。自分より全然いい漫才をやる人なんか見ると、うまいなあって思うようになって。『負ける・負けない』っていう感覚がなくなっちゃったね。だからうれしくなっちゃって。ある時期自分は一生懸命やったっていうのがちょっとあって、もういまさら闘う必要はないって」

「文学表現なんて気にしなくなった」

最新作の「浅草迄」は、半世紀以上前の自身の記憶をたどった私小説です。前半の「足立区島根町」の章は、少年時代から高校卒業のころまで。後半の「浅草迄」は浅草で芸人を志す手前の、青年時代を振り返っています。

武さんの少年時代を描いた作品といえば、30年以上前のベストセラーでドラマ化もされた「たけしくん、ハイ!」が浮かびます。
下町の人情や騒動を生き生きと描いた「たけしくん~」と比べて今作は、昔の出来事を思い出すまま淡々とつないでいくスタイルで、場面はめまぐるしく変わります。
北野武さん
「三十数年前に(『たけしくん、ハイ!』を)書いた時は自分にとって新しい分野っていうか、まあ今から見りゃあ小説の体をなしてないんだけど、ちょっと力が入ってたっていうか。小説家に読まれた時に恥ずかしくないように、なんて。
今は力が抜けちゃって、文学としての表現なんてのは気にしなくなったんで、お笑いの掛け合いのように、簡潔なことばで済ますんだったらそれでいいっていうような書き方になっちゃったね」
淡々とした描写にも笑いは満載です。1964年の東京オリンピックのころ、自宅が幹線道路の予定地になって立ち退き料が入ると思い込んだ武さんの父親が、飲み食いに散財したあげく勘違いだとわかり、残ったのは借金と工事の騒音だった!など。貧しい暮らしを描いてもあまり悲壮感はありません。
北野武さん
「その当時まわりがみんな、今で言う貧乏みたいな感じで、ごくあたり前の生活で。あのとき貧乏だって思ってた人いるのかな。いいことは思い出すけど、悪いこと、本当に苦しいことっていうのはあんまり覚えていなくてね。だからみんなちょっと笑ってしまうとか、その時代けっこう必死だったんだけども、貧乏をそんなに感じないんだよね」

「お笑い芸人になりたくてなったわけじゃない」

「子どもの頃は本当によかったなと思う」という前半から一変して後半の青年時代では、さえない描写がつづきます。
「極貧でもなければ金持ちでもない」とわかり、「俺の高校時代ってなんだったんだろう」「もう自分が情けなくなった」と嘆き、うっ屈していた青春が描かれています。
「もう自分が情けなくなった。
大学の四年間、俺だけ学生運動とか前衛芸術とかジャズとかなにも分かりもしないで皆と屯(たむろ)して、将来はなにか新しい職業に就きたいと本を読んだり、舞台を見たり、マルクス・レーニンに凝ったり、国に反対したり…結局なににもなれなかった」(「浅草迄」より)
孤独と挫折感にさいなまれた“その他大勢”の青年の一人が舞台にたつようになったのも、いわば成り行きだったということです。
北野武さん
「昔は今と違って、漫才師とかそういうお笑い芸人になりたくてなったわけじゃない、なっちゃったっていうのが基本なんだよね。もっといろんな仕事があって、何をやってもだめで、感覚としては社会の隅のほうに追いやられて、演芸場の舞台に立ってお笑いをやるようなことになっちゃったっていうのが昔の感覚なんだけど。
今はもう子どもの時の夢がYouTuberとかお笑いタレントになっちゃって、目標になっちゃってるんだよね。外れて外れて逃げて負けてお笑いになったのと、正反対なんだけど。
われわれ団塊の世代は戦後、新しい演劇とかいろんな文化が入ってきたんで、それを日本人がやるようになった時に、じゃあ劇団でも行こうかって思ったら丸っきし新劇がわかんなくって。エンターテインメントの世界って浅草行くしかねぇのかなって。
自分はやることなくて、浅草でも行こうかなって帰って来ちゃった感じかな。浅草でちょっと映画館とか演劇見ようかなって思って行って、アルバイトに入ったところが、実はあれ(浅草フランス座)だったっていうことで、変な縁だなって思うけども。目指して行ってもないんだよね」

「人間は変わらないから面白いんだって」

コンプレックスにつぶされそうになっていた青年が「なっちゃった」お笑い芸人として瞬く間に時代の寵児(ちょうじ)となり、表現の舞台を移しながら昭和から平成、令和と3つの時代で第一線を走り続け、ことし73歳。
今回の出版にあたって武さんは、こんなメッセージを寄せています。
「流行り廃り(はやりすたり)はあるけれども、俺や家族も含めて、『人間』って変わんないんだなってところが面白いと思う」
北野武さん
「どの貧しい時代でもいい時代でも、欲っていうのは必ずあって、その欲に引きずり回されておかしなことをしてしまったり、失敗したり、警察のお世話になったりなんかする(笑)。それはどこの世界でも同じであって、人間ってのは貧しい国でも、富裕層の人たちでも同じような欲っていうのは、スケールこそ違うけど、同じようなことやるなあって」
「このあいだ中学校の先生にファンがいて、学校宛てに色紙をくださいって。サイン書いてその横にひと言入れてくださいっていうから、
人間は一人で生きて一人で死んでいく。で、どうする?』って。だからあんたはどう考える?って。自分でも答えは全然分かんないんだよね。(答えは)いくらでもあるんだけど」

「だれでも死ぬんだって」

ところで3年前のNHKのインタビューで武さんは「今、人生何合目ですか?」という質問に、「逆向きの5合目」と答えていました。その心は、いったん頂上まで登って、下ってみたらまだやりたいことがあるので戻ろうとしている、とのことでした。そのころから武さんは小説家として毎年、意欲的な作品を発表し続けています。

そして今、新型コロナウイルスの影響が世界を覆っているなかで73歳の武さんは人生の何合目にいると思っているのでしょう。
北野武さん
「上がりも下がりもしない違うところをさまよっちゃってるから、違う山を探してるところで、どこかに穴が空いてたらボトっと落ちるんだろうと。同じ丘を平行に歩いてて、気がついたら傾斜がついて、少し高いところに着いててくれないかなって思ってんだけど。
自分が今いるところにあんまり不幸とか感じないし、幸せとかも感じないけども、やっぱり人間はいつか死ぬっていうことがあって。人類みんなに与えられる平等というか、だれでも死ぬんだって。
近代と言ったってたかがウイルス1つでこれだけ世界中パニックになって、あらゆる活動が規制されて、人間っていうのはしょせんは地球とか宇宙の作った中の一つであって、相変わらず対抗できないウイルスがあるのを教えられて。われわれは地球は人間が支配してるって思ってるけど、実は違って、蟻だったりなんかしちゃってね」
「AIの技術で脳だけ生きている状況になると、どういうことになるか見極めたい」とか、「宇宙人みたいになって1000年後の地球で人間を見てみたい」など、枠を超えた発想を次々に語っていた武さん。
インタビュー終了後の立ち話でも「2、3日もありゃあ書けるよ!」と早速、次回作の構想を話していましたが、“キタノワールド”はまだまだ広がりそうです。
※北野武さんへのインタビューの様子は、11月13日(金)の「おはよう日本」で放送しました。見逃した方は「NHKプラス」でどうぞ。
アナウンサー
桑子 真帆

平成22年入局。
現在は「おはよう日本」のキャスター、
「たけしのその時カメラは回っていた」で司会を担当し、北野武さんと共演中。
「おはよう日本」
ディレクター
加藤 麗
平成27年入局。
鹿児島局を経て、現所属。
ネットワーク報道部記者
秋元 宏美
平成22年入局。
奈良放送局、
大阪放送局を経て現所属。