「いいの、いいの」

「いいの、いいの」
みんなが心を弾ませる小学校の入学式。それが私の子どもにとって困難の始まりでした。学校からの帰り道、いじわるをした相手をとがめようとした私に子どもが言いました。
「いいの、いいの」
諦めにも似た声が耳を離れません。(ネットワーク報道部記者 小倉真依)
取材に応じてくれたのは小学生の子どもを持つ40代の母親です。
子どもとのこれまでの日々を語ってくれました。

翔太

子どもを授かったのは、37歳の時です。
名前は世界で活躍する人になってほしいという願いを込めて付けました。
ここでは「翔太(しょうた・仮名)」とさせてください。

2歳のころ、少女アニメにとても興味を示すようになりました。
買ってほしいとせがんでいたのは、大好きな少女アニメのおもちゃでした。

しばらくすると、変身する主人公のお化粧のまねをして、テレビを見ながら自分のほっぺたをぽんぽんとたたくしぐさをするようになりました。

私は「周りに女の子が多いので、その影響かな」と思っていました。

意思表示

一方で、黒っぽい服やズボンは「嫌だ」とはっきり言うようになりました。
そんな服を着た自分の写真をくちゃくちゃにして捨てることがありました。
家ではバスタオルをスカートのようにまいて、うれしそうにしていました。
この話を聞いた知り合いがお下がりのスカートをくれて、翔太は大事にはき続けていました。
違う服を着ていても、いつの間にか、タンスからそのスカートを引っ張り出してはいていました。
幼稚園に通っていたときに描いた自画像です。
長い髪を2つに結んで、ひらひらのスカートをはいています。
髪の毛は、実際よりも長く描かれていました。
このころ、お人形さんで、髪の毛を結ぶ練習をしていて、長くない自分の髪の毛を、がんばって結んでいました。

私は、ピンクやかわいいものが好きという翔太の思いを尊重するようになりました。
6歳の誕生日には、欲しがっていた少女アニメのおもちゃを買ってあげて、翔太はとても喜んでいました。

「女の子がよかった」

それからしばらくたったある夜のことでした。

寝ている時に突然、「翔太は、女の子がよかった」とポツリと言いました。
こっちをじっと見て涙をポロポロと流しました。

翔太は嫌なことがあっても、言わない子どもでした。
何があったのかはわかりません。

ただ、自分の好きなものに囲まれていても、心は満たされず、6歳なのにすでに生きづらさを抱えているのだと思いました。
そして、これから生きていく世界では、さらに困難が待ち受けている予感がしていました。

男の子、女の子の列

その予感は、すぐに現実となりました。
小学校の入学準備での出来事でした。

子どもの就学時健診で、男女別の名簿をもとに、男の子、女の子に分かれて列に並ぶように言われました。

スカートをはいた翔太の名前は男の子の名簿の中にありました。
しかたなく、そのまま、男の子の列に並ばせました。

入学式もスカートをはいて登校しました。
翔太は緊張していたようですが、お気に入りのゴムで髪の毛を自分で結び、式に臨んでいました。

学校には、スカートをはいて登校すること、女子トイレを使わせてほしいこと、「さん」と「くん」で呼び分けないでほしいことを伝えましたが、どんな日々が待ち受けているのかとても心配でした。

「いいの、いいの」

忘れられない出来事があります。
まだなれない通学路が心配で、学校から帰ってくる翔太を迎えに行った時でした。

一緒に下校していた友達と別れた直後、「翔太」の背中越しに、大きな声が聞こえました。
「本当は男の子なんでしょ!」
私はあわてて声のしたほうを見て、誰が言ったのか、探しました。

翔太は声のしたほうを振り向かず、小さな手で隣にいた私の腕をぎゅっとつかみました。
そして、ふりしぼるような声で言いました。
「いいの、いいの」
私はその場でどう対応していいか分からず、かけることばが見つかりませんでした。

会話のないまま家につきました。

あの時のことを思うと、いまも身が引きちぎられるような気持ちになります。
私の知らないところで翔太は傷つき、たたかってもつらい思いをするだけだという、諦めの気持ちがあったのだと思います。

空白

「翔太」は、名前でもつらい思いをしていました。

テストで、問題はちゃんと解いているのに、名前が空白になっていたことで気付きました。
書きたくなかったのです。

学校の休み時間、上級生から「翔子」と呼ばれて、からかわれていたこと。
授業で自己紹介をするとき、自分の名前が言えなかったことも知りました。

家族で話し合い、名前を変える決心をしました。
「陽菜(ひな・仮名)」。

本人が気に入って決めた名前でした。

あざ

あるとき「おかま」と言われて、いじめられたと告白してきました。

私は学校に相談しました。

「体が男の子で、心が女の子だということを子どもは理解できない」ということを言われました。

いじめの問題がなかなか解決しないことを説明しようと、先生のことばを陽菜に伝えました。

すると、こんなことを口にするようになりました。
「私が死んだら、お母さんも死ぬ?」

「私はピンクが好きだから、私が死んだらピンクのお花をあげてね」
自分のことを理解してくれない、そして心と体の性が違うことを自分ではどうすることもできないと、思い詰めたのかもしれません。

しばらくして、一緒に布団で寝ながら話をしていると、突然、起き上がって近くにあった窓とカーテンの間に入り込んだんです。
そして、私に「飛び降りる」と言って、死のうとしました。

数分だったか、数十分だったか。
私はその時のしっかりした記憶がないのです。

陽菜の手を強く握りしめて、ただただ、離さないようにしていました。
陽菜は飛び降りるのを諦めましたが、翌日、陽菜の手首には、くっきりとあざが残っていました。

ことば

私はもう一度、学校側に相談しました。

「子どもが希望を持てることばを言ってほしい」とお願いしました。
すると先生は「味方だからね」ということばをかけてくれました。
陽菜はそのことばをとても喜んでいました。

ことばは時にはナイフとなって子どもの心をえぐり、時にはやさしく心をつかみます。

先生たちにはどんなひと言でも、大切にしてほしいと思っています。

これから

陽菜は高学年になりました。
いま、先生や友達に恵まれ、楽しく学校生活を送れています。

これから体は大人へと成長していきます。
スカートをはいて、ひげをはやすことになるかもしれない。
心と体がどんどん離れていきます。

それは、どうすることもできないけれど、社会の考え方を変えるためにできることはあると思っています。
性別に関係なく、自由に制服を選べるように、名簿も男女に分けない名簿になるようにお願いを続けています。

幸せ

「女の子がよかった」
そう言って泣いた日、この子は不幸なのだと、思っていました。

でも、いまは違います。
「自分らしく生きて幸せになれるよ」
そう伝え続けていきたいです。

自分の心のままに生きて幸せになれるように、精いっぱいのことを、してあげたいと思っています。

小さな子どもが「いいの、いいの」と言って親の手をつかみ自分のつらさを押し殺すことがもうないように、飛び降りようとする子どもの手を親が必死でつかむようなことがもうないように、世の中が少しずつ変わっていってほしいと思っています。