時代錯誤と劇薬

時代錯誤と劇薬
名門の大学野球部は久しく優勝から遠ざかっていた。
再建を託されて監督になる元プロ野球選手の小宮山悟が、就任会見の数時間前に池袋のホテルに1人の男を呼び出した。会見のギリギリに呼び出したのは周囲への情報漏れを防ぐためだ。その男が人も組織も変えていく様を私は目の当たりにした。
(ネットワーク報道部記者 林田健太)

1人の男

大事な話を小宮山から切り出した。
小宮山)「打撃コーチとして力を貸してください」

)  「・・・・・・・・・・・・」

小宮山)「年も年なので無理ができないのはわかっていますけど…」
男は80歳になっていた。
小宮山)「母校への最後の奉公として、申し訳ないけど力を貸してください」
男はうなずいた。
2年前の秋のことだ。
小宮山は劇薬を手に入れた。

球歴

男の名前は徳武定祐、就任したのは早稲田大学野球部の打撃コーチだ。
徳武の球歴は華々しい。
昭和29年に早稲田実業に入学、3年生の時に、夏の甲子園に出場している。
進学した早稲田大学では強打者として知られ、5シーズン連続でベストナインにも輝いた。
そしてプロ野球に進む。
2つの球団で10年間プレーし、903本のヒットと91本のホームランを打った。

引退後は2つの球団で主に打撃コーチとして指導者の道を歩む。

早稲田大学にも呼ばれ、2014年まで16年間、コーチを務めた。
しかし、小宮山は球歴を買って、徳武にグラウンドに戻ってきてもらったのではない。

徳武さんは間違っている

野球部の寮で小宮山は「バッティングに正解はない」と前置きしたうえで答えてくれた。
小宮山監督
「本人を前にして口にしてないけど、そもそも、徳武さんの指導方法は間違っていると思っている」
小宮山も球歴はひけを取らない。
投手として早稲田大学で活躍、卒業後、プロ野球に進みロッテと横浜で117勝している。
野球に対する豊富な知識から、球界随一の理論派と言われた。
小宮山監督
「だって、徳武さんは“打ちやすい球を自分の形で打て”と指導しているわけです。僕は投手出身だからわかるけど、投手は打ちにくい球を投げます。“打ちにくい球をどう打つか”をやらないといけないじゃないですか」
ではなぜ、徳武をパートナーに選んだのか。
小宮山監督
「僕は徳武さんと一緒に早稲田のコーチをしていた時期がある。その時、すさまじいほどの練習を選手にさせていた。もう勘弁してくれというくらいバットを振らせて、それで、リーグ戦の首位打者を何人も作った」
「技術的なものも、もちろん大事だけど、やらなきゃだめだというのをたたき込む。時代錯誤かもしれないけど、いまそれができるのは徳武さんしかいない」
理論が正反対な徳武は一歩間違えれば、いさかいが起こりかねない劇薬でもある。

ただ、小宮山は才能あふれた選手が何人もいるのに、結果が伴っていないと強く感じていた。
そうしたチームには理論の違いを差し置いても徳武しかいないと思っていた。

1日おきのはずが

徳武は周囲の目を気にせず夢中で教える指導者だ。
バッティング練習では用意されたいすに座らず、仁王立ちになって選手のスイングを見つめていた。
これはと見込んだ選手には、打ち終わった後、間髪入れず、身ぶり手ぶりで修正点を伝える。
それでも満足しない。

呼び出してネットに向かってボールを打たせる、ティーバッティングで1対1の指導を始める。
全体練習が続いているが、そこはお構いなしだ。

82歳になった男が60歳以上離れた若者に、みずからボールをトスして、ひたすらバットを振らせる。
1スイング、1スイング、檄を飛ばす。
「そうだ!そうだ!それだ!」

「ポイントを前に!」

「左足の動きはゆっくり!」
休むことなく、1時間。
気付けば、グラウンドでは片づけ作業が始まっていた。

徳武の妻の香さんを取材した時、「80歳を超えているんだから1日おきくらいなら」と徳武に話し、コーチへの就任を認めたと話してくれた。

徳武はいま週に6日、早い日は朝、8時前から、グラウンドに来ている。
野球部は月曜日が休みだから、つまりすべての練習に足を運んでいることになる。

ある日の練習

徳武の指導はある経験が元になっている。
それは60年前の大学4年の秋、優勝をかけた慶応大学との対戦の10日ほど前だった。

監督は猛練習で知られ「鬼の連藏」とも呼ばれた、石井連藏。

大事な試合前の、休みの日。

石井は全員をグラウンドに出させ不調の徳武を1人、3塁の守備位置に立たせた。
そこからバットを持ち徳武にノックを始めた。
50本…、100本…、終わる気配さえない。

疲れ果て、徐々にボールを追いかける気力がなくなってくる。
1000本にも感じたころようやく終わった。

すると、今度は「打席に立って打て」と言われた。

徳武はキャプテン。
チームメイトの前での仕打ちに頭に血が上る。
よろよろと打席に入った。
徳武さん
「ところがなんでだろうね、力が入らないからフォームに力みがなく、ボールがガンガン飛ぶわけ。監督が近づいてきて、ひと言いったんだよ。『バッティングとはこういうもんだよ』って」
石井が不調から立ち直るきっかけを何とか作ろうとしてくれたこと。
理屈でなく体が自然と動くように教えてくれたこと。
それが心に残り、今の徳武の指導につながっている。

伝説の場で

練習から10日ほどたった早慶戦は引き分けを挟みながら、もつれにもつれた。
前代未聞の6連戦となり、プロ野球よりも多い、6万人以上の観客が、連日、神宮球場に集まった。
「伝説の早慶6連戦」と呼ばれた戦いで、徳武は最終戦に3本の安打を放って、優勝に貢献する。
徳武さん
「石井さんの指導と6連戦は一生の宝物。あれができたんだから俺は頑張らないといけないと思い、ずっと人生の支えになっている」
その支えを今度は若い選手に作ってあげようとしている。

指導者とは

ことしの秋は伝説の戦いからちょうど60年。
くしくも同じように早慶戦が優勝をかけて争う試合となった。
22歳の4番バッターだった男は、82歳のコーチとして戦いに臨む。

徳武と話していると人をどう成長させようとしているかがわかる。
徳武さん
「最初は来いといって、やるんですけど、だんだん選手のほうから振りに来るようになった」

「黙っていても振りに来る、のめり込むようになる、指導者はその段階まで踏ませてあげなくてはいけない」

「何とか、優勝して卒業させてあげたい。その大きさを私自身が知っているので」

邪念を捨てて…

徳武はLINEも使いこなしている。
20人以上の選手たちと毎日、やり取りしている。
選手に聞くと、かなりの長文らしい。

そっと見せてもらうと、心構えを説くことばが目立つ。
「久重(3年生の岩本久重)はシーズンが終わるまで、信念、取り組み方、野球道は変えないと約束事をしているのを、忘れていないだろうね。邪念を捨てて一心不乱でいこう」
徳武は「心をつかむにはそれくらいやらないと」とてれ笑いした。
だが、たぶんそれは違う。

心をつかもうとしているのではなく、純粋に思いがあふれ、毎日、長文を送っているのだ。

効率の時代に…

世は「効率」の時代だ。
体を壊すような練習は、今も昔ももちろんいけないし、体罰的な指導はご法度だ。
ただ、やらなきゃいけないことをたたき込む、できるまでやる。
小宮山は時代錯誤と言っていたが、そうしたことを愛情を持ち夢中になってできる人物が、人を変え、チームを変え結果も出すことを、11月8日の試合で目の当たりにすることになった。

結末

早慶戦は早稲田大学が初戦を制し、優勝の行方が8日の第2戦に委ねられた。

徳武はグラウンド全体がみえるスタンドの観客席から1人で試合を見つめた。

徳武が「ベストだ」と話した打線は振るわず、9回2アウトまで1対2でリードされていた。
ランナーはなく、あと1アウトで優勝はなくなる。
徳武はグラウンドをにらみつけ、微動だにしない。

7番バッターがヒットで出て、望みをつなぐ。

次のバッターは徳武が連日、居残り練習を課して鍛えてきた蛭間拓哉。
その初球。

振り切った打球が歓声の中で高く上がっていく。
そしてゆっくりとバックスクリーンに飛び込んだ。

逆転のツーランホームラン。

徳武は拳を握りしめ、小さく、「よし!よし!」とくり返した。
早稲田大学は10シーズンぶりの優勝を果たした。
表彰式が始まる。
おそらく周りの誰もが私の隣の体の大きな老人が60年前の伝説の戦いで勝利した立て役者だとは知らない。

蛭間を鍛えに鍛えたコーチだとも知らない。

そうした中で徳武は体を震わせて涙を流した。