科学・文化

江戸時代の焼き物「古伊万里」特別展 オーストリアから里帰り

オーストリアの古城で破片の状態で残されていた江戸時代の焼き物「古伊万里」(こいまり)を紹介する里帰りの特別展が3日から東京 港区で始まり、国外に持ち出されたあと終戦直後に破壊され、日本の技術で復元された数奇な歴史が紹介されます。
オーストリア東部にあるロースドルフ城には、およそ300年ほど前の城主が収集していた江戸時代の「古伊万里」が残されていましたが、第2次世界大戦後の混乱期に破壊され、その一部が日本の技術で修復・復元されました。

特別展は、修復の過程を紹介するとともに陶磁器が海外に渡った歴史や戦争の悲劇などについて知ってもらおうと初めて開かれ、皿やつぼの破片や復元品などおよそ150点が展示されます。

このうち「金襴手」(きんらんで)と呼ばれる様式で装飾された45センチほどある大皿は、松や梅、そして鶴などが金ぱくできらびやかに彩られ、調度品として城に置かれていたと考えられています。

また、古伊万里をまねた中国やヨーロッパ製の「古伊万里写し」(こいまりうつし)のつぼも修復の過程で確認され、当時のヨーロッパでの古伊万里の人気の高さがうかがえるということです。

「古伊万里再生プロジェクト」の保科眞智子代表は「文化財から過去の歴史を読み解くことができます。古伊万里の破片を平和の象徴として広く知ってもらいたい」と話していました。

特別展「海を渡った古伊万里」は、3日から来年1月24日まで東京 港区の大倉集古館で開かれます。

数奇な運命と修復の方法

「古伊万里」は、江戸時代に今の佐賀県で作られた磁器で、オランダの東インド会社など通じてヨーロッパ各国へと渡りました。

調査にあたった学習院大学の荒川正明教授によりますと、古伊万里は細かく描かれた文様やきらびやかな印象などが特徴で、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで高い人気を誇り、王侯貴族たちが競うように求めました。

ロースドルフ城の城主も城内に飾っていたとみられますが、第2次世界大戦の終結直後、旧ソビエト軍がこの城を接収した時にほとんどが破壊されてしまいました。

破片はおよそ1万点に上り、こうした悲劇が再び起こらないようにと城主が城の歴史の象徴として残していたところ、これを知った日本の有志が5年前に「古伊万里再生プロジェクト」を発足させ、修復と学術調査を行いました。

修復は破片の一部を里帰りさせて日本の技術で行われ、これまでにおよそ40点が元の姿に戻りました。

修復部分をオリジナルの破片の質感に近づけるために、光を当てたときの見え方に違いが出ないように工夫し、色をつける釉薬がすこしぼやけるように再現したほか、裏側はあえて復元しないことで破壊された過去も分かるようになっています。

特別展ではこのほか、日本ではほとんど見られない六角形のすかしが多く彫られた輸出用の瓶や、同じように破壊された中国やヨーロッパの陶磁器も展示されています。

調査で判明したことは

修復にともなう調査では、江戸時代の古伊万里のデザインが明治時代になっても海外で人気があったことや、中国やヨーロッパの陶磁器と互いに影響し合っていた歴史も分かりました。

学習院大学の荒川正明教授らの調査チームは4回にわたって現地で調査を重ねたほか、修復の過程で材料の土などを詳しく調べ、古伊万里が作られた時代や産地などを調査しました。

その結果、江戸時代ではなく明治初期に作られたものが含まれていることが分かり、荒川教授は、ヨーロッパでの「古伊万里人気」にあやかって明治に入ってからも「古伊万里風」の焼き物が作られ、「復刻版」を輸出していたことが確認できたとしています。

さらに、世界的に知られる焼き物の産地の中国の景徳鎮やドイツのマイセンで、古伊万里に似せて作られた作品があることも分かりました。

磁器の取り引きで主役だった古伊万里の市場を奪還しようとしていたと考えられるということです。

荒川教授は「破片1つからでも陶磁器の競争の歴史などいろんなことが分かる。今後も調査を続けて世界における日本の陶磁器の役割を解明していきたい」と話しています。

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