「声を上げれば世界は変えられる」核兵器禁止条約発効へ

「声を上げれば世界は変えられる」核兵器禁止条約発効へ
世界は自分とは関係ないところで動いている。そのような思いを抱く人がほとんどではないだろうか。お届けするのは、世界は変えられると信じ続け、本当に動かした若者や人生の先輩たちの物語。彼らが実現を諦めなかった、核兵器を禁止する条約は効力を持つことに。核兵器は、来年には国際法で“違法”になる。
(アメリカ総局 佐藤文隆/科学文化部 籔内潤也/ネットワーク報道部 松本成至/ヨーロッパ総局 古山彰子)

“核兵器の規範 自分たちが変える”

「核保有国が変わらないのならば、自分たちが規範を変える」

2007年、オーストラリア メルボルン。核兵器を本当になくそうと新たな活動を始めた人たちがいた。それが国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンだ。
世界には、地球を何回も破壊できるだけの核兵器がある。

核兵器がひとたび使われれば、ばく大な数の人が亡くなるほか、日が差さなくなり「核の冬」を迎え、食糧危機も起きる。

このようなシミュレーションを行い、核廃絶運動を推進してきた医師らのグループのメンバー、そして趣旨に賛同する若いメンバーが次々に加わった。

若者たちの躍動

彼らの活動を初めて目の当たりにしたのは、2013年、ノルウェーの首都、オスロで開かれた国際会議だった。
3月初め、会場となったオスロのホテル前にはまだ雪が残っていた。

初日の朝、次々に訪れる各国政府の代表たちに向かって、道路脇に並んだICANのメンバーたちが口々に叫んでいた。多くは20代や30代の若い世代だ。

「Thank you for coming!(来てくれてありがとう!)」

はじめからプレッシャーや要求を前面に出すのではなく、まずは核廃絶の議論への参加に「感謝」する。従来の「核廃絶運動」のイメージとは違う若者の姿は新鮮に映った。

核廃絶運動 新たなアプローチ

核廃絶運動は、「核抑止論」と呼ばれる考えにはじき返されてきた。「核兵器があるから、大国どうしは衝突を避け、戦争を起こさない」とするこの考えで、核兵器の保有は正当化され、注目は各国の「パワーバランス」に集まりがちだった。

オスロでの会議は、そんな「抑止」や「バランス」ではなく、そもそも核兵器がどんなものか、使われた場合に人類にもたらす破滅的な影響=「非人道性」に焦点を当てるもの。

シンプルだが新しいアプローチは広がりを見せ、ノルウェーなどの呼びかけで会議に参加した国はおよそ130か国に上った。

外交官1人1人に…

ノルウェー政府と連携し、会議の準備段階から関わってきたICANのメンバーたち。各国の政府代表が主役となる本番の会議でも水面下で動いていた。

休憩時間を狙い、会場のホールや通路など至るところで、フレンドリーに、しかし熱心に各国の代表1人1人に声をかけていた。

「ほかの国は発言しています。あなたの国は発言しないのですか?」
ICANが各国に繰り返し発言をうながしたのは、会議の「機運」がその後の道筋を大きく左右しかねないからだった。定例でもなく、何かの枠組みを決めるわけでもない、初めての会議。多くの国々の発言で核廃絶に前向きな機運が高まらなければ、一度きりの会議で終わり、新たなアプローチは最初からつまずくことにもなりかねない。

時に焦りも感じられたが、ICANのメンバーは何度も打合せを重ねながら、ノルウェー政府とともに参加国から「核兵器は廃絶すべき」という趣旨の発言を次々に引き出していった。

「舞台を変えた」

そして終盤、ついにメキシコの代表が次回の会議の開催国に名乗りを上げ、場内を包む熱気や拍手とともに「核の非人道性」の議論をさらに深めていくことが決まったのだった。
ICAN幹部
「これまで国家間の安全保障の文脈でしか語られなかった核兵器を、『人道』という誰もが賛同できる文脈で語れるようにして、舞台を変えた。大きな成果だ」
同様の会議は翌年にもメキシコ、オーストリアで相次いで開かれ、核兵器の問題は人道の問題だととらえる流れが徐々に作られていった。

メキシコの代表はICANの主張に同調。2016年には「核軍縮を止める核保有国の拒否権をこれ以上受け入れることはできない。核軍縮の流れを止めてはならない」と述べるに至った。

経済的にアメリカに依存し、意見の表明に消極的だった国々も、このころには「核兵器の法的禁止」を訴えるようになっていた。

この中で生まれたのが、核兵器の開発や保有、使用などを禁止する「核兵器禁止条約」を作ろうという機運だった。オーストリアやメキシコなどが主導した条約で、ICANは各国の代表に国際会議のスピーチの内容までアドバイスし、条約を支持する国を次々と増やしていった。

減らない核兵器

75年前の1945年、アメリカが広島と長崎に原爆を投下して以降、冷戦の激化に伴って核軍拡競争が始まった。1962年のキューバ危機では、アメリカと旧ソビエトの核戦争直前まで危機が進行した。
核弾頭の数は、1980年代後半のピークには世界でおよそ7万発に。今でも世界には地球を何度も滅ぼせる1万3000発もの核兵器が存在している。

そして核を保有するのは、米ロ英仏中に加え、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国に上っている。

アメリカなど5つの核保有国はNPT=核拡散防止条約で核軍縮の義務を負っているのに、核弾頭の数はなかなか減らない。

さらに、米ロの核軍縮条約、INF=中距離核ミサイルの全廃条約は2019年に失効し、トランプ政権は新たな核兵器の開発に積極的だ。

その中で核廃絶を訴えてきた被爆者は高齢となり、広島や長崎で取材させていただいた被爆者の訃報も毎年聞くようになった。

被爆者の思いと裏腹に、核兵器をめぐる国際情勢は危うさを増している。

希望を感じた被爆者

ICANのメンバーに出会ったとき、長年訴え続けてきた被爆者は希望を感じた。
サーロー節子さん。13歳の時、広島の爆心地から1.8キロで被爆し、建物の下敷きになった。差してきた光と聞こえてきた声を頼りに命からがら逃げ出した。

1950年代からカナダに住み、世界各国で自身の体験を語り、核廃絶を訴えてきた。

「自分が訴えなければ、多くの人が原爆の被害を知らないことになってしまう」

原爆によって戦争が終わったという意識が強いアメリカ。そして多くの人が無関心なカナダ。長い間かけて少しずつ共感する人たちを増やしてきたが、核問題への関心は必ずしも高まらず、限界を感じることもあった。

そんなときにカナダの首都、オタワで出会ったのがICANのメンバーだった。
サーローさん
「エネルギーにあふれた若者たちで、新しいアイデアが次々と湧いてくるのに驚いた。ICANのメンバーたちは核兵器の非人道性について話していて、私たちの長年の活動が通じ、1人ではないと感じた。彼らの存在は癒やしにもなった」
ソーシャルメディアでつながり、各国の外交官にロビーイングを進めるICANの若者たちを見て、心強さと自分たち被爆者の活動に対する信頼を感じたという。

ジュネーブ、ウイーン、ニューヨーク…。国際会議や外交交渉、ICANが活動する場にはサーローさんも同席し、姉や4歳だったおいなど親族8人、そして351人の同窓生を亡くした自身の被爆体験を語り、核廃絶を訴えてきた。

私たちは、サーローさんの演説で各国の外交官が心を動かされる様子を何度も目の当たりにしてきた。

条約採択 ノーベル平和賞受賞

被爆者と若者たちが外交官を巻き込んだ粘り強い活動は、大きな成果を上げることに。

2017年7月7日、ニューヨークの国連本部第1会議場。その瞬間、興奮に包まれ、大きな拍手は数分間鳴り止まなかった。

あわせて1か月間に及んだ交渉の末、122の国と地域の賛成によって核兵器禁止条約は採択された。
ICANはその年のノーベル平和賞を受賞し、サーローさんは授賞式で演説。

「“あきらめるな、押し続けろ、光の方にはっていくんだ”」

建物の下敷きになった自身の被爆体験を引き合いに、厳しい状況の中でも核廃絶に向けた取り組みを続けるよう呼びかけた。

“声を上げ続ける”

サーローさんが繰り返し述べる言葉がある。
サーローさん
「世の中がおかしいならば、声を上げなければいけない。どんなに時間がかかっても、変えるよう続けなければならない。それが私のアクティビズム(活動の考え方)なんです」
サーローさんは88歳の今も、賛同してくれる人を増やしながら、自分たちを苦しめた核兵器をなくせるよう活動を続けている。

核兵器を禁止する条約 来年発効へ

ICAN フィン事務局長
「できないと思われていた核兵器を禁止する条約が発効する。核兵器は道徳に反するだけでなく、これからは違法になるのだ」
サーローさん
「社会の無関心にさらされたり、核保有国の外交官から見下されたこともありましたが、私たちは成し遂げました。亡くなった人たちのことを無駄にせず、同じような苦しみを味わう人が二度と出ないようにするという誓いを立てて、長年訴えてきました。達成感、満足感、感謝の思いでいっぱいです」
2020年10月24日。「核兵器禁止条約」を批准した国と地域は50に達した。

「批准」とは、それぞれの国内で法的に認める手続きで、条約は来年1月22日に効力を持つことになる。

長年核廃絶を求めてきた広島や長崎の被爆者やICANのメンバーは、“核兵器の時代の終わりが始まった”と喜びの声を上げた。

若者たち、理論的支柱となった上の世代の活動家、そして被爆者が協力。賛同する国を粘り強く増やし、核兵器禁止条約の発効につなげたのだ。

核兵器禁止条約で世界は変わるのか

条約は、核兵器をなくし、本当に世界を変えることにつながるのか。

国連には加盟する国と地域が193あり、条約に普遍性を持たせるには少なくとも100以上の参加が望ましいとされる。

核保有国などは明確に反対。一部の国は、批准した国や賛成している国に対し、条約から抜けるよう圧力をかけている。
そして、唯一の被爆国、日本。

政府は、核廃絶という目標は共有しているとしつつも、条約は核兵器の削減にはつながらないとして、参加しない方針をたびたび示してきた。

現実には、条約ができても、すぐには核兵器はなくならない。それでもICANのメンバーたちは、条約ができることによって「核兵器は違法である」という規範ができる意義は大きく、世界を変えていけると考えている。

核を“存在してはいけない兵器”に

前例はある。

市民社会と有志の国の働きかけで作られた、対人地雷禁止条約(1999年発効)や、クラスター爆弾禁止条約(2010年発効)だ。
当初は反対する国もあったが、いまや対人地雷禁止条約は164の国と地域、クラスター爆弾禁止条約は110の国と地域が加盟するに至っている。

新たな国際規範となって、加盟していない国も製造、保有、使用を控える大きな圧力になっている。

ICANや核兵器禁止条約を推進してきた国々は、核兵器もこれらの兵器と同様、“存在してはいけない兵器”として認識されるようになることを目指している。

これまで核保有国の自主的な動きに任せるしかなかった核兵器の削減。市民社会や核兵器を持たない国の力で、変えられるかもしれないという前例が作られようとしている。

そして、日本へ

ICANのフィン事務局長は、被爆国、日本の私たちに向け、こんなメッセージを出している。
フィン事務局長
「日本人は国を守るために本当にアメリカに核兵器を使ってほしいのか、日本のために他国を核兵器で攻撃してほしいのか、もっと考えてほしい。核兵器がもたらす人道的影響、経済的なダメージ、そして代償を直接知っているのは日本だけです。核兵器禁止条約に参加することをなぜためらうのか、何を恐れているのか」
世界を変えてきた彼らの思い、あなたはどう受け止めますか?
アメリカ総局
佐藤文隆
1992年入局 現在、ニューヨークで国連の取材を担当。大阪局、国際部、北京、ソウルなどで勤務。広島局時代には被爆者を取材。
科学文化部
籔内潤也
1996年入局 科学文化部医療担当デスク。長崎局で原爆担当デスク。ニューヨーク駐在時に核兵器禁止条約の採択を取材。
ネットワーク報道部
松本成至
1998年入局 岡山局、社会部などで勤務。広島局時代にオスロ会議でICANを現地取材。
ヨーロッパ総局
古山彰子
2011年入局 広島局で原爆・ICANの取材を開始。国際部を経て、現在は国連ヨーロッパ本部などを取材。