ALS患者嘱託殺人事件~当事者たちの声

ALS患者嘱託殺人事件~当事者たちの声
最初に異変を感じたのは、駆け足で急いでいて道路で転んだとき。その後、女性は歩くことも声を出して会話をすることもできなくなっていきました。発症したのは全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病、ALS。闘病に寄り添った友人は「本人は『死にたい』と言っていたが、その中に『生きたい』気持ちがあるのだろうと思っていました」と語りました。

事件で亡くなった女性が抱えていた苦しみを、私たちはどう受け止めればいいのか、ALSの当事者たちの言葉とともに見つめました。
(取材:京都放送局 小山志央理・横浜放送局 田頭浩平 廣岡千宇)

京都・51歳女性/嘱託殺人事件で亡くなるまで

事件で亡くなった林優里さん(当時51歳)。

京都市の出身で、アメリカの大学で建築学を学び、帰国後は東京の設計会社に就職しました。40代前半になり、ますます活躍が期待されていた9年前、突然、ALSを発症しました。

ALS=筋萎縮性側索硬化症の国内の患者はおよそ1万人。

意識ははっきりしたまま、筋力だけが失われていく難病で、その原因はよく分かっておらず、有効な治療法も確立されていません。

発症後、林さんは仕事を辞めて実家のある京都市に戻り、ヘルパーの支援を受けながら、マンションで1人暮らしを始めました。はじめのころは、車いすで外出もしていましたが、1年ほどでベッドで寝たきりの状態になりました。
コミュニケーションの手段は主に文字盤と視線入力のパソコンでした。林さんはこのパソコンを使って、SNSやブログにさまざまな文章を投稿していました。

『動かない、食べられない、話せない、私の身体』。

『屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない』。

症状が悪化する中、SNSには死を望む内容が繰り返しつづられていました。

その投稿を見てつながったのが、事件で逮捕された医師でした。医師はそれまでも安楽死を肯定する内容や独自の死生観をSNSに投稿していました。

医師ら2人は、林さん本人から依頼を受けて薬物を投与して殺害したとして、ことし7月に嘱託殺人の疑いで逮捕、その後、起訴されました。

東京・62歳男性/“命の選択”は身近な問題

患者自身が死を願い、それをSNSで知り合った主治医でもない医師が実行する-事件は大きな波紋を呼びました。

林さんが抱えていた苦しみをどう受け止めたらいいのか考えたいと、私たちはALS当事者の方たちに話を伺うことにしました。

そのひとり、日本ALS協会の前会長で自身も当事者の岡部宏生さん(62歳)。都内のマンションで、介護ベッドに座って出迎えてくれました。
全身をほとんど動かせず、言葉を発することができないため、視線で文字盤を一字ずつ示し、介助者が読み取る形で会話をします。事件についてはこう伝えてくれました。
岡部さん
「大変な衝撃を受けました。被害者がそのような依頼をしなければならなかったことについてです」
一方で亡くなった林さんの苦しみにも理解を示しました。

岡部さん自身、ALSを発症した14年前は会社を起業して仕事に打ち込んでいた頃で、人生が一変し、自ら命を絶つことも考えたからです。
岡部さん
「ALSのような過酷な病気だと死にたくなるようなことは珍しくありません。私のような活動的で、人から大変元気に思われているような患者でさえ、“生きたい”と“死にたい”を繰り返しているのです」
実際、私たちが亡くなった林さんの投稿などを丹念に読み返した際、趣味のサーフィンやALSの新しい治療法など、生きることに前向きな投稿もありました。

『次々とALS関連の治療法や新薬のニュースが出てきている。来年にも治験が始まるかも…』

『一度も着ることのなかったフルオーダーのウェットスーツはもしもの未来のためにとってある』

闘病生活に寄り添ってきた友人の1人は取材に対し「本人は死にたい死にたいと言っていたが、死にたいの気持ちの中に生きたい気持ちがあるのだろうと思っていました」と振り返っていました。

岡部さんも、こう伝えてくれました。
岡部さん
「私は被害者の女性も気持ちが揺れていたと思うのです。しかし逮捕された医師たちは、揺れる気持ちの中の“死にたい”というほうだけを聞いて、それを実現させてしまいました。彼女の“生きたい”という気持ちについてはどう考えていたのでしょうか?」
岡部さんは、今回の事件だけでなく、多くのALS患者が“命の選択”を迫られる場面に直面していることを知ってほしいといいます。

ALSは進行に伴い次第に呼吸に必要な筋肉も弱っていくため、当事者の多くは、発症後2年から5年で自分で呼吸が出来なくなるとされていて、その際に人工呼吸器をつけるかどうかを、自ら選ばなければならないといいます。
岡部さん
「人工呼吸器をつけるかどうかは、まさに“生きる”か“生きることをあきらめる”かという決断です。それを自分でしなければならないところがALSの過酷なところです。私はそれぞれの患者の意思を尊重しています。でも心の中ではいつも、“生きてほしい”と強く願っています」
厚生労働省の調査では呼吸器を付ける選択をした人は全体の3割で、残る7割はさまざまな理由から、呼吸器をつけずに亡くなっているといいます。

岡部さんの友人の中にも、家族への介護負担や症状の進行などを理由に呼吸器を付けない選択をして亡くなっていった人たちもいると言います。

岡部さんは、当事者が少しでも生きやすく、家族も自分の暮らしを大事に出来る支援が必要だと考え、現在、NPO法人を設立して介護者の育成に取り組んでいます。
岡部さん
「人がそばにいてくれるということは本当に大事だと思います。私の周りには私のために一生懸命になってくれる人がいます。私が生きる気力を失いそうな時でも、この人たちがかたわらにいてくれたら生きていけるのです」

長野・46歳男性/“命をつなぐ”制度と出会って

事件で亡くなった林さんに共感しながらも、生きる決意を固めた人もいます。

長野市に暮らす宮川秀一さん(46歳)。美容師として働いてましたが、去年ALSを発症。進行が早く、1年たったいまは全身がほとんど動かなくなり、人工呼吸器を使っています。

気管切開によって声が出せなくなる前に、自分の声の音声データを残していたため、今も視線入力のパソコンを活用して、かつての自分の声で会話をしています。

事件の受け止めをこう語りました。
宮川さん
「本人の気持ちは痛いほどわかります。もし私に妻や子どもがいなかったらどうしていたか、そう考えたこともあります。でも自分1人で決めては命がもったいないと思います」
宮川さんがそう考えるのには理由がありました。

宮川さんは人工呼吸器をつけたあと、たんの吸引などのために24時間の介護が必要になりました。当初、妻の明日香さんは美容室の仕事や子どもの世話、それに介護に追われ、睡眠が1、2時間しか取れない日もめずらしくなかったといいます。
妻・明日香さん
「なんで私がこんなにやらなきゃいけないんだろうとか、そういう事を思っちゃうと、私こんなにひどい人間だっけ、って。一番ひどい時は寝てなくて手が回らなくなったときに、一緒に死んじゃってくれないかな…っていう時はありました。私と一緒にお願いって。
ハッとして、ひどいこと思っちゃったことにまた落ち込んで…」
そうした状況が改善したのは、患者の支援にあたるコーディネーターと偶然出会い、「重度訪問介護制度」を知ったことがきっかけでした。

通常の介護制度が利用できる時間が限られているのに対し、「重度訪問介護制度」は昼夜を問わず一日中ヘルパーの介護を受けられます。

まだ自治体によって制度の浸透には差があり、長野市では2例目でしたが、この制度を使えるようになったことで、今では週に6日、日によっては24時間、介護を任せられるようになり、明日香さんにも笑顔が戻ってきています。
呼吸器をつけて一命を取りとめたことで、ことし小学校にあがった息子の入学式にも出席することができた宮川さん。

一方で、今も進行する症状への恐怖は続いています。
宮川さん
「想像してみてください。体も表情筋も動かない、でも感覚と意識はあるんです。発症からたった1年で笑顔も作れません。それもどんどん進行しています。最近は目が覚めると右目がしばらく開きません。毎回、今日も開いてよかったと目覚めます。そのせいで寝れない日もあります」
しかし、そう語ったあと、こう続けました。
宮川さん
「でも、その恐怖より毎日の普通の生活、景色、家族、人とのつながりを感じられる方が大きいです。本物の人の温かさを初めて知りました。ただそこにいるだけでも家族の幸せを感じます。学校に通う姿を見ただけで涙が出るほど感動します。新しい月、新しい日にも嬉しさを感じます。何気ない日常が本当に輝いて見えるようになりました。心の筋肉さえ残ってくれていればいいと思っています」

京都・62歳男性/意思疎通が難しくなっても

今回の取材の中で、私たちは、症状が進み意思疎通が難しくなったあとも、周囲のサポートを受けながら暮らしている男性に出会いました。

京都市の甲谷匡賛さん(62)です。

18年前にALSを発症し、町屋でひとり暮らしをしています。当初はブログに死を望む発言を投稿することもありましたが、友人や周囲の支えで在宅生活を始めると「生きたい」という思いに大きく変わったといいます。
その甲谷さんを主に支えるヘルパーは、古くからの友人たちです。
日課の毎日の散歩に付き添わせていただくと、どこか明るい雰囲気に気持ちが和みました。

10年以上ヘルパーとして関わってきた友人の志賀玲子さんは「本当に意思をくみ取れているかどうかはわからないんですけど」と笑顔で話しながら、長年のつきあいから体の反応をもとに甲谷さんの気持ちをくみ取るようにしていると教えてくれました。
志賀さん
「みんなが関わるようになり、甲谷さんが生きようと思ってくれたのはうれしかったです。伴走してくれる人がいると思えればずいぶん違うのかもしれない。私自身も『ALSってこういう病気』と聞いた時、最初はすごく怖いと思いました。でも10何年という長い時間、甲谷さんと体の変化を含めて関わることができ、私自身の死生観やALS観というものも、少しずつ変化していった。もちろん過酷な運命自体は変わらず、そこに厳然としてあるけれども、その中でも人は必ずしも絶望だけで生きているわけではない。甲谷さんのところに来てみんな一緒に笑って、一緒にいるという現実がある」

「生きたい」を支えられるように

今回の事件は、人の尊厳や死生観にもかかわり、議論すること自体に難しさを感じて取材を始めました。

当事者の方に話を伺う中で感じたのは、過酷な病気と向き合い「生きたい」気持ちと「死にたい」気持ちに揺れる人たちの「生きたい」をまずは支えられる環境を徹底して整えることから始めたいということです。

私も、あなたも、あすALSを発症するかもしれません。

介護制度、病気への理解、家族への支え…その時、どんな環境があったら生きやすいでしょうか。

ALS当事者の方たちが、視線を使ってひと文字ひと文字紡いで伝えてくれた言葉、10月14日(水)午後10時放送の総合テレビ「クローズアップ現代+」でも詳しくお伝えします。
京都局記者
小山志央理
横浜局映像制作
田頭浩平
横浜局記者
廣岡千宇