作曲家 筒美京平さん死去 80歳 昭和を代表する歌謡曲を作曲

作曲家 筒美京平さん死去 80歳 昭和を代表する歌謡曲を作曲
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「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「また逢う日まで」など昭和の歌謡界を代表するヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。80歳でした。
13日は筒美さんとペアを組んで数々のヒット曲を世に送り出した作詞家の松本隆さんが死去の知らせを聞いたときの心境をつづりました。
筒美さんは昭和15年に東京で生まれ、青山学院大学在学中にジャズに親しみ、その後、大手レコード会社で音楽ディレクターとして働きながら作曲活動を始めました。
昭和42年、グループサウンズのヴィレッジ・シンガーズが歌う「バラ色の雲」がヒットして名を上げ、翌43年には、いしだあゆみさんが歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットし、作曲家としての地位を不動のものにしました。

大学時代の先輩だった橋本淳さんをはじめ、阿久悠さん、松本隆さんら著名な作詞家とペアを組み、いずれもレコード大賞を受賞した尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」やジュディ・オングさんの「魅せられて」など、昭和の歌謡界を代表する名曲を世に送り出しました。

1970年代以降はアイドル歌謡も多く手がけ、南沙織さんの「17才」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」や「ギンギラギンにさりげなく」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」など、黄金期を彩る数々の曲を生みました。

さらに、のちの「JーPOP」にも大きな影響を与え、1990年代には小沢健二さんの「強い気持ち・強い愛」などを、2000年代にはTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」など世代を超えた人気楽曲を手がけ、これまでに作曲した作品数は3000曲近くにのぼっています。

このほか、国民的テレビアニメ「サザエさん」のオープニングとエンディングのテーマ曲も手がけています。

筒美さんは、こうした功績で平成15年に紫綬褒章を受章しています。

家族などによりますと、筒美さんは、自宅で病気療養を続けていたということですが、今月7日、誤えん性肺炎のため亡くなりました。

80歳でした。

作詞家 松本隆さん「彼ほどぼくの言葉を愛した人いない」

筒美京平さんとペアを組んで「スニーカーぶる~す」や「木綿のハンカチーフ」など数々のヒット曲を世に送り出した作詞家の松本隆さんは、13日夜明け前、自身のツイッターで筒美さんと2人で写った写真を添えて、「神戸のラジオ局でマイクに向かってると、『京平先生が亡くなった、、、』と太田裕美からメールが入った。瞬間、涙の洪水になりそうな心を抑えて、平常心を保ちながらラジオを終わらせた。取り乱さなくて偉いでしょ、褒めてよと天国の京平さんに呟く」と死去の知らせを聞いたときの心境をつづっています。
続くツイートでは「作詞家になった瞬間、目の前に筒美京平は立っていて、先輩と後輩であり、兄と弟であり、ピッチャーとキャッチャーであり、そして別れなければならない日が来ると、右半身と左半身に裂かれるようだ」と筒美さんとの関係を表現していました。そして、「ぼくが京平さんからもらったものはありったけの愛。彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない。ありがとう、京平さん。いつかぼくも音符の船に乗り、天の園に舞い上がる日が来る。少しの間、待ってて。そうしたら笑顔で、喜んだり怒られたり哀しんだり楽しく語り合おうね」と筒美さんへの感謝の思いをつづっていました。

時代を彩った数々の楽曲

これまでに3000曲近くにのぼる楽曲を手がけてきた筒美京平さん。それぞれの時代を彩った主な作品をまとめました。

▽1967年 ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」
▽1968年 いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」
▽1969年 宇野ゆう子「サザエさん」
▽1971年 尾崎紀世彦「また逢う日まで」/平山三紀「真夏の出来事」/ 南沙織「17才」/
▽1972年 郷ひろみ「男の子女の子」
▽1973年 麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」
▽1974年 野口五郎「甘い生活」
▽1975年 岩崎宏美「ロマンス」/太田裕美「木綿のハンカチーフ」
▽1978年 庄野真代「飛んでイスタンブール」/野口五郎「グッド・ラック」
▽1979年 ジュディ・オング「魅せられて」/桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」
▽1980年 近藤真彦「スニーカーぶる~す」
▽1981年 近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」/松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」
▽1985年 C-C-B「Romanticが止まらない」/斉藤由貴「卒業」/小泉今日子「なんてったってアイドル」/少年隊「仮面舞踏会」
▽1986年 中山美穂「ツイてるねノッてるね」
▽1994年 NOKKO「人魚」
▽1995年 小沢健二「強い気持ち・強い愛/それはちょっと」
▽2003年 TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」

ジュディ・オングさんや太田裕美さん 近藤真彦さんも追悼

筒美さんが作曲した「魅せられて」を歌った歌手のジュディ・オングさんは「ショックでまだ信じられません。筒美先生は歌手としての私を目覚めさせてくれた恩人です。そして、『魅せられて』は私に大きなパワーを与えてくれました。これからも、いただいた曲を大切に、心を込めて歌い続けていきます。ご冥福を心よりお祈りいたします」というコメントを出しました。

筒美さんが作曲した「木綿のハンカチーフ」を歌った歌手の太田裕美さんは、自身のツイッターで「筒美先生が亡くなられた…哀しくて哀しくて…涙が止まらない…」とつづっています。

筒美さんが作曲した「ロマンス」を歌った歌手の岩崎宏美さんは「切なくて、悲しい気持ちでいっぱいです。筒美先生の優しい笑顔が今も目にうかびます。昨年、筒美先生のトリビュートアルバムを作り、先生に聴いていただけたこと、そしてとても喜んでいただけたことが、大切な思い出となりました。私はたくさんの作品をいただいているので、これからも大切に歌い続けたいと思います。それが先生への何よりのご供養になると信じて頑張ります。ご冥福をお祈り申し上げます」というコメントを出しました。

音楽プロデューサーのつんく♂さんも自身のツイッターで「憧れに憧れた作曲家先生。ご冥福をお祈りいたします。先生の曲に歌詞をのせたかったです」などとつづっています。

筒美京平さんが作曲した「スニーカーぶる~す」や「ギンギラギンにさりげなく」などを歌った歌手の近藤真彦さんは「京平先生のご自宅で、先生のピアノの音に合わせて発声練習をしたのが僕の歌手の始まりでした。数々のヒット曲を頂き、今、僕がこうして歌い続けていられるのは、紛れもなく京平先生のおかげです。10年以上前になりますが、よくジムのロッカールームで声を掛けて頂きました。その時の優しい笑顔は今でも忘れられません。京平先生が残してくださった名曲は、これからも歌い続けていかれるでしょう。心からご冥福をお祈りいたします」とコメントを出しました。

シングル売上枚数 作曲家で国内最多

筒美京平さんはミリオンセラーのヒット曲を複数生み出し、シングル曲の国内での総売上枚数は、作曲家の中で最も多くなっています。

筒美さんは50年以上にわたる活動の中で3000曲近くの楽曲を生み、オリコンの調べによりますと、作曲したシングル曲の国内での総売り上げ枚数は7560万枚を超えていて、歴代の作曲家の中でも最も多い記録となっています。

作曲家別では、1位の筒美さんに次いで、
▽2位が小室哲哉さんの7184万枚、
▽3位が織田哲郎さんの4180万枚、
▽4位が桑田佳祐さんの3901万枚、
▽5位がつんく♂さんの3825万枚などとなっています。

また、筒美さんが作曲した歴代のシングル曲では、
▽最も売り上げたのがジュディ・オングさんの「魅せられて」で123万枚、
▽2位が近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」で104万枚、
▽3位がいしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」で100万枚、
▽4位が尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」で95万枚、
▽5位が岩崎宏美さんの「ロマンス」で88万枚などとなっています。