母乳、出ているの?

母乳、出ているの?
『赤ちゃん連れだと「母乳?」て例え初対面だろうとお年寄りに聞かれる』から始まるツイートが話題です。ツイートした女性はたびたび聞かれるこの手の質問に嫌な気持ちを抱いてきました。その気持ちがいま、少し変わってきています。(ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子 杉本宙矢)

不思議だった問いかけ

ツイートはこんな文面で始まります。
『赤ちゃん連れだと「母乳?」て例え初対面だろうとお年寄りに聞かれるの、何故だか不思議だった』
投稿したのは「かいろ@9m」さん。連絡をとってみると9か月の赤ちゃんを育てている20代のお母さんでした。ツイートはこう続きます。
『ですけど祖母(88歳)と話して謎が解けました。「もらい乳」の名残りです!!!!!昔はお乳が足りない時はよその母乳育児している人に授乳してもらったり、逆によその赤ちゃんに吸ってもらって分泌促したりということをしていたから、「○○の△△さんは母乳が出る」という情報を把握しておくのが普通だったんですって…』

『現代の価値観だとデリカシーない発言だけど、昔だと育児インフラ状況の確認だったんですね…』

“乳姉妹”だ、もらい乳に反応次々に

かいろ@9mさんがツイートすると、もらい乳に関する反応が次々と寄せられます。
ツイッターより
「祖母が生まれて間もなく(祖母の)母親が亡くなり、もらい乳で育ったと聞きました。そのご家庭の娘さんとは『乳姉妹だ』と生前よく話してました」

「てことは、80代くらいのおばぁちゃんは、本当に挨拶みたいなノリてことかもしれない??母乳神話でもなく、そもそもミルクがない時の名残りかもなんですね」
また粉ミルクが手に入らない時代だったのか、こんなツイートもありました。
ツイッターより
「私の近所のおばあさんは、ヤギの乳を飲ませたり頑張ったけど、娘さんを亡くしたそうです。ミルクなんて無かったから…と悲しそうに話してくれました」
かいろ@9mさんが祖母から“もらい乳”ということばを聞いたのは先月、実家に電話をした時です。

88歳の祖母が電話に出て「実家の近所の赤ちゃんは混合(母乳だけでなく粉ミルクなども活用すること)なんだって」と話しかけてきました。
「今はそういうのは個人的なことだから聞いちゃダメだよ」と伝えたかいろ@9mさん。自身も母乳が出るのかと聞かれることがよくあり、「すごく個人的なことを聞いてくるなと面食らっていた」のです。

ところが電話口の祖母からはこんな言葉が出てきました。
「昔は“もらい乳”があったから、そのころの習慣で聞いてしまったの。悪いことをしてしまったわ…」

習慣からつい出てしまったことばと知ったかいろ@9mさんはこう話しています。
かいろ@9mさん
「祖母の話を聞く前は、母乳について聞かれると、私が母親としてキチンとやれているのかチェックされているようなプレッシャーを感じていました」
「でも聞かれる理由がわかって『なるほど!』と少し気持ちが軽くなりました。今も聞かれるのは正直嫌なのですが、前より気楽に答えられるようになりました」

もらい乳=命をつなぐネットワーク

歴史学者で江戸時代の捨て子や、授乳をテーマに研究をしている岡山大学大学院の沢山美果子客員研究員はこう話します。
沢山研究員
「もらい乳は文化や風習という言葉では済まされない。それがなければ赤ちゃんの命をつなげない“切実な手段”だったんです」
江戸時代は妊産婦の死亡率も高く、子どもが母乳を口にできる手段があるかどうかが命に関わることだったそうです。
沢山研究員
「母と子の命がもろい時代に母ひとりの手に子育てを託すことはできない。赤ちゃんの命をつなぐためにもらい乳のネットワーク形成が必要不可欠だったと考えています」
江戸時代の文献を調べても、「人乳」「女の乳」という言葉はあっても、「母乳」という言葉は見つからず、「乳」は必ずしも「実母の乳」を指す言葉ではなかったと沢山さんは考えています。

もらい乳はいつまで

いつごろまで、もらい乳があったのか。

沢山さんは、高度経済成長の前、1950年代ごろはまだ地方などで行われていたと考えています。次のような手紙が沢山さんのもとに寄せられているそうです。
寄せられた手紙より
「1948年に新潟に生まれたが、母が産後体調を崩し、乳が出なくなった。親戚の女性に預けられて、その方の乳で育ったと聞いている」

「1948年に長男を産んだ時、お乳がたくさん出て近所のお乳が足りない赤ちゃんにあげて喜ばれた」

“おばあちゃんの原宿”で聞いた

そして「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる巣鴨でも聞いてみました。巣鴨の商店街で道行く人に話を聞くと「親世代にはあったらしい」という声がまず聞かれました。
そして話を聞いて6人目、同級生4人で来ていた女性が「わたしはもらい乳で育ったんですよ」と教えてくれました。

女性は70歳。産まれた時4000グラム以上の体重があったそうです。
もらい乳で育ったという女性
「体が大きくて母の母乳だけでは足りなかったのか、近所の赤ちゃんのいるお母さんに母乳をわけてもらっていたそうです。成長したときに近所の子のほうが細かったので、『あなたが代わりに栄養を飲んじゃったのかな』なんて冗談で言われてました」
女性が生まれた1950年ごろは、地域によっては粉ミルクがまだ手に入りにくかったそうです。
もらい乳で育ったという女性
「もらい乳は当時はできたと思うけど、今は隣人関係が希薄だし、衛生面を気にする人もいて難しいと思います」

母乳の悩み、いまも深く

授乳を受けられるかどうかは、かつては命を左右することでした。

そして今でも「乳児を育てる母親にとって、育児の悩みのほとんどは授乳に関するもの」と話すのは国立成育医療研究センター新生児科の医師で、育児の相談にあたっている和田友香さんです。
母乳の分泌量を気にしたり、粉ミルクと混合なのが気になったりと悩みは尽きません。

和田医師によると、母乳は、感染症やアレルギー性疾患を予防する効果があると考えられているなどいいところがたくさんあるそうです。

ただ、病気で母乳を飲ませられないお母さんもいて、和田さんは「水を煮沸して殺菌するなど、きちんと作った粉ミルクを飲ませれば大丈夫です」とアドバイスを送っています。
和田医師
「自分のできる範囲で授乳できればそれが赤ちゃんにとっての最適です。完璧を求めずに、楽しく子育てしてほしいと思っています」

助けてと言える社会に

“もらい乳”ということば、私も初めて知りました。そのことばを知っているのかどうかで、母乳に対するとらえ方も大きく違い、それが時には育児に対する考え方のすれ違いを世代間で生み出しているのかもしれません。

そして時代時代で変わってくるものはもちろんあるけれど、変わらないものもあるという沢山さんのことばが心に残りました。
沢山研究員
「歴史的な長い視野の中で考えると、母親が乳をあげることが母性愛の象徴とされるようになったのは近代以降で、いつの時代にも常識であったわけではありません。ただもらい乳があった時代も今も変わらないのは、いつの時代も子どもは母親一人の力では育たないということだと思います。母も子ものびのびと生きられるよう、周囲に助けてと言える社会を作っていく、それはずっと変わらない大切なことだと思っています」