日本人初のノーベル賞 湯川秀樹が追い求めたもの

日本人初のノーベル賞 湯川秀樹が追い求めたもの
毎年行われる、ノーベル賞の発表。日本人が受賞するかどうか、いつも気になりますよね。今回の入試問題は、こちらです。
問題
次の歴史上の人物に関する文を読んで、各問いに答えなさい。

(A~F省略)

G 私は日本で初めてノーベル物理学賞を受賞しました。

問 Gの人物を漢字で答えなさい。

(江戸川学園取手中学校 2018年 改題)
知っている人は多いと思います。
答えは、物理学者の湯川秀樹博士です。

日本人初のノーベル賞受賞者・湯川博士が、どんな思いで研究に打ち込んだのか、そして、世界に何を伝えたのかをたどります。

追い求めたのは「真理」

昭和24年。湯川博士が、日本人初となるノーベル賞を受賞しました。
評価されたのは、「中間子論」。原子核の中で働く力のひとつが、「中間子」と名付けた新しい粒子で生じる、というものです。
湯川博士は初めて書いた論文で、この理論を発表しました。27歳、ノーベル賞受賞の15年前の昭和9年のことです。
このころ、原子核をめぐる研究は、ヨーロッパが中心でした。
しかし湯川博士はこの研究を、日本にいたまま、海外の論文を手がかりに、ほぼ独学で行いました。
「原子核、量子電気力学ノコトヲ 一刻モ忘レルナ」

メモには、みずからを奮い立たせることばを書きつけていました。

信念と好奇心で

大阪大学湯川記念室の委員長として、功績を伝える活動をしている、橋本幸士教授に聞きました。当時の世界の物理学は、どのような状況だったのでしょうか。
橋本さん
「世界中の人がスタートラインに立ったような感じだと思います。教授たちも全然わからないような仮説がたくさんあって、それを若い人もチャレンジできるような。そこを湯川が、先陣を切って自分の能力をもって突き進んだということなのではないかと思います。自分が、信念に基づいて好奇心を持って宇宙の真理を解明していく。好奇心、これはすごく彼の人生にとって大きなものだったんじゃないかと思います」

追い求めたのは「核廃絶」

原子核をめぐる大発見が世に認められた、湯川博士。その後、核兵器廃絶を目指す活動に身をささげました。なぜなのでしょうか。
橋本さん
「やはり、日本に原子爆弾が投下されたということと深い関係があると思います。原子の力を解放した原子爆弾も、基本的な理論のひとつを提唱したのは湯川秀樹本人になるわけですから。その考え方が、本人は意図しないまでも、結局は最終的に軍事利用されて、多くの日本人が亡くなったという事実を、直球で彼は受け止めて、非常に真摯(しんし)に、自分のつくってきた物理学の責任を、自分できちんと説明しながら、人生を全うした人だと思います」
湯川博士とともに核廃絶を訴えたひとりには、あの物理学者・アインシュタインがいます。
橋本さん
「アインシュタインの発見した、世界でいちばん有名な物理の式といいますと、E=m×cの2乗、がありますね。原子爆弾はまさに、この考え方を使っています。実際に、それが使われた兵器がたくさんの人を殺してしまうというのを目の当たりにして、アインシュタインも反戦の活動に転じたと想像できますね。世界、もしくは宇宙すべてを支配するような数式を、ひとりの人間個人が発見してしまった。そういう立場は、アインシュタインと湯川は非常に似ていると思います」

科学者としての「責任」

湯川博士は、こう語っています。
湯川秀樹博士
「私たちのような世間離れした学問をしている者でも、やっぱり、社会に対して責任がある。そういう責任から逃れることはできない」
核兵器のない世界を。

湯川博士は、昭和56年に74歳で亡くなる直前まで、国際会議などの場でメッセージを発し続けました。
湯川秀樹博士
「最近、事態はますます憂慮すべき状態になっております。私たちは、何度でも初心に立ち返りまして、核兵器の全廃を、改めて声を大にして叫びたいと思います」
湯川博士は、人生をかけて真剣に研究に取り組んだからこそ、科学者として社会に対する責任を果たそうと活動していたんですね。
「週刊まるわかりニュース」(土曜日午前9時放送)の「ミガケ、好奇心!」では、毎週、入学試験で出された時事問題などを題材にニュースを掘り下げます。
「なぜ?」、実は知りたい「そもそも」を、鎌倉キャスターと考えていきましょう!。

コーナーのホームページでは、4月放送の第1回からすべての回のおさらいもできます。下のリンクからぜひご覧ください!。