ロシア ナワリヌイ氏 「暗殺」未遂疑惑 誰が?なぜ?

ロシア ナワリヌイ氏 「暗殺」未遂疑惑 誰が?なぜ?
繰り返されてきた「毒殺」。今回狙われたのは、政権を真っ向から批判してきた野党指導者でした。現代でも「毒」の犠牲者があとを絶たないロシア。誰が?どんな目的で?モスクワ支局の北村雄介記者が解説します。(モスクワ支局記者・北村雄介、ネットワーク報道部記者・國仲真一郎)

狙われた男

ことの発端は8月20日、シベリアの都市トムスクからモスクワに向かう旅客機の中に響いた男性のうめき声が、すべての始まりでした。
意識を失った男性。
この日に口にしたのは出発地トムスクの空港で飲んだお茶だけでした。男性に同行していた仲間は、このお茶に毒物が混入された可能性があるなどと主張しています。

男性の名は、アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)。
ロシアでプーチン政権を鋭く批判してきた野党勢力の指導者です。

9年前に「反汚職財団」と呼ばれる非政府組織を設立して、プーチン政権の汚職をインターネット上で告発する活動を本格化させました。
2017年には当時のメドベージェフ首相の豪邸を上空からドローンで撮影した映像を公開。日本円で70億円相当の賄賂として資産家から贈られた汚職の疑いがあると告発しました。
そのナワリヌイ氏、2018年の大統領選挙では過去の有罪判決を理由に立候補が認められませんでした。プーチン政権がナワリヌイ氏を一定の脅威として見ているという受け止めが広がりました。
ナワリヌイ氏の支持層の中核は若い世代で、ユーチューブの登録者は411万人、ツイッターのフォロワーは225万人にのぼります。

ナワリヌイ氏 救出作戦

倒れたナワリヌイ氏を乗せた旅客機は、シベリアの都市オムスクに緊急着陸します。現地の病院で治療を受けましたが、病院は「毒物が混入された痕跡はない」と発表しました。

しかしナワリヌイ氏の妻のユリヤさんや仲間たちはこの発表を信用せず、外国政府に支援を求めます。この要請にこたえたのが、ドイツです。
ドイツのNGOが翌21日、医療用の特別機を派遣し、22日には意識のないナワリヌイ氏を首都ベルリンにある名門の大学病院に転院させました。

8月24日、大学病院は「ナワリヌイ氏に毒が使われた可能性がある」と発表します。さらにドイツ軍の専門家も加わって「毒」の解析を進めた結果、その正体は神経剤「ノビチョク」の一種と判明しました。

「暗殺兵器」ノビチョク 謎に包まれた正体

「ノビチョク」はもともと旧ソビエトが軍用に開発した化学兵器で、その正体は断片的にしか分かっていません。

確かなのは、極めて強い毒性を持つことと、検出が難しいこと。
ロシアはノビチョクを暗殺に使うため、毒の威力を弱めるなど改良を加えて保有し続けているーー欧米や日本の軍事専門家の間では、こうした見方もあります。
ノビチョクの名前が世界中で知られるようになったのは、おととしの事件がきっかけでした。

イギリス南部でロシアの元スパイ・スクリパル氏とその娘が、意識不明の状態で見つかったのです。イギリスの警察はノビチョクを使った暗殺未遂事件と断定。ロシア軍の情報機関に所属するロシア国籍の男2人を容疑者として特定し、写真を公表しました。

繰り返される 「毒殺」の歴史

ロシアでは過去にも、プーチン政権を批判した人物やジャーナリストに対して「毒殺」を試みる事件がたびたび起きています。
2004年にはプーチン政権に批判的な新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のポリトコフスカヤ記者が、国内を旅客機で移動中に体調が急変して意識を失い、毒殺未遂の疑いが持たれました。ポリトコフスカヤ記者は毒の症状からは回復したものの、2年後、モスクワの自宅アパートで銃で撃たれ「暗殺」されました。
2006年にはプーチン政権を批判してイギリスに亡命したロシアの元スパイ、リトビネンコ氏が、亡命先のロンドンで死亡。体内から猛毒の放射性物質ポロニウムが検出されました。
おととしイギリスで起きたスクリパル氏の暗殺未遂事件も、この「毒殺」の系譜に連なります。

ナワリヌイ氏に使われたのがノビチョクの一種だったとドイツ政府が明らかにしたことで、国際社会からはロシアに真相の解明を求める声が強まっています。

「毒殺」の動機は?

仮に、政権が関与したとして、なぜナワリヌイ氏が狙われたのでしょうか?
正確なことはわかりませんが、いくつか考えられる動機があります。

1.地方で高まる政権批判を抑え込む。
プーチン体制となって20年。
長引く経済の低迷やプーチン政権の強権的な政治手法に対して不満がたまっています。象徴的なのがロシア極東のハバロフスクです。
ことし7月、野党に所属する知事が15年以上前の殺人事件などに関与した疑いで捜査当局に拘束されたのをきっかけに市民が猛反発し、抗議集会やデモを続けています。

ナワリヌイ氏は9月13日の統一地方選挙に向けて野党の勢力を拡大するために精力的に地方都市を回って野党の候補者を支援する活動を続けていました。プーチン政権が監視していたことは容易に想像できます。

2.ベラルーシ情勢?
ロシアの隣国ベラルーシでは、26年にわたって国を率いてきたルカシェンコ大統領の退陣を求める大規模な抗議活動が行われています。
盤石とされてきたルカシェンコ政権が揺らいでいるのを見て、同じように強権的な長期政権のロシアでも「政権批判の先頭に立つナワリヌイ氏を放っておけば、いつかベラルーシの二の舞になりかねない」という危機感が高まったとの分析にはうなずけます。

ロシアの反論

プーチン大統領は今回の疑惑について「根拠のない非難は容認できない」と述べ、政権の関与を真っ向から否定しています。プーチン大統領の側近で、対外情報庁を率いるナルイシキン長官は「ノビチョクはロシアではすべて廃棄され、保有も製造もしていない」と反論しました。
またロシア外務省は「アメリカなど西側諸国こそ、ノビチョクと同じ系統の化学物質の製造に関与してきた」として、ナワリヌイ氏の毒殺未遂にアメリカなどが関わっていることを示唆する声明を発表。

しかしこうしたロシアの反論は、国際社会では荒唐無稽な陰謀論と受け止められています。

狭まるか ロシア包囲網

各国はロシアに対する包囲網を強めています。
<EU・国連>
ロシア政府に対して、透明性の高い捜査をすみやかに実施するよう要請

<日本>
G7=主要7か国の一員として、各国外相が共同で出した非難声明に名前を連ねる

<NATO>
9月4日に緊急会合開催、ロシアに対して国際機関を交えた調査を受け入れるよう迫る

<ドイツ>
ロシアに対する制裁措置として、ロシアの天然ガスを直接ドイツに運ぶ海底パイプライン「ノルドストリーム2」の建設計画を見直す可能性も排除しない姿勢を示す

計画の見直しはロシアだけでなく、ドイツをはじめとするヨーロッパにも打撃となって返ってくるだけに本当に実行するかは不透明ですが、その見直しに言及せざるをえないほど、ヨーロッパの世論はロシアに対して厳しくなっています。

ナワリヌイ氏退院 プーチン大統領に新たな重荷

ナワリヌイ氏は9月7日、ドイツの大学病院でこん睡状態から脱し、15日には病室で家族と撮影した写真を、19日には助けを借りずに立つ写真を、自身のインスタグラムに投稿しました。

ベッドで半身を起こしたナワリヌイ氏を支えるのは、妻のユリヤさん。そして、2人の子どもたちです。
「こんにちは!ナワリヌイです。きのうは一日中、人工呼吸器を外して呼吸することができました」
というコメントには、これまでに156万件を超える「いいね!」が寄せられました。

そして9月22日、ナワリヌイ氏は1か月余りに及ぶ入院生活を終えて退院。ナワリヌイ氏の広報担当者は「ナワリヌイ氏はロシアへの帰国を検討している」としています。

一方、プーチン政権は真相解明のための捜査を行わない方針を崩していません。ナワリヌイ氏が帰国すれば、再び暗殺者の手が伸びるのではないかと、懸念する声も強まっています。
今回の毒殺未遂疑惑は大国としてのロシアの信用を失墜させ、欧米との溝をいっそう深めることになったのは間違いありません。

プーチン大統領はまたひとつ新たな重荷を背負って、いばらの道を歩くことになります。
モスクワ支局記者
北村雄介
ネットワーク報道部記者
國仲真一郎