出せない予報 ~70年前の法律の壁~

出せない予報 ~70年前の法律の壁~
9月初めに“最強クラス”で接近した台風10号。この台風に関する「予報」や伝え方が、SNS上で話題になった。取材を進めると、予報技術が進歩する一方で、法律が壁となり、多くの人に伝えることができない「予報」の現状が見えてきた。(社会部記者 藤島新也)

誰でも見られるのに…

「台風10号候補の勢力と進路がヤバすぎる。欧米の予測データによると9月6日~7日ごろに伊勢湾台風など歴史的な勢力で西日本を直撃する進路に」
台風10号がまだ発生していない8月31日。このツイートが投稿され、瞬く間に拡散された。添付されていたのは、ヨーロッパとアメリカの気象当局の予測結果の画像。台風襲来の1週間も前、気象庁の公式見解も無い時期に、伊勢湾台風級の台風が西日本を直撃するというシナリオが示されたのだ。

この投稿に対しては、「やばい台風。備えて準備しないと」「最悪を想定しておくことは悪いことじゃない」という賛同の反応があった一方、「不確実な情報で危機を煽らない方が良い」「台風予報は気象庁以外はしてはいけない」「法律違反ではないか」といった声も上がった。
投稿された海外の予測結果は、実はインターネットで検索すれば誰でも見ることができる。私も毎日チェックしているし、気象に関心のある人たちであれば知っている人も多いだろう。気象庁の予報官も参考にしている。それにもかかわらず、SNSへの投稿に批判が上がった背景の一つには、「気象予報」をめぐる日本特有の事情がある。

70年前の法律

現在、日本で「天気予報」などを発表する場合には、気象庁の許可が必要だ。

それを定めているのは、今から70年前の昭和27年に制定された「気象業務法」という法律だ。信頼性の低い予報が世の中に出ることで社会が混乱することがないよう、厳格なルールを定めている。

以下が、その一文だ。
『気象庁以外の者が気象、地象、津波、高潮、波浪又は洪水の予報業務を行おうとする場合は、気象庁長官の許可を受けなければならない』
さらに、気象庁に許可を得る際の条件として、台風については「進路等に関する情報は、気象庁の情報の解説の範囲内にとどめること」と定められている。つまり、“気象庁の情報とは異なるもの”を出すことはできないルールなのだ。こうした背景が、気象庁以外の画像を使った冒頭の投稿に批判の声が集まった一つの理由だ。

では、気象庁は今回のケースをどう見ているのか。気になって担当者に確認すると、次のような返事が返ってきた。
気象庁の担当者
「『気象業務法』は国内法なので、海外の気象当局などが日本の天気を予報して、インターネット上で公開しても、法律の対象にはならない。そのため、公開された結果を紹介するだけなら法律違反にはならないと考えている。ただし、社会を混乱させないという法律の趣旨をご理解いただき、扱いについては配慮してほしい」

ダメ?新たな「洪水予測」システム

実はこの「気象業務法」、天気予報以外の「予報」については、より高いハードルとなっている。それは、川の氾濫による「洪水」の予測だ。

現在、国は3~6時間先までの洪水の予測結果を「洪水予報」などとして発表しているが、毎年のように各地で川の氾濫や決壊が相次ぐ中で、防災対応をする自治体からは、より長期の予測を知りたいという声が上がっている。
こうした中、東京大学とJAXAは、共同で新たな洪水予測システム「Today’s Earth Japan」を開発した。
高精細な衛星画像から「地形」や「植生」などを解析。
1キロ四方ごとに、土地が持つ「保水力」を設定したうえで「湿度」「日照」なども計算に入れて、降った雨がどのくらい川に流れ込むのかを計算するシステムだ。そして予測は最大39時間先(約1日半)まで可能だ。
2019年の台風19号で精度を検証してみると、台風が上陸する1日前の時点で、実際に堤防が決壊した142地点中、129地点でリスクを予測していた。一方で、空振りが多いのも現状で、洪水リスクが高いと予測したのは全体で579地点あり、的中率は2割ほどだ。
それでも、1日以上先の情報が得られることは、大きなメリットがあると自治体は指摘する。

このシステムの共同研究を進める自治体のうちの1つ、水戸市だ。水戸市は2019年の台風19号で川が氾濫し、浸水被害を受けていた。避難の呼びかけや事前の対策が後手に回った苦い経験からだった。
水戸市 小林課長
「早めに確度の高い情報を得られるのは大変ありがたい。それによって行政の動き出しが早くなり、市民にも余裕を持って避難してもらえる。早い段階で危険性が分かれば、堤防の巡視や高齢者施設への連絡などを前倒しできる可能性があり、その結果、災害時に余裕を持った対応ができる」

当面、許可しない…

取材をする中で、自治体からのニーズがあると感じる洪水の情報だが、やはり広く一般に公開するには、気象業務法に基づいて、気象庁の許可が必要になる。

ところが、気象庁の資料には以下のような記述がある。
『洪水の予報業務については、防災との関連性の観点等から、当面許可しない』
つまり、気象庁に許可をもらおうにも、そもそも受け付けすらしてもらえないのが現状なのだ。どうしてなのか、気象庁の担当者に聞いてみると…。
気象庁の担当者
「現時点では、洪水予測の技術は確立されておらず、精度が低い情報が発表されれば社会に混乱をもたらす可能性があると認識している」

藤島(記者)
「『精度が低い』ということだが、どの程度の精度があれば許可されるのか?」

気象庁の担当者
「具体的な基準は決まっていない。今後検討していかないといけない」
許可できない理由として「精度の低さ」を上げながら、具体的な精度の目標が無いのであれば、開発側は一体何を目標に改善を進めるべきかわからない。気象庁の回答は腑に落ちないだろう。
(ちなみに、気象庁はHPで、一部の情報の精度を検証しているが、例えば、栃木県足利市の「大雨警報(浸水害)」の適中率は27%としている。数字は共同で開発された新たな洪水システムと大差は無い)

この現状について、洪水システムを開発した東京大学の芳村圭教授は疑問を呈している。

補完しあう情報に

東京大学 芳村教授
「スマホが普及し、誰でもインターネットで、さまざまなソースから情報を得られる時代に、それらをすべて遮断することはできないので、気象庁が発表するものだけに絞ることは現実的ではない。予測の情報は、何に使うのかによって求められる精度は変わる。精度は多少落ちても早く知りたいというニーズもある訳で、混乱する可能性があるものを切り捨てるのでは無く『どう使うのか』という議論を深めるべきだ」
そのうえで、気象庁の情報は依然として重要であり、それを“補完する情報”として、さまざまな予測を使うべきではと提言する。
芳村教授
「避難情報に直結する『注意報・警報』は気象庁が責任を持って出すべきで、他の機関が同様のことをすべきではない。ただ、予測については、さまざまな機関が出しても良いのではないか。どちらが優れているかではなく、住民が使い分けできる補完し合うものにしていくべきだ」

「使い方」の議論を

社会の混乱を避けるために「気象業務法」の果たしてきた役割は大きい。一方で、情報通信技術が進歩し、住民のライフスタイルも多様化する中で、法律が今の社会にそぐう内容なのか検証し、改める時期に来ていると感じる。
現在、NHKでは、東京大学とJAXA、それに全国の16の自治体と共同研究を進めている。自治体の担当者に、新たな洪水予測システムを、実際の現場で使ってもらい、精度の検証や課題の洗い出しを進めるためだ。

台風10号は、予想より雨が降らなかったこともあり、研究を進める自治体では、氾濫の危険性が高まることは無かった。今後も研究者や自治体と議論を重ね、新たな技術を「どう使えば良いか」について考えていきたい。
社会部記者
藤島新也
平成21年入局
初任地の盛岡局で東日本大震災を経験する。平成26年から社会部で主に災害報道にあたっている。
第3制作ユニット・ディレクター
大石寛人
平成23年入局
主に科学番組を制作。広島、福井放送局を経て現部署に。
大型企画開発センター・ディレクター
捧詠一
平成20年入局
朝の情報番組「あさイチ」などで防災の企画を担当。NHK「水害から命を守る」キャンペーン展開担当。