日航機墜落35年 事故調査の舞台裏 調査官の手記より

日航機墜落35年 事故調査の舞台裏 調査官の手記より
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から35年。
当時、報告書をまとめた事故調査官らが、調査官限りで手記を残していたことが、NHKの取材でわかり、先日、報じました。
この記事で伝えきれなかったことがあります。それは人の命を奪った原因を調べる調査官の厳格な姿勢と、人間くさい一面でした。
(社会部 記者 山口健)

手記の意味

手記は、事故調査の教訓を残そうと、報告書が公表された昭和62年からおよそ2年かけて、調査官限りで作成されました。

私は、偶然その存在を耳にして、どうにかして目にしたいと取材を続け、今月、入手しました。

報告書は付録もあわせておよそ600ページありますが、調査官の思いは直接記されてはいません。

手記ならば、調査官がどのような思いで調査をし、現場で何を感じていたのかに迫れると思ったからです。思ったとおりでした。

事故原因

そもそもこの事故は、客室内の圧力を一定に保つ圧力隔壁が破損したため、空気が客室後部に一気に吹き出し、垂直尾翼の大半が失われ、操縦が困難な状況に陥ったと推定されています。

断片情報の危うさ

事故調査が行われる前に、「後部ドアに異常発生」というパイロットとのやり取りの一部が公表されました。

調査の結果、後部ドアではなく、後部ドア付近だったのですが、これについて次のように記されていました。
手記より
ドアに異常があったのなら、当然急減圧が考えられる。しかしそれだけでは墜落する理由にはならない。ドアが外れて水平尾翼にでも当たり、操縦ができないような状態になったのか?いや、その程度では操縦不能にまではならないのではないか?第一ドアが外れても水平尾翼には当たらないはず!と大勢でマニュアルを検討したがよく判らないまま時間が過ぎていった。いずれにしてもこれだけの情報だけであれこれ推測するのは危険だが、もっと緊急な事態が発生したのかもしれない。事故現場へ到着したら一刻も早くDFDR(※飛行記録装置)とCVR(※音声記録装置)を捜し、異常事態を裏付ける証拠を残骸から発見しなければならない。
(中略)
事故調査に出発する前に、事故機に異常事態が発生したという情報が寄せられた例はあまりない。これが事故原因に結び付く情報であればよいが、もし間違った情報だった場合、無用な先入観を調査官に与えかねない。
このように、断片情報の危うさと現場調査、証拠収集の重要性を強調していました。

証言の重要性

断片情報が正確でなかったことは、事故発生から翌日、生存者の証言によって明らかになります。調査官が生存者に話を聞くことができたからです。
手記より
「あのう、デコンプ(※急減圧)があったんです」
(中略)
彼女がスチュワーデスであることを初めて知った。我々はR5ドア(※後部ドア)が気になっていたが「ドアは飛ばなかったんですが、後の天井付近が壊れて…」と話してくれた。
このときの心境については、次のように記されています。
手記より
疑われていたR5ドア(※後部ドア)ではないらしいが、デコンプはあったということが判ったことだけでも大きな成果であった。これで、DFDRとCVRの回収が更に重要になった。

見つかった証拠と報道陣との攻防

翌日、証拠となるDFDRとCVRが見つかります。

見つかったのは午後2時9分。暗くなる前に下山をするための時間を考えると、ギリギリまで粘ったタイミングでした。
手記より
もしこのDFDRとCVRが何日も見つからなかったならば、我々も焦ったろうし、霞が関からもプレスからも相当に非難されたと思う。
この証拠は、毛布にくるまれた状態で現地の対策本部に届きます。

中身を撮影したいという報道陣と、一刻も早く解析を急ぎたい事故調査委員会との押し問答が始まり、対応していた調査官の焦る心境も記されていました。

それをよそに、証拠は、ある機転を利かせた対応で、東京に運ばれていきます。
手記より
問題のDFDRとCVRをどうやって報道陣の目を逃れて外へ運び出したのだろうか?結論からいうと、警察の大きなゴミ袋の中へ入れて、あたかもゴミを捨てるようなそぶりで堂々と報道陣の中をかきわけて運び出し、一般車両に積んで東京へ運んだのだそうだ。
その道のり、調査官は車のトランクに入れるのではなく、ひざの上に抱えていったと記されていました。

この証拠がいかに重要か、調査官の思いが伝わってきます。

証拠の解析

こうして東京に運ばれた証拠の解析は、すぐに始まりました。事故発生から3日目の未明でした。

焦点は、一連のいきさつが記録されているかどうかでした。装置の記録時間は30分、異常発生から墜落までおよそ31分間あったからでした。

装置の中のテープを取り出したときの様子です。
手記より
くしゃくしゃで切れかかった部分があったが、ほんの数センチをオーバーラップさせるだけで修復は完了した。ここが解析に影響のない部分であったのが何よりであった。このCVRはエンドレス・テープで録音時間が約30分であるため、何事かが発生した時刻の18時25分頃の録音は消されているという大方の見方であったが、その心配は再生数十秒後に消し飛んでしまった。大変な音を聴いてしまった。この音はこれまでの私の人生で聴いたどの音より強く印象に残っている。
録音されていたのは32分10数秒。実際の録音時間は2分余り長く、異常発生の瞬間が記録されていたのです。

最終的な調査報告書には、この“大変な音”について「周波数から大きな空気流を伴う衝撃性の音響であると考えられる」という解析結果が記されています。

いち早い証拠収集の重要性が、ここにも記されていました。

ラジオに盗聴マイク?

手記には、「ラジオの差し入れ名乗らぬ市民の好意」と題されたエピソードが記されていました。

読み進めると、激励で差し入れられたラジオを活用していたら、事故調の情報が報道陣に漏れていることで、ラジオが疑われたという、思わぬ顛末でした。
手記より
ひょっとしたら、委員室に盗聴マイクが仕掛けられているのではないか心配し、専門の捜査員に捜して貰ったが何もでてこない。そこでついにこのラジオまでが疑われることになった。ひょっとしたら、盗聴マイクが組み込まれているのではないかというわけである。そこで、警視庁の捜査員立会いのもとに、このラジオを分解してしまった。結果は「白」。なにも怪しいところはなかった。一時にせよ、名乗らぬ善意の市民の好意を疑ってしまい、誠に申し訳ないことをしてしまった。
背景には報道陣の連日の取材の激しさがあったのですが、調査官限りの手記で名もなき市民に謝っていることに、調査官たちの誠実な人柄を感じました。

コミュニケーションの重要性

コミュニケーションの重要性も随所に記されていました。調査の立場からは当たり前のことでも、別の立場からは理解されないことがままあったからです。

現場は、群馬県上野村、群馬県警、応援の警視庁、自衛隊、海上保安庁など複数の機関がいました。

救助・捜索活動のはざまで、調査の意義を理解してもらい、速やかに進めるためには、各機関との調整が欠かせず、重要な依頼・申し入れ事項はすべてトップに行うようにしたという記述がありました。

このほかにも

水筒が不十分で、現場で思うように水が飲めなかったことや、移動手段がなかったこと、連日テレビに映されていたこともあり、服装に至るまで、ロジスティクスの重要性も記されていました。その中には、宿泊場所を用意した上野村への感謝の気持ちも書かれていました。

終わりに なぜ取材に応じてくれたのか

手記には、事故からおよそ4か月後の12月の中旬、雪深くなる前に最後の残骸調査が行われたときのことが記されていました。

それまでは地面ばかり見ていたところ、木の枝に引っかかる形で残っているものがあると連絡があったからでした。
手記より
今まで何回か登山をしたが、上を向いて歩いた登山は今回が初めてであった。しかし、これも坂本九さんが事故原因を調べてくれと頼んでいるような気がして、ご冥福を祈りながら家路に着いた。
ここからも、調査報告書からはうかがい知れない調査官の人柄が伝わってきました。
今回の取材を通して、人の命を奪った原因を調べる調査官の厳格な姿勢を改めて知りました。同時に、調査報告書からはうかがい知れない、人間くさい一面も感じました。
この手記を取りまとめた、当時次席調査官だった藤原洋さん(92)は、今もお元気で、私の取材に次のように応じてくれました。
藤原洋さん
「手記には大それたことは書かれていませんが、事故を経験していないとわからない部分もあると思います。事故を風化させないために少しでも役立ててもらいたいです」
事故から35年となり、関係者の高齢化が進む中、事故調査に携わった複数の関係者は「事故を風化させてはならない、そのことが安全につながる」と、一様に話してくださいました。

立場は違っても、思いを同じくする1人として、私も事故のことを記録し伝えていきたいと考えています。
社会部 記者
山口健
2006年入局 航空の安全について継続取材
2015年に「NHKスペシャル 日航ジャンボ機墜落 空白の16時間」の取材制作など