漫才界の大御所 内海桂子さん死去 97歳

漫才界の大御所 内海桂子さん死去 97歳
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漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を集め、漫才界の大御所として活躍してきた内海桂子さんが多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。97歳でした。

16歳 東京・浅草で初舞台

内海桂子さんは大正11年に生まれ、三味線や踊りなどの修行を積んだあと昭和13年、16歳の時に東京・浅草で初舞台を踏み、漫才の世界に入りました。

昭和25年、弟子の内海好江さんと結成した漫才コンビ「内海桂子・好江」は、三味線を使ったテンポのよい漫才で人気を集めました。

「内海桂子・好江」 半世紀にわたり第一線で活躍

昭和57年には漫才師として初めての芸術選奨文部大臣賞を受賞するなどコンビは半世紀にわたり、第一線で活躍しました。

平成9年に相方の好江さんが亡くなったあとも、内海さんはひとりで舞台に立ち続け、90歳を超えても自作の都々逸を三味線で披露するなど漫才界の大御所として、人気を集めてきました。

今の漫才協会の会長 9年間務める

また、平成10年からは今の漫才協会の会長を9年間務め、若手の育成にも力を注ぎ、最近では人気漫才コンビ・ナイツの師匠としても注目を集めていました。

プライベートでは77歳の時に24歳年下の男性と結婚して、注目を集め、夫の協力でツイッターを発信して年長者ならではのつぶやきが大きな話題になっていました。

内海さんは、ことし1月に体調を崩して入院、リハビリに努めていましたが、今月22日に多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。

ツイッターフォロワー 49万人 毎日欠かさず投稿

97歳で亡くなった内海桂子さんはことし4月までおよそ10年間にわたって毎日欠かさずツイッターを投稿、世の中に向けてメッセージを投げかけてきました。アカウントのフォロワーは49万人に上っています。

生前、「思ったことを何でも書いて世間にぶつければいいの」と話していた内海さん。24歳年下の夫の助けを借りながら投稿してきたツイートの内容は、身の回りの出来事から、テレビ番組などの感想、みずからの波乱万丈の人生を織り込んだものなど多岐にわたり、ことし1月に体調を崩して入院して以降も新型コロナウイルスの感染の拡大を心配する投稿などを行っていました。

最後の投稿は4月14日でした。

ツイッター 死を悼む声「天国でもつぶやいてください」

内海桂子さんが亡くなったことを受けて、ツイッターでは死を悼む声が続々と上がっています。

内海さんの訃報について「漫才界の一時代を築いた方が天に召されました。さみしいかぎりです。ご冥福をお祈りいたします」とか、「たくさんの笑いをありがとうございます。そして、お疲れ様です」と長年にわたる活動への感謝や死を悼むメッセージが投稿されています。

また「長い間、ツイッターで楽しませてくれてありがとうございました。天国でもつぶやいてください」とか、「世代は違うとも、堂々としたお姿に『かっこいい!』と感銘を受け、くぎづけになった思い出があります」などの書き込みも見られました。

おしどりマコさん「師匠からお話を伺うと身が引き締まる思い」

このほか、芸人のおしどりマコさんは、「桂子師匠の戦争中の話、子どもの頃の演芸の話、昔の浅草の様子、桂子師匠から直接お話を伺うと身が引き締まる思いがいつもしました」と内海さんとの思い出をつづっています。

活動の拠点 東京 浅草の演芸場を訪れた人は

漫才師の内海桂子さんが亡くなったことについて、内海さんが拠点としていた東京 浅草の演芸場を訪れた人たちからは、悼む声が聞かれました。

60代の女性は「歯にきぬ着せぬ物言いでも、人を傷つけないやさしい思いが伝わってきました。浅草の生き字引として、ナイツも慕っている感じが伝わっていたので残念です」と話していました。

初めて演芸場を訪れたという20代の男性は「貴重な方が亡くなってしまい、もったいないなと思っていました。一度、内海さんの漫才が見られたらよかった」と話していました。

また、80代の男性は「根っからの明るい話しぶりや、師匠と弟子の掛け合いが好きでした。100歳までもう少し長生きしてもらい、楽しい話を聞きたかったです」と惜しんでいました。