コロナと労災 夫の悲劇を繰り返さないで

コロナと労災 夫の悲劇を繰り返さないで
「心がズタズタで毎日暗闇の中にいるようだ」
ある遺族の言葉です。
76歳の男性は新型コロナウイルスに感染し、ことし5月に死亡しました。男性は定年退職後も仕事を続け、人生の大半を会社にささげてきました。保健所は検査の結果、男性が職場で感染した疑いがあるとしていますが、遺族が求めていた労災の手続きは、男性の死後、2か月近くがたってようやく動き始めました。
目に見えないウイルスによる家族の突然の死。遺族の訴えを通じ、新型コロナウイルスと会社の対応をめぐる問題を考えます。
(福岡放送局記者 森並慶三郎)

半世紀をささげた会社

新型コロナウイルスに感染して亡くなった福岡県の76歳の男性は19歳の時に県内の大手企業に入社しました。
定年退職後も契約社員として勤務し、関連会社などを合わせると57年間、働いてきました。
男性は、会社や仕事に誇りを持ち、同僚を家族のように大切にしていたといいます。
独身の同僚の食生活を心配し、妻の手作りの料理を持たせることもありました。

最期まで妻を気遣い

「職場の営業担当者が感染した」
ことし4月、仕事から帰宅した男性が、深刻な表情で妻に打ち明けました。
この頃から、男性の体調が徐々に悪化したといいます。
男性は新型コロナウイルスに感染したのではないかと疑い、家族への感染をおそれ、自宅の部屋からできるだけ出ないようにしていました。
部屋にはメモが残されていました。
「体がだるい。フラフラする」
「PCR検査をお願いしたい。入院したい」
男性は、39度近い高熱で意識がもうろうとする中、保健所にPCR検査などに関する問い合わせの電話もしていて、そのやり取りを記録していました。
男性は体調がさらに悪化した4月下旬、陽性が確認され、緊急入院しました。
そして家族との面会もほぼできない中、入院から3週間後、息を引き取りました。
「妻が疲れている」
残されたメモには、苦しみのなかでさえ、妻のことを気遣う気持ちが記されていました。
夫の苦しさに寄り添うことができたのか、妻は、悔やみました。

思いがけない遺族へのことば

夫の死に追い打ちをかけるように、遺族が落胆したのは会社の対応で、思いもよらないものだったといいます。
職場の上司や同僚から、弔電はほとんどなかったといいます。
妻は、夫の話などから職場で感染したと思っていましたが、会社の責任者からのことばに傷ついたといいます。
男性の妻
「私が、職場の同僚の人から感染したんですよねと言うと、会社の人は『そうとは限らない。どこかに行ったときに感染したかもしれない』と話すんです。夫は、遊び回ったり、夜に飲み歩いたりしていませんでした。会社と家の往復だけの生活で、職場以外に感染することは考えられないと言ったのですが会社の人は、何も言わずにすっと帰っていきました。会社関係の別の人からは、『コロナで汚いからお宅のうちには行きたくない』と言われたこともありました。これが、会社のために一生懸命、命を燃やした夫への扱いなのかと、悔しくて、無念で……」

職場内の感染ではない

男性の会社内では、当時、ほかの社員らにどう説明されていたのか。
複数の社員が取材に応じました。
社員の1人は男性が亡くなった翌日、職場で次のような説明があったと話しました。
社員
「職場の全員が緊急で集められました。どのような経緯で男性が亡くなったのか、説明があると思ったのですが、上司は『会社の外でうつった。社内でうつったのではない』と職場以外で感染したということを断定的に話すことに終始していました」
また、この社員によりますと、職場の男性の席は、1人目に感染が確認された同僚と非常に近い距離にあったといいます。
同僚の感染が明らかになったとき、男性は「席が近いので、感染していないか不安だ」と周囲に話していたといいます。

取材に応じた社員は、万が一、自分が感染した場合、会社からどのような対応を取られるのか不安になったといいます。
社員
「もし自分が感染して死んだら、このような対応を取られると思うと、会社はなんて冷たいというか、恐ろしいなと感じました」

感染経路は? 動き始めた労災の手続き

男性の感染経路はどうだったのか。
福岡県によりますと、保健所が調査した結果、男性は感染した同僚と接触があり、職場で感染した疑いがあるということです。

NHKが会社に取材を申し込んだところ、文書で次のように回答しました。
「弊社では感染者の感染経緯について、職場もしくは業務中の感染であったかどうかを含め、同僚からの感染と特定するのは難しいと認識しております。弊社としては同僚からの感染である蓋然性が高いと認識することは可能でも、断定をされることは医学的にも難しいと理解しています」
ことし6月、NHKは、福岡県内向けのニュース番組で遺族の訴えを放送しました。
このあと、会社の幹部らが遺族を訪れてきたといいます。
会社は、遺族からの求めに応じる形で、労災申請に向けた対応を取り始めたということです。

夫の死をむだにしないで

男性の妻は、「毎日、暗闇の中にいるようだ」とかけがえのない夫を失った悲しみの中、取材に応じてくださいました。
夫の死をむだにしないでほしい。
遺族の訴えです。
男性の妻
「会社にとってみたら、夫の代わりはいくらでもいるかもしれない。でも私たちにはたった1人の夫で父親なんです。こんなに夫が愛した会社だから悪いことは、ほんとは言いたく無かった。いまも働く社員のためにもどうか感染対策を徹底して、私たちと同じような悲しみを繰り返さないでほしい」

職場の感染対策につなげる

厚生労働省によりますと、新型コロナウイルスに関する労災の申請は先月31日現在、全国で797件に上り、このうち266件が労災と認定されました。
労災申請の件数を業種別にみると
▼医療従事者が669件と全体の84%となっていますが、
▼運輸業、郵便業が20件、
▼建設業が9件、
▼卸売業、小売業が8件、
▼製造業が5件などと幅広い業種に広がっています。
厚生労働省は、積極的に労災を申請するよう呼びかけています。
ことし4月に全国の労働局に出した通知では、医師や看護師などの医療従事者は新型コロナウイルスに感染した場合、業務外で感染したことが明らかな場合を除き、原則として労災と認める方針です。
その他の業種では感染経路が特定されなくても、業務で感染した可能性が高い場合は労災と認めるとしています。

厚生労働省は、労災の申請を受け、労働基準監督署が調査することで、会社や事業主の緊張感を高め、職場の感染対策にもつながるとしています。
一方で、専門家などからは、労災の申請が実態よりも少ないのではないかという指摘も出ています。
労災は本人や遺族に申請する権利がありますが、そのことを知らないというケースも少なくありません。
さらに、全国のケースを見ると、新型コロナウイルスをめぐる差別や偏見も影響しているとみられます。
イメージの低下を懸念して、企業が労災に協力しようとしない可能性もあるというのです。
光永享央弁護士
「企業が社員を守れなかったことに対して、重い責任を、社会からも法的にも問われることが十分あり得る。その責任を回避したいという企業側の動機が予想される。対策が十分だったのかどうか。そして本当は、防げた死だったのではないか。真摯(しんし)に向き合って今後の感染症対策につなげることが重要だ」
新型コロナウイルスへの感染と労災や職場環境は、すべての働く人に関わる問題です。私たちは取材を続けていきたいと考えています。読んでいただいた皆様からのご意見や情報提供をお待ちしています。
福岡放送局記者
森並慶三郎