復活!「かあちゃん弁当」

復活!「かあちゃん弁当」
新型コロナウイルスの感染拡大で大きな打撃を受けている飲食業界。しかし、こうした逆風の中、一度は止めた弁当販売を17年ぶりに再開させた女性が和歌山にいます。72歳になる女性がもう一度気持ちを奮い立たせたのには、地域の人たちの絆や支えがありました。(和歌山放送局記者 井出瑞葉)

とにかく必死だった

和歌山県海南市の店で地元の新鮮なさばを使った塩焼きやだし巻き玉子など、色とりどりのおかずが入っているボリューム満点な弁当が販売されています。
その名も「かあちゃん弁当」、作っているのは佐東礼子さん(72)です。佐東さんが弁当店「かあちゃん」を始めたのは昭和60年、37歳の時でした。

夫を病気で亡くし、幼い2人の息子を育てていかなくてはならなかったため、両親と一緒に店を開いたのです。
佐東礼子さん
「食べること、生きることにとにかく必死だった」
交通量の多い国道沿いに立地していたことや地元では珍しい24時間営業だったこともありトラックドライバーなどを中心に多くの客が訪れ、人気店となりました。

両親が店を引退したあとも佐東さんは長男の啓史さんや従業員の人たちの力を借りながら店を続けます。みずから車を運転して弁当を配達するなど必死に働いたといいます。

しかし、店の周辺にコンビニなどができ始めたことで次第に経営が苦しくなり平成15年、弁当販売をやめました。

思いを継いだ息子の店が…

地元の人たちにおいしいものを食べてもらいたいという「かあちゃん」の思いは、啓史さんが引き継ぎました。

弁当店の近くに居酒屋を開店すると、「おいしい魚を食べられる店」と評判になりました。

順調に売り上げも伸ばしていく中、突如襲ったのが新型コロナウイルスです。店は臨時休業に追い込まれました。従業員や家族を今後どうやって養っていけばよいのか、途方にくれたといいます。
客を迎え入れるわけにもいかず、店の片づけなどをして過ごしていたある日、倉庫から段ボールが見つかりました。この段ボールが、1つの大きなきっかけとなったのです。

店の倉庫から懐かしい”袋”

開けてみると、中には「かあちゃん」とプリントされた袋が入っていました。かつて、礼子さんの弁当店で使っていた持ち帰り用のものでした。

啓史さんは店を手伝っていた中学生のころを思い出したといいます。
啓史さん
「レトロなデザインで、懐かしいです。コロナという大変な時に袋が見つかるなんて感慨深いです」
袋を見た瞬間、母親の礼子さんも気持ちがゆり動かされたといいます。
礼子さん
「これまで家族に支えてもらった分、自分も何か、家族のためにできることはないかと考えていた。そんな時、袋が見つかり、私には、弁当販売しかない。もう一度、頑張ってみようと思った」
こうして、17年ぶりに弁当販売が再開されることになりました。

はし袋に込められた思い

弁当の“復活”を心待ちにしていた人がいました。近くに住む、主婦の岩崎順子さんです。昔、家族で「かあちゃん弁当」を食べていました。

岩崎さんは24年前、夫をがんで亡くしましたが、落ち込む岩崎さんを精神的に支えてくれたのが佐東さんの家族でした。
岩崎さん
「夫が亡くなる前も亡くなった時もずっと助けてくれました。やっぱり私たちにとって(佐東さん家族は)特別な存在で」
岩崎さんにとって「かあちゃん弁当」は夫や子どもたちとの楽しいひとときを思い出させてくれるかけがえのないものだったのです。
“復活”をお祝いし恩返しをしようと、岩崎さんは礼子さんにプレゼントを贈りました。色とりどりの折り紙で作った合わせて1000枚ものお手製のはし袋です。
礼子さんは、人の優しさを感じながら、贈られたはし袋を弁当に1つずつ丁寧に添えています。
礼子さん
「今がいちばんの頑張り時だと思います。『おいしい』ということばをかけられたり懐かしんで来てくれたりする人を見たらこれからも頑張らなければ」
最近になってようやく、啓史さんも居酒屋を再開させましたが、しばらく「かあちゃん弁当」の販売は続けていくということです。

一歩を踏み出すことで「縁」がつながる

コロナの影響で外出の自粛が続き、大切な人に会えなかったり、やりたいことが制限されたりと、気持ちが暗くなりがちでめいってしまうこともあると思います。しかし、礼子さんのように、前向きな気持ちで一歩を踏み出すことで「縁」がつながり人間関係が紡がれていくこともあるのだと感じました。
自分の母親が作ってくれたようなどこか愛情やぬくもりを感じさせる「かあちゃん弁当」。コロナで社会全体に閉塞感(へいそくかん)が漂う中、礼子さんとの出会いを通じて人の温かさや優しさを思い出させてくれた取材でもありました。
和歌山放送局 記者
井出瑞葉
平成29年入局
和歌山市政や遊軍を担当