治水の“パラダイムシフト” ~温暖化時代の流域治水~

治水の“パラダイムシフト” ~温暖化時代の流域治水~
「水をあふれさせない治水だけでは、もはや温暖化の怖さに太刀打ちできない」
想定を超えるような豪雨災害が相次ぐ中、治水の専門家はこう心情を吐露しました。続けて「治水の“パラダイムシフト”がもう起きている」とも。いま治水の世界で何が起きているのか。そして私たちに何が必要なのでしょうか。
(社会部災害担当記者 中村雄一郎)

地球温暖化で対策が追いつかない

九州や中国地方、岐阜県など、広い範囲で大きな被害が出たことし7月の豪雨。治水や大雨のメカニズムに詳しい京都大学防災研究所の中北英一教授は、地球温暖化の影響が想像していたよりも早く出だしていると指摘します。
中北さんによると、2018年の西日本豪雨では、温暖化の影響で6~7%総雨量が増加。2019年の台風19号では、以前では考えられないほどの大量の水蒸気が流れ込んでいたということです。
50年に1度と言われるような雨が毎年のように相次ぐ。温暖化の影響が急速に進んでいるような現象が続く中、中北さんはこれまでの治水の考え方を大きく変えていかなければ間に合わないと指摘しています。
京都大学防災研究所 中北英一教授
「今回の豪雨でも異常な量の水蒸気が流れ込んだ。温暖化の影響で今後はかなり多くなると予測されていたが、それがすでに起きている。これまで国の掲げていた治水の目標を超えた量が降っていて、川から水をあふれさせないという対策だけでは、温暖化の怖さに太刀打ちできなくなってる。“パラダイムシフト”劇的な考え方の変革がもう起きている」

あふれさせる「流域治水」

中北さんが今後必要だとするのが「流域治水」の考え方。国もこの方針を打ち出しています。どういった考え方なのでしょうか。
これまでの治水計画は、主に川沿いの堤防や上流のダムを利用してきました。なるべく水をあふれさせない治水です。

ただ、想定を超える豪雨が相次ぐ中で氾濫も発生し、この方法に限界が出てきました。
一方、「流域治水」はダムや堤防に加え、水をあふれさせる場所をあえて作り、流域全体で水を受け止めて水害を減らそうというものです。水をあふれさせる場所は、水田など都市開発が進んでいない地域をピンポイントで選びます。

このような「遊水池」を作る治水はこれまでも行われていましたが、敷地のある一部に限られていました。

「流域治水」計画の現場は?

実際に「流域治水」の計画が進められている川があると聞き、取材に向かいました。茨城県を流れる久慈川です。
実際に台風19号で決壊、中流から下流にかけての広い範囲で浸水被害が起きました。これをきっかけに、国土交通省関東地方整備局が流域治水の1つとして注目したのが「霞堤(かすみてい)」と呼ばれる対策です。
「霞堤」の仕組みを説明します。通常、川が増水した場合、水がそのまま流れると、下流の堤防が決壊して住宅などが水につかるおそれがあります。
一方の「霞堤」。上流の堤防の一部を低くして、わざと周りの水田などに水をあふれさせます。上流に水の行き場を確保することで水量が減り、下流の住宅などに被害が及ぶのを防ごうというのです。

毎年のように豪雨が相次いでいる中、時間のかかるダムや堤防の整備よりも早くできる対策として注目されているのです。
実はこの「霞堤」、戦国時代から伝わる伝統的な治水方法です。甲斐(今の山梨県)の戦国大名として有名な武田信玄が考案したとも言われています。

かつては全国各地にあり、東京の都心近くにもありました。台東区に地名だけが残る日本堤もかつては霞堤の一部で、下流の浅草などを守っていました。
しかし、各地の霞堤は周辺の都市開発に伴って姿を消し、堤防の強化やダムの建設が図られていきました。

「霞堤」計画の地元 複雑な思いも

「霞堤」の整備が予定されている地域の人に話を聞いてみました。常陸大宮市辰ノ口地区の区長、野澤正行さん。国から計画を説明されたとき複雑な心境になったといいます。
茨城 常陸大宮 辰ノ口地区 野澤正行区長
「堤防をあえて切るという意識は私はありませんでした。この先どういう洪水が、あるいは大雨が来るか分かりませんけれど、そうなった時に、果たしてどうなるのかなという感じを持ってます」

国は「リスク分散が重要」

一方、計画を進める側の関東地方整備局。これからの大雨に備えるためには「流域全体でリスクを分散させることが重要だ」として、理解を求めたいとしています。
関東地方整備局 佐藤寿延河川部長
「霞堤というのは、地元の合意がいただけるのであれば、いろいろなところに作っていける。川だけでなくて流域で水をためていくという意味においては、流域全体で水害に備えていく。あらゆる施策を総動員していくということに尽きるのではないかと思います」

「流域治水」先行の現場 課題も

国が方針を転換する前から「流域治水」を進めている自治体の現場では課題も見えてきています。
宮崎県では、延岡市の中心部を流れる北川で、堤防だけでなくダムや複数の霞堤によって大雨の際に市街地に流れ込む水の量をコントロールしています。
この写真は平成9年の台風による大雨で霞堤が機能した様子。川から入り込んだ水が水田にあふれています。こうして水量を調整しているのです。
30年以上前に霞堤が整備された家田地区は、おととしまで3年連続で地区が水浸しになりました。県は、水があふれることの補償として、住宅のかさ上げ工事を実施するなどして住民に理解を求めてきました。

霞堤に疑問の声も

家田地区の住民はどう思っているのか。おととし、山口大学農学部の山本晴彦教授がアンケートを行った結果、霞堤が必要だと答えたのは3割にも満たないことが分かりました。
地元の人に直接、話を聞いてみました。すると、大雨のたびにあふれた水で流木などが入り込むため、田畑が荒れて農業を断念する人も増えているという切実な状況が分かりました。
延岡市は流木などの撤去にかかった費用の75%を補助していますが、住民の負担感は減っていないというのです。
宮崎 延岡 家田地区に住む黒木善久さん
「下流域のためにこの地域は犠牲になっているという認識は非常に強いです。極端な話では、下流の1000軒を守るには上流の100軒200軒が犠牲になってもしょうがないと。下流域のために貢献しているというようなことはあまり評価されていないと感じています」

重要なのは住民の相互の理解

山本教授は、流域治水を進めるためには上流から下流に至る地域の住民の相互の理解が重要だと指摘します。
山口大学農学部 山本晴彦教授
「下流の洪水を防ぐというのは分かるけれども、現実的なものを考えるとなかなか理解が得られていません。上流、中流、下流、いろんな方の意識は違うと思いますが、特に下流の方が上流の霞堤の恩恵を受けているということをしっかりと考えながら、流域の治水というものを住民の共同体として考えていくということが必要なのだと思います」

“パラダイムシフト” 住み方も

あふれさせる場所を作る「流域治水」。これまでの豪雨で浸水被害にあった人は驚くと思います。

しかし、この考え方は、こうした被害が起きないよう、あえて危険性の低いところに水をあふれさせるという考え方です。

それでも川沿いに多くの住宅がある日本では、被害をまぬがれないかもしれません。

そこで重要だと思うのが、私たち自身も住み方を変えていくという“パラダイムシフト”です。

専門家たちも、長期的には浸水しやすい場所に役所や福祉施設、病院を置かない。そしてできるだけ住まない。住むのであったら2階建て以上の丈夫な住宅にするなどといった方針転換が必要だと指摘しています。

想定を超える豪雨災害が今後も予想されます。「ダム」や「霞堤」周辺の地域だけの問題として見るのではなく、流域全体の問題として改めて考える必要があると思います。
社会部災害担当記者
中村雄一郎