BLMは なぜイギリスで「自分ごと」になったのか

BLMは なぜイギリスで「自分ごと」になったのか
アメリカで黒人男性のジョージ・フロイドさんが死亡した事件をきっかけに広がったBLM(Black Lives Matter「黒人の命も大切だ」)。人種差別に抗議する運動は大西洋を越えてイギリスにも広がり、大英帝国の歴史を再評価すべきだという議論にすら発展しています。なぜBLMはイギリスでも「自分ごと」になったのでしょうか。そこには、多様化したイギリス社会のひずみが、新型コロナウイルスの危機の中で表面化した現実があります。(ロンドン支局長 向井麻里)

黒人、アジア系、マイノリティの人種=BAME

イギリスでの人種差別反対の動きを語る上で欠かせないのが、黒人(Black)、アジア系(Asian)、マイノリティの人種(Minority Ethnic)の頭文字をとったBAMEということばです。カリブ諸国、インド系、バングラデシュ系、イギリス社会にコミュニティをもつさまざまな人種がこのことばに含まれます。「白人のイギリス人以外」とも定義されるBAMEはイギリスの人口の13.8%(2018年時点)を占め、今後も増加するとみられています。

BAMEということば自体は新しいものではありませんが、ことしに入って急速に関心を集めました。イギリスのメディアが「BAMEとは」という解説記事を最近、頻繁に掲載しているように、決して広く使われてきたわけではないようです。あたかも「その他大勢」のようにひとくくりにされることへの反発も根強くあります。

BAMEが注目されたのは、アメリカの事件の1か月前のことでした。イギリスの統計局が、「ウイルスに感染して亡くなる黒人男性は、白人男性の4.2倍、黒人女性は白人女性の4.3倍にのぼる」という統計(イングランドとウェールズ)を発表したのです。

その後、イングランドの保健当局も、「黒人やアジア系は、白人よりも死亡する割合が高い」と発表し、コロナ禍での人種間格差が次々とデータで裏付けられました。ウイルスによる死者も感染者も増え続け、社会に停滞感が広がる中で、BAMEの人々の間には、不当に差別されているという不満も高まっていきました。

ベリー・ムジンガさんの死

流れを決定的にしたのは、5月に発覚した、ロンドン・ビクトリア駅でのできごとでした。駅員として働いていた黒人女性、ベリー・ムジンガさんが、ウイルスに感染していると主張する男から唾をかけられ、その後、ウイルスに感染して死亡した事件です。

のちに警察は、唾をかけられたこととムジンガさんの死に直接の関係はなかったと結論づけています。しかしムジンガさんが呼吸器系の疾患があったのに、フェイスカバーなど身を守る装備もないまま、その後も駅での仕事を強いられたことに、市民からは強い反発が広がりました。

公共交通機関に勤めていたムジンガさんは外出制限の中でも社会を支えるために働く、いわゆる「エッセンシャル・ワーカー」です。イギリスでは、BAMEの人たちの割合が高いとされ、ウイルスに感染するリスクにさらされています。ロンドンでは、医療や介護分野で働く人の48%、交通機関で働く人の44%を占めるというデータもあります。

こうしたことを背景に、アメリカで抗議デモが始まると、イギリスの人たちはそれを自分ごととして受け止めました。イギリスでは抗議デモが10万人規模に上り、「ムジンガに正義を」という声が強くあがりました。その怒りはBAMEの人々への人種差別だけでなく、差別を形づくったイギリスの歴史へと向かっていったのです。

英雄か差別主義者か 歴史と像めぐる議論

イギリスの議会前広場には国内外の歴史的な偉人とされる政治家など12人の銅像が設置されています。なかでも有名なのがイギリスで最も尊敬される政治家の一人、ウィンストン・チャーチル元首相の像です。
第2次世界大戦でドイツ軍がロンドンに空襲を行った際、破壊された議場を視察した際のチャーチルをモデルにしたもので、軍用のコート姿で議事堂をにらむように立っています。その像が、ある日、大きな灰色の箱に覆われました。
チャーチルは第2次世界大戦でイギリスを勝利に導いた“英雄”とされる一方で、人種主義的な考えの持ち主だったとも言われています。
人種差別に抗議する声が高まる中、銅像に「人種差別主義者だった」と落書きされたことを受けて、急きょ“避難”したのでした。ロンドンをはじめイギリスの街を歩いていると、あちこちに、驚くほど多くの像があることに気付きます。歴代の首相など著名な政治家や王室のメンバー、中には名前も知らないような人の像も少なくありません。かつて奴隷貿易に関わった人々や、大英帝国の栄光を不動のものとした植民地主義を象徴する人々の銅像も例外ではありません。
像を設置するという行為は、「よい行いをした」「後世に残すべき存在だった」ことを意味するはず。ならば、これらの人々は、本当に像にしてたたえ続けるべきなのか。こうした疑問から、南西部ブリストルでは17世紀の奴隷商人の像がデモの参加者たちによって引き倒され、川へ投げ込まれました。(像はその後引き揚げられ、デモのプラカードとともに博物館に展示されることに)

「セシル・ローズ像を倒せ」

像をめぐる議論は、名門オックスフォード大学でも高まりました。問題となったのは、オリオル・カレッジにあるセシル・ローズの像です。

19世紀にアフリカ南部で植民地支配を進めた政治家として知られるローズは、ダイヤモンドの採掘などで築いた巨万の富の一部を大学に寄付。アメリカのクリントン元大統領など多くのリーダーも得たローズ奨学金にもその名が残されています。白人至上主義者で議論を呼ぶ人物だったともされています。
ローズ像の撤去を求める運動の中心となっている大学院生のローラ・スチュワートさんは、かつてイギリスの植民地だったアフリカのエスワティニの出身です。スチュワートさんは、大学側を痛烈に批判しています。
(大学院生 ローラ・スチュワートさん)
「ローズの像は、私たちが今、信じているものを何も象徴していません。そもそも、その巨万の富は植民地主義による奴隷制度、そして資源や人的資本を台なしにした鉱物の採掘によって得られたものです。そんな人物の像が街の中心の通りから、人々を見下ろしているなんて」
抗議デモには、黒人だけでなく、人種や、育った環境など、さまざまな背景を持つ人たちが参加し、BAMEの人たちの姿も目立ちました。最初は「単なる像だ」としか感じなかったものの、自分も差別を受けてきた経験から、立ち上がらなくてはいけないと考えるようになった。両親がスリランカからの移民だという男性はそう話しました。感染対策の外出制限が続く中で行われたデモ。人々はマスクをつけながら声をあげ続け、参加者は一時、数千人に上りました。その声に押されるかのように、オリオル・カレッジの理事会は像を撤去する方針を明らかにしました。

像の撤去は“歴史の改ざん”?

ただ、イギリスがこうした像の撤去を求める声一色ということではありません。例えば、17世紀の奴隷商人の像が撤去され、川に投げ込まれたことについて、13%が「支持」、40%は「やり方には反対だが撤去は支持」とする一方で、33%は「撤去には反対」という調査結果(大手調査会社YouGov)もあります。
「歴史を書き換えようとする動きには反対だ」「歴史を検閲したり、修正したりすべきではない」
ジャマイカ出身で、祖先は奴隷だったというヘリオットワット大学のジェフ・パーマー名誉教授は、像の撤去は過去の歴史から目をそむけることだと指摘しています。
(ヘリオットワット大学 ジェフ・パーマー名誉教授)
「像を撤去するということは、過去の行為そのものを取り除くことです。(像がなければ)歴史をこの目で見ることはできなくなるし、100年もたてば忘れられてしまう。歴史は改ざんされるべきでも変えられるべきでもありません」
またジョンソン首相は、チャーチル元首相の像に落書きがされた際、ツイッターで次のように発信しています。
(ジョンソン首相)
「われわれは過去を編集することも、検閲することもできません。各地にある像は、過去の世代の人々がつくったもので、今の世代とは異なる視点をもち、善悪の考え方も異なります。こうした像は過ちも含め、われわれの過去について教えてくれるものです。それを撤去することは、過去について欺くことであり、将来の世代は学ぶ機会を失うことになります」

“負の歴史を学ぶ”

“負の歴史”を伝える像はどうあるべきなのか。ローズ像の撤去を求めたスチュワートさんをはじめ、多くの人は、誰もが目にできる公共の場所ではなく、博物館などに展示すべきだと話します。そして、大英帝国の繁栄を作り上げた輝かしい功績だけでなく、奴隷の苦難など負の側面も含めた説明も展示すべきだとしています。
アフリカの歴史が専門のオックスフォード大学ピーター・ブルック講師は、負の歴史についても、学校のカリキュラムに組み込み、学んでいく必要があると指摘しています。実際、オックスフォード大学での抗議活動に参加していた人たちからも「大学に入る前に、セシル・ローズについて学ばなかった。植民地主義についてもよく知らなかった」という声が多く聞かれました。

人種差別に抗議し、変化を求めて行動する人々の声は確実に強まっています。そうした声は、社会に変化をもたらすだけでなく、私たちがみずからの社会の在り方や歴史とどう向き合っていくのか、その姿勢を根本から問う動きにもつながっているように感じます。
ロンドン支局長
向井麻里  

平成10年入局
国際部やシドニー支局を経て現在は英政治や社会問題など担当