旧優生保護法下の不妊手術めぐる裁判 きょう判決 東京地裁

旧優生保護法下の不妊手術めぐる裁判 きょう判決 東京地裁
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旧優生保護法のもとで不妊手術を強制されたとして70代の男性が国を訴えた裁判の判決が30日、東京地方裁判所で言い渡されます。全国で起こされた裁判のうち判決は2件目で、旧優生保護法が憲法に違反していたかや、賠償を含めた国の責任についてどのような判断が示されるか注目されます。
北三郎さんの名前で被害を訴える都内の77歳の男性は、昭和32年、14歳の頃に旧優生保護法によって不妊手術を強制されたのは重大な人権侵害で憲法違反だとして、国に対して賠償を求めています。

裁判では、不法行為から20年が過ぎると賠償を求められなくなる、「除斥期間」と呼ばれる期間を過ぎたかどうかが大きな争点となりました。

男性側が、精神的な苦痛が続いていて除斥期間を適用すべきではないと主張した一方、国側は、手術から20年がたった時点で賠償を請求する権利が無くなったとして、訴えを退けるよう主張しました。

旧優生保護法が廃止された平成8年までに、障害などを理由に、本人が同意したケースも含めておよそ2万5000人が不妊手術を受けさせられたとされています。

同様の裁判は全国で9件起こされ、このうち仙台地方裁判所が去年5月、憲法違反を認めた一方で賠償を求める訴えを退ける判決を言い渡しました。

東京地裁での判決はこれに次いで2件目で、旧優生保護法による不妊手術が憲法に違反していたかや、賠償を含めた国の責任について裁判所がどのような判断を示すのか注目されます。

判決は30日午後2時に言い渡される予定です。

最大の争点は「除斥期間」

今回の裁判で最大の争点となったのは、賠償を求められなくなる期限を定めた「除斥期間」と呼ばれる規定を適用すべきかどうかです。

旧民法の除斥期間の規定では、不法行為があったときから20年が過ぎると、賠償は求められなくなると定められています。

裁判で男性側の弁護団は、不妊手術によって「子どもを産み育てるかどうかを決める権利」を奪われたうえ、その後の人生でも妻との間に子どもを持てなかった苦しみや、手術を受けた事実によってさまざまな差別の被害を受けかねない状況にあると主張しました。

そのうえで、国の不法行為の不妊手術による精神的な苦痛は今も続く「人生被害」であり、除斥期間は適用すべきでないと主張しています。

一方、国側は、不法行為が発生したのはあくまで昭和32年の不妊手術のときで、その後の被害はいずれも不妊手術によるものだと主張。除斥期間の開始は不妊手術を受けさせられたときで、すでに20年以上が過ぎたため、賠償を請求する権利はなくなっているとして、訴えを退けるよう主張しています。

除斥期間の適用は多くの裁判で賠償を求める訴えを退ける理由となり、被害を訴える原告にとって高い壁となってきました。

昭和40年代に西日本で相次いだ食品公害「カネミ油症」をめぐる裁判では、発生から20年以上たって患者と認定された人たちが製造会社に賠償を求める訴えを起こし、最高裁まで争われましたが、除斥期間が過ぎているとして訴えを退ける判決が確定しました。

一方で、例外的に除斥期間を適用せずに賠償を認めた判例もあります。

女性が殺害されたうえ、遺体が地中に埋められた事件がおよそ26年たって発覚し、遺族が加害者に損害賠償を求めた裁判で、最高裁判所が平成21年の判決で、「著しく正義・公平の理念に反する」として、被害から20年が過ぎていても除斥期間を適用しませんでした。

今回の裁判でも、こうした過去の判例を引き合いに、男性の弁護側と国側が除斥期間の適用をめぐって争ってきました。

原告の男性 判決を前にコメント

北三郎さんの名前で訴える77歳の男性は、判決を前に弁護団を通じてコメントを出しました。

北さんは「仙台地裁と同じような不当な判決でなければいいなと思いますが、不安です。旧優生保護法は間違った法律だったと裁判でも認めてほしい。60年以上苦しんできた。人生を返してほしい。元に戻してほしい。その思いが裁判所に通じてほしい。判決が出た後は、何が何でも国には謝ってほしい。この傷は墓場まで持って行きたくない。正義と公平な裁判であってほしいと思う」としています。

原告の男性 判決への思い

北三郎さんは昭和32年、非行を理由に宮城県の福祉施設に入所していた14歳の時、施設の職員に何も知らされないまま病院に連れて行かれ、不妊手術を受けさせられたといいます。

その後、施設の先輩から不妊手術だったことを知らされた北さんは、手術のことを周囲に打ち明けられませんでした。

29歳の時に結婚。事情を知らない妻は子どもができずに悩んでいたといいますが、それでも事実を伝えることができませんでした。

打ち明けたのは結婚してからおよそ40年後。妻が亡くなる間際になってからでした。

事実を知らされた妻は、北さんを責めることもなく、「ごはんだけはちゃんと食べるのよ」と北さんの体を気遣いながら、亡くなったといいます。

妻が死亡してから5年後のおととし、手術を受けた人たちが声を上げはじめ、国を訴える動きが出てきたことを知りました。

そして、医療機関で自分の体に手術のものと見られる痕があることを確認し、裁判を起こしました。

去年5月、一連の裁判では最初となる判決が仙台地方裁判所で言い渡されました。

旧優生保護法が憲法違反だったことは認められましたが、国への賠償請求は退けられました。

その理由の1つは「除斥期間」。

原告たちが手術を受けた時点から20年が過ぎ賠償を求める権利が消滅したとされたのです。

北さんはこの判決に強い疑問を感じました。

手術を受けた当事者はみずから声を上げることが難しく、当時、裁判を起こすことは到底無理だったと考えているからです。

北さんは「私自身、手術を受けたことを誰にも言えずにいて、事実を公にして裁判を起こすことはできなかった。国は問題を放置し続けたのに、賠償責任が認められないのはどう考えてもおかしい」と話しています。

不妊手術を受けた当事者に対し、国は去年4月、一時金320万円を支払う制度を設けました。

しかし、北さんは国の責任を明確にするため、一時金の申請を行わず、裁判を継続しました。

手術を受けた当事者やその家族で作る団体の共同代表にも就任し、各地で行われている裁判や集会に足を運んで強制手術の実態を訴えてきました。

北さんは30日、『正義と公平な裁判を』と記した手作りの紙の花を胸につけて判決に臨むことにしています。

北さんは「不妊手術を受けさせられてから60年以上、苦しみと悲しみを抱えて生きてきた。77歳と高齢になり人生残り少なくなってきたので何とか国の責任を認めてほしい」と話しています。