「withコロナ」の公演活動とは ~オーケストラ再開への模索~

「withコロナ」の公演活動とは ~オーケストラ再開への模索~
新型コロナウイルスは人々の生活や経済活動、そして芸術の分野にまで大きな変化をもたらしている。世界最高峰のオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は独自の検証を行い、公演再開に踏み出した。そして日本国内のオーケストラも試行錯誤しながら再開に向けて模索している。その最前線を取材した。
(ウィーン支局長 禰津博人/科学文化部記者 飯嶋千尋)

「黄金の間」に響くオーケストラの旋律

張り詰めた空気の中、弦楽器の美しい調べが楽友協会「黄金の間」に響き渡った。

6月5日、音楽の都ウィーンで3か月にわたり中止されていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の公演が再開された。タクトを振るのは世界的指揮者で、ピアニストのダニエル・バレンボイム氏。オーストリアが生んだ作曲家モーツァルトが残した最後のピアノ協奏曲27番が世界最高峰のオーケストラによって演奏された。

そしてベートーベン交響曲第5番「運命」。19世紀の初演から350回以上演奏されるウィーン・フィルにとって特別な曲だ。さらに新型コロナウイルスの影響で中止になる前の最後の公演で披露したことから、楽団員たちは、今回演奏することを決めたという。

第3楽章の終盤、ティンパニーの暗い響きから、最終楽章の躍動感ある歓喜のフィナーレに向かう旋律。世界が未知のウイルスとの闘いに向き合う中、確かな一歩を踏み出そうとしていると、力強いメッセージを感じた観客もいたようだ。
しかしホールを見渡すと様子は少し異なっていた。

いつもなら埋め尽くされる客席には収容人数20分の1以下の100人しかいない。感染を防ぐため席と席との間を空ける措置で、名門ウィーン・フィルの公演とは思えなかった。

それでも公演再開のニュースは感染の拡大で沈んでいた街に明るい話題をもたらした。
「ウィーン・フィルは、われわれにとってモーツァルトのような特別な存在だ。この動きは、公演再開の象徴になる」

トンネルの先に見えた光

ウィーン・フィル公演再開の道のりは平坦なものではなかった。限られたスペースの舞台で演奏者が密集するオーケストラはいわゆる「3密」の状態となる。

このため、オーストリア政府はことし3月にロックダウンに踏み切り、感染対策として劇場での公演活動を禁止。ウィーン・フィルも、ドイツ公演を途中で切り上げた。

設立から178年のウィーン・フィルの歴史上、初めて経験する長期の公演中止に楽団員たちも大きな衝撃を受けていた。
バイオリニストで団長のダニエル・フロシャウアー氏もその1人だった。

「私の人生は音楽の演奏と共にあり、いつも観客や指揮者がいた。公演の中止は本当に苦しかった。先が見えない、暗いトンネルに入ったようだった」と打ち明けた。

感染予防と公演を両立させるにはどうしたらよいか。

楽団員たちは、オンラインでの会議を重ねて議論を続け、結論に至ったのが、自分たちで感染対策を実証し、国や社会に理解を求めていくというものだった。フロシャウアー団長は、クルツ首相に直接電話し、政府も芸術を支えて欲しいと訴えたという。

楽団が取り組んだ対策は

ウィーン・フィルがとりかかったのは3密対策の検証実験だった。

ステージ上で演奏者の飛まつはどこまで拡散するのか。5月上旬、楽団員は医師の立ち会いのもと、呼気の動きを調べる装置を取り付けて演奏を行い、拡散の程度を検証した。
その結果、飛まつは弦楽器などでは50センチ。最も広がったフルートが75センチほどで、これまで通りのオーケストラの配置でも演奏者どうしの感染や客席への拡散は抑えられるという判断に至ったという。
ウィーン・フィルは、通常のオーケストラ配置での演奏に強いこだわりを持っていた。

フロシャウアー団長は感染対策として、演奏者どうしの間隔を、例えば2メートル空けてしまえば、それは、ウィーン・フィルが紡ぎ出す音ではなくなってしまうと考えていた。それゆえ結果を聞いたとき、フロシャウアー団長は「暗いトンネルの先にようやく光が見えた」と感じたという。

ウィーン・フィルの検証は世界のクラシック業界を駆け巡った。日本のオーケストラやベルリン・フィルなど150件以上の問い合わせがあり、結果を公表した。世界のオーケストラの公演再開を後押ししたいと考えていたからだった。

こうした中、オーストリア政府が動いた。公演活動の規制を緩和し、5月下旬から100人までの室内イベントの再開を許可したのだ。

もうひとつウィーン・フィルが取り組んだのは、楽団員の無感染を証明することだった。楽団員には抗体検査を行い、そして公演2日前には出演者全員にPCR検査も行った結果、陰性であることが確認された。
そして迎えた演奏会当日。

楽団員は、オーストリア政府が定めた1メートルのソーシャルディスタンスを保つことを心がけた。また、楽屋での着替えをやめて、自宅から正装で会場入り。出演者はバレンボイム氏含め全員が直前までマスクを着用した。自分たちの感染対策は世界から見られているという意識があり、前向きなメッセージを送りたいと考えてのことだった。

芸術活動を続けるため、検証を重ねて政治や社会の理解を得た上での公演再開だった。

通常公演を目指して

確かな一歩を踏み出したウィーン・フィルではあるが、前途はまだまだ多難だ。演奏はできても、100人限定ではビジネスとして成り立たないからだ。また、公演ごとに出演者にPCR検査を行えば、経費も楽団の経営に重くのしかかる。

このため楽団がこの先目指すのは、一日も早い「通常公演」だ。オーストリア政府は7月からは250人、8月からは1000人へと徐々に制限を緩和していく方針で、楽団もそれに合わせ、観客を増やしたい考えだ。

この夏オーストリアでは、クラシックの夏の祭典「ザルツブルク音楽祭」が開かれる。特にことしは100周年の節目を迎え、ウィーン・フィルも花を添える。自分たちが先頭に立って音楽を以前と同様に楽しむことができることを示したい。

そこには、世界を代表する伝統オーケストラとしての自負もにじみ出ている。

ソーシャルディスタンス・アンサンブル

ウィーン・フィルが通常のオーケストラの配置にこだわった一方、日本を代表するオーケストラの1つ日本フィルハーモニー交響楽団は別のアプローチで公演再開を目指そうとしていた。

その名も「ソーシャルディスタンス・アンサンブル」。楽団員が距離を取って弦楽器のみ21人で構成するオーケストラとしては小さい編成だった。

無観客の演奏会

日本では緊急事態宣言が解除された後もオーケストラはいわゆる3密となることから、できる限りの対策をした上で公演を再開しようという考えが広がっている。

このため楽団では以前から親交ある、東京のサントリーホールの休業要請が解除されたことから、手始めとして無観客でソーシャルディスタンス・アンサンブルの演奏会をネットで配信することにした。
演奏会前日の6月9日、楽団員は3か月ぶりにサントリーホールに集まり、検温とアルコール消毒をしてステージに向かった。

そこには2メートル間隔で並べられた椅子があった。楽団員たちは見慣れないオーケストラの配置を前に少し戸惑った表情を見せていた。
3か月ぶりに演奏したのはチャイコフスキーの弦楽セレナーデ。繊細で清らかな音色がホールに響き渡った。距離を置いての演奏はこれまでの演奏とは遜色ない仕上がりで、目の前で奏でられる音楽の力に圧倒された。

楽団員たちは物理的な距離を埋めるため、演奏でどのようなことに気をつけたのか。コンサートマスターを務める田野倉雅秋さんに聞くとプロならではの答えが返ってきた。
田野倉さんは「いつも以上に耳を澄ませて空気を感じとって、さらに目で見てということをやれば、なんとか、近い距離を保っていることに代わるコミュニケーションがとれるのではないかと、きょう実際にやってみて思いました」と手応えを感じているようだった。

感染対策と公演をどう両立させるか

日本でも再開への第一歩を踏み出したものの、課題となるのはオーストリア同様、収益をどう上げるかだ。感染対策と公演を両立させたい思いは楽団側もホール側も一緒である。
日本フィルハーモニー交響楽団・平井俊邦理事長は「ホールとオーケストラがどういう形で協力していったら、正常な形に戻すための第一歩、第二歩を踏み出すことができるのか、一緒に模索していきたいと思っています」と話している。
サントリーホール・折井雅子総支配人は「どう両立させるか本当に難しく、模索を続けている。『withコロナ』のコンサートは、ホールの運営側はもちろん、演奏者や観客の理解と協力が必要になる。より安全なコンサートをみんなで作り上げていくことを目指していきたい」と今後の進展を期待している。

『withコロナ』でも感動を届けたい

このほか、関西フィルハーモニー管弦楽団は6月27日の定期演奏会に向けて、弦楽器は1.5m、管楽器は2mの距離をとって演奏できるか検証を行うなど各地で独自の取り組みが始まっている。

また、実際に観客を入れた公演に踏み切ったところも、2000人が入るホールに100人しか観客を入れずに、客席の密を避ける形をとるなど、対応は様々だ。

今後の公演はどうなるのか。

新型コロナウイルスの影響で、それぞれのオーケストラは、リモートで演奏したり、無観客ライブを映像配信したりして、新たなスタイルに挑戦している。また、国内外を問わず感染への懸念が拭えないことから公演再開に慎重な楽団も多い。

それでも、今回われわれが取材を通じて楽団員から感じたのは「生で演奏を届けたい」という強い思いだ。
ウィーン・フィルの公演再開を伝える会見で指揮者のバレンボイム氏は「いまは音楽のネット配信などで技術がどんどん進歩しているが、やはり、音楽の神髄は生演奏にこそある」と話している。

「withコロナ」の時代、どのようにすれば、生演奏の感動を多くの人たちに届けることができるのか。そのためにはこれまでの常識を変えなければならないのか。音楽家も観客も共に考えるときが来ている。
ウィーン支局長 
禰津博人
2002年入局
テヘラン支局 ワシントン支局などを経て現職
中東欧・国連・核問題を担当
科学文化部記者 
飯嶋千尋
2009年入局
札幌局などを経て、2017年から科学文化部で消費者問題を取材。2019年以降は芸能・音楽などを主に担当。