プロ野球開幕、エースが交わした約束

プロ野球開幕、エースが交わした約束
プロ野球が3か月遅れで開幕した。
プロ野球の世界で裏方として働く人が、「この人は必ず活躍する」とわかる選手がいるという。彼はその言葉どおり日本で1番有名な球団で活躍しエースとなった。そしていま、もがき苦しみながら、2軍で開幕を迎えている。彼は交わした約束を果たせるのだろうか。
(ネットワーク報道部記者 松井晋太郎)

メッセージには…

去年の秋、短いメッセージがスマホに届いた。「苦しみながら頑張ってますよ」。

送り主は西武ライオンズの内海哲也、38歳のサウスポーのピッチャーだ。ボールの切れとコーナーへのコントロールを武器に、これまでに日本のプロ野球で、現役で2番目に多い133の勝ち星をあげている。

元巨人のエース

内海は以前、巨人のエースだった。2004年から15年間在籍し、この間、巨人は3年連続でのリーグ優勝を2度果たした。いずれもエースだった内海の功績が大きい。
巨人は2012年のシーズンオフ、内海と4年総額16億円の大型契約を結ぶ。

会見でも「生涯、巨人でやっていきたい」と満足そうに話した。
“活躍するのが当たり前”。

“プロ野球選手として成功しているんだ”。

“恥ずかしいところは見せられない”。

内海は当時、そう思っていた。

応援したい選手

私が初めて内海に会ったのは7年前。巨人担当になった年の夏だった。
常に多くの記者に囲まれていた。エースとしての責任感も強く、偉そうなそぶりは全くなかった。初対面の私にも謙虚に丁寧に接してくれる。取材の際、必ず足を止めてこちらの目を見て話をしていた。相手の立場を尊重し考えてくれる選手だった。

慕う人、応援する人が野球界に多いのもまた内海だった。
エースの立場にいながら気軽に若手を食事に誘ったり、自主トレーニングに連れて行ったりしていた。そして選手の体のケアをするトレーナーから聞いた話が忘れられない。
トレーナー
「裏方として仕事をしていると応援したいと思える選手がいるんです。見えない所でも私たちに気を使ってくれる選手です。そう思える選手は不思議と活躍します。内海投手は応援したいと思える選手です」
慈善活動にも熱心で、奪った三振や投げたイニングの数に応じて児童養護施設にランドセルを送る活動を2008年から続けている。

移籍を余儀なくされた元エース

しかし、大型契約を結んで以降、かつてのように勝ち星をあげられなくなる。安定していたボールのリリースポイントがズレるようになり、コントロールが狂い出した。
プロで5勝することは簡単ではないが、期待された数字ではない。

そして2018年12月のある朝、巨人の球団関係者から「ちょっと話したいことがある、会って話したい」と電話がかかってきた。

内海は他球団への移籍の話だと直感した。

会った時、『どちら(の球団)ですか?』と聞いた。
『ライオンズで』と球団関係者は答えた。つまり巨人はFA宣言した西武ライオンズの選手を望んで獲得し、その代わりの選手として内海が移籍を余儀なくされたのだ。

「新しいチームでも気持ちを新たに頑張ります」というコメントを出した。
ただそれまでの野球人生を振り返ると、なかなか気持ちが切り替わらなかったことが想像できる。

6番手投手のあこがれの球団

巨人は子どもの頃からあこがれの球団だった。そして苦しい境遇をはい上がって、望みに望んで巨人のエースの座についた。

京都出身の内海、中学時代、府内の小学校でエースで4番が集まる強豪の硬式野球チームに入った。そのチームでピッチャーとして6番手だった。試合はよくベンチから応援していた。
目の前の試合に出られない悔しさ。練習でもレギュラーは煌々と光る照明の下でノックを受けたが、内海は、その照明から漏れてくるわずかな光でしかノックを受けられなかった。そこからはい上がった。

当時一番近くで見ていたのは母親の広子さんだ。母子家庭となっていて、学校の給食を作る仕事などをしながら、内海を筆頭に3人の息子を育ててきた。いま、地元でお好み焼き屋をやっている。
広子さん
「コツコツ努力をする子でした。練習は厳しく試合にもなかなか出られない。つらかったと思いますが弱音は一度も吐いたことがありませんでした。親心ですが私はいつか活躍すると信じていました」
広子さんの信じるとおり、内海は福井県の強豪、敦賀気比高校に進んで急成長する。
エースとなった3年生の時、ドラフト会議でオリックスから1位指名を受けた。しかし、幼いころからの憧れである巨人入りを夢見て、入団を断る。

信じた母

「うちが貧乏なのを知っているので親戚から『何でいかさへんねん』って言われました」。

それでも広子さんは、約束されていない巨人への入団を望む、息子の選択を信じた。そしてその望みどおり、内海は社会人野球に進んで活躍し、3年後、巨人から事実上の1位指名を受けて入団したのだ。
広子さんの店には、巨人と西武、2つのユニフォーム姿の内海が飾ってあった。「どちらのファンですか」と聞くと、しばらく沈黙が続いたあと恥ずかしそうに「どちらでもありません。私は、内海哲也のファンです」と母は答えた。

登板0

西武に移籍した1年目。内海は去年3月、利き腕である左前腕の肉離れを発症する。9月には左前腕のけんの修復手術を受けた。プロ16年目で初めて1軍で投げることなくシーズンを終えた。

遠くまでありがとうございます

ことし2月、高知市春野町で西武ライオンズの2軍キャンプが行われ、内海はそこで再起を誓っていた。山に囲まれたとても静かなところだ。
この時、取材するメディアは私1人だった。内海は小雨の中、真剣な表情で投球練習をしていた。ブルペンから出て来て私の姿に気付くと表情を崩して手を差し出した。
「お久しぶりです。遠くまでありがとうございます」。

謙虚なことばと、優しい顔は変わらない。練習後、今の心境を聞いた。

「変わらないですね」。

間を空けずすぐに否定した。

「うーん。変わらないといったら違うか。今年だめだったらという思いでやっています」。

今シーズンに進退をかけるという意味だ。左腕の手術の痕は痛々しかった。
内海投手
「去年は、気持ちが折れそうになったりへこたれそうになりました。そんなのばかりでした。『もうしんどいな』『腕が痛くて投げられないのに何でやっているんだろう』とか考えていました」
去年、悩む中でも自らを鼓舞し自宅から1時間かかる埼玉の練習場に通うために毎日5時半に家を出ていた。グラウンドには巨人の頃からそうしたように、誰よりも早く着く。
10時からの全体練習の前にランニングやストレッチなどの準備を怠らなかった。

外野でのランニングは、フェンスギリギリの1番外側を走った。それが1番長く距離を走れるからだ。若い選手が内側を走る中、その数メートルをサボらなかった。

今シーズン、新型コロナウイルスの影響で開幕は延期された。延期されている間は、限られた環境と時間の中で、肩の筋肉を落とさないための遠投や心肺機能を高めるための走り込みを続け、1軍入りを目指した。

約束

内海が今シーズンの活躍を誓った人たちがいる。

1人は母親の広子さんだ。正月に会った時、内海は「今年は絶対に1軍で投げるから」と約束している。
広子さん
「私は、投げるのを見るのが怖くて、ほとんど球場に行ったことがないんです。でも今年は投げるなら急でも店を休んで行きます。ラストイヤーかもしれませんから」
母は今回も息子を信じている。

そして、内海の4人の子どもたち。内海は中学1年生の長男を筆頭に3人の男の子と1人の女の子の父親である。息子たちは野球をやっている。しかし昨シーズンは2軍の試合に1度も家族を呼んでいない。
内海投手
「プロ野球選手としての大事な仕事は、1軍で投げることです。2軍はただ働きと同じなんです」
キャンプに入る直前に子どもたちにこう、話したそうだ。

『ことし最後になるかもしれんけどしっかり見といてな』。
『パパも頑張るから約束や、お前たちも習い事や野球を頑張れ』。

息子たちが野球を始めてから活躍する姿を見せられていない。
内海投手
「このユニフォームで1軍のマウンドに立って投げている父親の姿を見せたいというのが1番です。親父の意地です」
グラブには子どもたちの名前のイニシャルが刺しゅうされていた。

困難はあります

かつてのようなピッチングはできないことは、内海が一番分かっている。2月のキャンプでも、鏡と向き合い、「今、持っている体で最高のフォームを追い求めたい」と何度も何度もフォームをチェックしていた。
内海投手
「好きな事をやっていても困難はありますが、その困難を乗り越えないと先はありません。立ち向かうことを忘れずにいたい」
「巨人の時の自分はもういませんし、プライドもないかもしれません」

彼はきっと

内海はきょうの開幕を2軍で迎えた。
ここまでの練習試合で1軍での登板はなかった。近く2軍での先発を任せられている。西武の投手陣は伸び盛りの若手が中心で、1軍に上がるには2軍で確実に実績を残さなければならない。
私は、1軍に上がる道は厳しいと思っている。しかしそれは可能性が低いという意味ではない。6番手からはい上がった時のように、厳しい道を切り開くと信じているという意味である。
つまり今シーズンは新型コロナの影響で試合数が減り、120試合になったので、きょうを除いて可能性として119回あるチャンスを、私の中のエースである内海が必ずつかむと信じているという意味だ。

彼が約束をやぶったところを見たことがない。
ネットワーク報道部記者
松井晋太郎
平成17年入局 スポーツニュース部ではプロ野球や陸上、フィギュアスケートを担当し、2年前から現所属