「住まいはどこでもいい」さよならオフィス アメリカの新常態

「住まいはどこでもいい」さよならオフィス アメリカの新常態
「オフィスに行かなくてもそこそこ仕事ができる」。新型コロナウイルスをきっかけにテレワークを実際に経験して、こんな思いを持った人も少なくないのではないでしょうか。アメリカのシンクタンクの全米経済研究所は「世の中の仕事のうちの37%がテレワークだけで完結できる」という調査結果を4月に公表しました。そのアメリカでは、テレワークの普及によって、従来の職場や住まいの概念を覆すような動きが出てきました。(ワシントン支局記者 吉武洋輔)

青空の下で顧客対応

「このデッキで何度も電話を受けていますよ」。カリフォルニア州のシリコンバレーに近い海辺の街。青空の下で、自宅の庭からオンラインでの取材に答えてくれたのが、会社員のアンドリュー・マクミレンさんです。
男性の勤務先は、東海岸のボストンにオフィスを構えるコンサルティング会社。にもかかわらず、2か月ほど前に遠く離れた西海岸のこの地まで引っ越してきたのです。きっかけは会社が全面的に導入したテレワーク。自宅で仕事をしているうちに、「これならどこからでも働ける」と考えたのです。
マクミレンさん
「昔から当たり前のように続いてきた、会社員はオフィスと同じ地域に住む、という必要性はほぼ完全になくなったんじゃないですか。私の友人はハワイに引っ越しましたよ」
ただ、そんなに離れた場所に社員が引っ越してしまって大丈夫なのでしょうか。マクミレンさんが勤めるボストンのベンチャー企業「Nucleus Research」のイアン・キャンベルCEOに話を聞いてみました。
すると、「社員はもうどこに住んでてもいいんですよ」ときっぱり。そして、この機会に、自身が気に入っているリゾート地・フロリダ州マイアミにオフィスを移転する計画を立てていると教えてくれました。

オフィスをなくす

新型コロナウイルスをきっかけにしたテレワークの普及は、アメリカの企業と働き手を確実に変え始めていると感じます。中には、“オフィスそのものをなくす”という大胆な決断をした会社も出てきています。
新型コロナウイルスの深刻な感染拡大地帯となったニューヨーク・マンハッタン。ミッドタウンと呼ばれる中心部のオフィスビルに入居する社員45人のベンチャー企業「Skift」を率いるラファト・アリCEOは、7月末にこのビルから撤退し、オフィスをなくすことを決めました。
この会社は、旅行の消費動向をリサーチする会社です。その情報をインターネットを通じて、会員であるツアー会社やホテルなどに発信しています。社員の日々の業務は調査や情報収集。そして収入源となる会員集め・広告集めです。足を運んでなんぼのようにも思えますが、この間、社員の多くが自宅からのメールや電話で業務に対応できたという手応えをつかんだと言います。そして顧客と直接会う必要があれば、そのつど訪問や出張で対応すればよく、オフィスという“場所”を持つことの意味はそれほどないと判断したわけです。
アリCEOは「この時代、対面でなくても顧客と連絡を取り合える最新の技術が、かつては想像できなかったほどたくさんありますから」と、決断の背景を述べました。

そして、もう1つ、アリCEOの決断を後押した理由があります。世界一とも言われるマンハッタンの高額なオフィス賃料です。実は、会社は新型コロナウイルスによる観光需要の低迷の影響で業績が悪化。オフィスを手放すことが最も効果的な経費削減策になったわけです。
こうした会社の決断で、すでに社員にも変化が起きています。前述の企業と同じように、住まいを変える動きが相次いでいるのです。マンハッタン周辺に住んでいた社員は、南部のテネシー州や西部のコロラド州などに引っ越し。アリCEOは「社員の20%~25%がニューヨークの外に住まいを変える」と予想します。とくにニューヨークでは、感染拡大の一因とも言われる地下鉄通勤への抵抗感も背景にあると言います。

不動産会社「REDFIN」による900人を対象にした調査では、「もし会社が完全にテレワークに切り替えたら、別の都市への移住を検討する」と回答した割合が、ニューヨークで61%、サンフランシスコで51%に上りました。テレワークは都市に集中している人口の分散をもたらすのでしょうか。

課題はコミュニケーション

ただ、本当にオフィスをなくして支障はないのでしょうか。アリCEOにこの疑問をぶつけてみると、「社員のコミュニケーションの構築が最大の課題になる」と話しました。アリCEOは、企業の運営には社員の信頼関係や団結が欠かせないという理念の持ち主です。「すでにある試みをしています」と教えてくれたのが、オンラインによるランチミーティング。週に2日、オンライン通話を使って、みんなで食事をするのです。
5月下旬にその様子をのぞかせてもらうと、この日は合わせて17人が参加していました。自宅やテラスなどでごはんを食べながら談笑します。話している内容はほとんどが雑談。生まれたばかりの赤ちゃんをだっこしながら参加した男性社員の話をきっかけに、もっとも子どもに手がかかる時期はいつかという話題に。2、3歳が大変という意見に対し、5歳の子どもがいるアリCEOは「いまがいちばん大変」と発言。すると、別の男性社員が「思春期の13歳がいちばんさ」と続き、妊娠中の女性社員が苦笑い。
オフィスがなくても、こうした時間をつくれるものなんだと感心した一方、逆に言えば、社員どうしの会話がほとんどなければ、オフィスがあってもあまり意味がないのではないかと考えさせられました。

昨今、日本では働き方改革が進んできたとは言え、長くオフィスにいることが、がんばっている証拠という価値感が残る時代を経験した立場からみると、会社がオフィスを持たないのはさすがに極端、と感じるのかもしれません。
ただ、そもそも“職場”がどうしてできたのかという原点に立ち返ると、それは、社員みんなでモノをつくったり仕事の情報を共有したり、会議をしたり営業活動の拠点にしたりといった業務の遂行のため、1つの場所に集まることが最も効率的だったからです。

そう考えれば、効率性をアップさせるテクノロジーが発展するにつれ、従来のオフィスの在り方や社員の働き方が変化していくことは、そんなに不思議なことではないとも思えてきます。
ワシントン支局記者
吉武 洋輔
2004年入局
名古屋局・経済部を経て現所属