「生体情報の時代」に備えよ 未来学者が説くポスト・コロナ

「生体情報の時代」に備えよ 未来学者が説くポスト・コロナ
新型コロナウイルスによって、私たちの社会は抗体を持つ人やワクチン接種が可能な“特権階級”の人々と、そうではない人々に分断され、いずれ人間は出生時に遺伝子情報によって点数化されるようになるーーーこれは5月に、アメリカの未来学者、エイミー・ウェブさんが示した「2035年のシナリオ」の一つです。ともすれば荒唐無稽なSF物語のようにも聞こえる未来論。パンデミックは私たちの社会をどこに向かわせようとしているのでしょうか。
(国際部 曽我太一)

パンデミックと巨大テック企業

未来学者、エイミー・ウェブさん。ニューヨーク大学ビジネススクールで教べんをとり、みずからが設立した「フューチャー・トゥデイ研究所」はアメリカのホワイトハウスや国務省、数々のグローバル企業を対象にテクノロジーと社会の未来についてアドバイスを行っています。

イギリスの公共放送BBCの「2019年の女性100人」に選ばれるなど、いま最も注目される人物のひとりです。
ウェブさんはAI=人工知能を中心としたさまざまなテクノロジーの動向を追い、膨大なデータ分析を通じて「次の潮流」を読み解きます。

私たちがウェブさんに取材を申し込んだのは、新型コロナウイルスによって私たちとテクノロジーの未来がどうなるのかを知りたいと考えたからです。ウェブさんは、新型コロナウイルスの感染拡大の中、存在感を増しているのが、AI開発を担うテクノロジー関連の企業だと指摘します。
「あらゆる面で未来の形成に関わる巨大テック企業は、パンデミックでその強みを発揮しています。今起きているウイルスとの闘いのなかで、AIは日々活用されているのです。収集される膨大なデータを処理・分析するコンピューティング技術が必要になるでしょう。IT技術の浸透による課題解決や、将来的にはさまざまなシステムがいっそうつながることも求められます。“BIG9”の企業はこうしたことにパンデミック以前から取り組んできました」

テック企業規制の動きは停滞へ?

“BIG9”はウェブさんがAI開発を独占していると指摘するアメリカと中国の企業合わせて9社のことを指します。その頭文字からアメリカの6社を“GーMAFIA”(グーグル、マイクロソフト、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック、IBM、アップル)と中国の3社を“BAT”(バイドゥ、アリババ、テンセント)と呼んでいます。
ウェブさんはAIの浸透が進めば、さまざまな主導権が従来の政府や、医療機関、さまざまな業種の企業から奪われ、BIG9が未来の命運を握ることになると警鐘を鳴らしてきました。しかしコロナ後、これら企業の規制に向けた動きはトーンダウンするだろうと話します。
「コロナ以前は、アメリカの巨大テック企業に対する反トラスト法の調査など、規制強化の動きがあり、ヨーロッパでも同様でした。しかし経済が再開する中で、こうしたことは難しくなっています。各国政府は、これ以上の雇用の減少につながるような動きがとりづらいからです」

“生体情報”の時代の到来

BIG9はAI開発のため、あらゆる分野で膨大な量のデータを収集しています。このうちウェブさんが注目するのが私たちの体に関する情報「生体情報」です。
それは新型コロナウイルス対策に世界が取り組む中、避けて通れないテーマとなっています。
「単なる『情報の時代』は終わり、私たちは新たな『“生体情報”の時代』に直面しています。ウイルスと闘うためにはデータやテクノロジーは不可欠なものです。AIを活用することで、新薬の開発期間の短縮や、ウイルス変異のタイミングを特定することも可能になるでしょう。それはもちろんすばらしいことです。しかしながら、いま世界には、誰がデータを集め、データがどのように使われるのか、それを規定するルールや規範、基準がないんです。私たちは、これからますます私たち自身のデータを“差し出す”ことになっていくでしょう。それ自体は必ずしも悪いことではないのですが、透明性がないのです」
こうした個人の生体情報をデータベース化する動きは各国で広がっていると言います。
「中国ではデータが強制的に集められ、政府が、巨大な生体情報のデータベースを構築しようとしています。しかし、これは中国でだけ行われていることではないのです。フランスでは、国が生体情報の登録制度を始めようとしていますし、アメリカでも、学校の生徒を追跡するシステムを導入しようとしています。ワクチンや治療薬の開発競争でも、多くの国が中国と同じような道を進むのではないかと懸念しています。生体データとテクノロジーが融合する時代に突入したことで、どういった議論が必要なのかを理解する必要があり、いまそれができなければ、私たち自身に害を及ぼす形で使われることになるでしょう」

日本が危機に大切にすべきこと

BIG9に象徴されるように、アメリカと中国によるハイテク競争は激しさを増しています。

コロナ禍を経て、日本の進むべき針路はどこにあるのか。日本に住んでいた経験もあるウェブさんに聞きました。
ウェブさんは、日本が「新たな世界秩序を作ろうとしている隣国」である中国と「政治的な変化が起きた長年の同盟国」であるアメリカの間に挟まれた難しい立場に置かれていると指摘。そのうえで、日本は覇権争いに巻き込まれるべきではないと話します。
「日本は信じられないくらいポテンシャルが高く、有能な人材がいて、すばらしい会社があり、イノベーションも起きています。特に、ロボティクス分野のリーダーであることに議論の余地はありません。しかし私には長期的な視点や、先を見据えた投資が伴っていないように見えます。それが日本のもろさであり、チャンスでもあると考えています。力を結集すれば、日本は世界レベルでぬきんでたプレーヤーとなるでしょう」
一方で、日本企業は危機だからこそ、これまでの企業文化を脱却する必要があると指摘します。
「私からのアドバイスは、リスクをとれということです。誰も失敗したくないので、人も企業もリスクをとりません。しかし、いまは歴史の転換点です。リスクのとれる環境を作らなければ、大きな問題に直面するでしょう。時として、危機はイノベーションへの“触媒”となります。いま多くの企業が財政的な損失を抱えたり、サプライチェーンの変更を余儀なくされたりするなど、さまざまな問題を抱えています。だからこそ、今は既成概念に立ち向かうときです。未来に備えないという言い訳はできません。多くの変化と不確実性があるからこそ、大切なのは既成概念に立ち向かい、あなた自身やあなたの会社が描く未来になるように、ストーリーを作ることなのです」

2035年 2つのシナリオ

記事の冒頭に登場したウェブさんが提示した「2035年のシナリオ」は、私たちの世界が誤った判断を重ねた場合の「破滅的シナリオ」だとされています。

正しい判断を重ねれば、逆の「楽観シナリオ」もあるとしています。パンデミックを機に、透明性を重視したデータ収集や活用のルールが世界的な協調のもとで確立され、プライバシーを重視した生体情報の活用システムが構築される。

そして、5Gの普及によってさまざまなシステムがいっそうつながり、新たな経済の創出やヘルスケア技術の向上に貢献するなどという予測です。
のちに2020年を振り返ったとき、パンデミックに立ち向かう人類はどちらに舵を切ったのか。歴史的な転換点に、人々は何を議論し、どのように判断を重ねていったのか。いま私たちが直面するひとつひとつの判断は、やがて検証されるときが来るのかもしれません。
国際部 記者
曽我太一
平成24年入局 札幌局などを経て国際部 スタンフォード大学で客員研究員として、デジタル技術について研究した。