秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる

秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる
k10012470411_202006150551_202006150603.mp4
豊臣秀吉や養子の秀次の言動などを、そばで仕えた武将が記した「駒井日記」の自筆原本の一部が見つかり、調査にあたった専門家は「当時の武将の日記の原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある」と指摘しています。
「駒井日記」は、豊臣秀吉や養子の秀次に仕えた武将の駒井重勝が書いた日記で、秀吉や秀次の言動などが記されていることから、当時の出来事を知る上で重要な歴史資料です。

江戸時代の写しが数巻分残されているだけで原本は失われていると考えられていましたが、東京大学史料編纂所がその一部とみられる日記をインターネットオークションで購入し、内容などを調べた結果、写しがある部分の自筆の原本そのものと判断されました。

調査にあたった村井祐樹准教授によりますと、見つかったのは17巻以上あるとされる日記のうち第6巻の7割程度に相当し、西暦1594年にあたる文禄3年2月の出来事が記されています。

このうち22日には、秀吉の天下統一を支えた黒田官兵衛が体調を崩した際に、秀次が出した見舞いの手紙の内容が記されているほか、27日には秀吉と秀次が今の奈良県の吉野で花見を行い、そこで詠んだ歌の内容も詳細に記録されています。

村井准教授は「この時代の武将の日記は数が少ないうえ原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある。筆跡などの情報がある自筆原本の研究は非常に価値があることなので、大きな発見だと思います」と指摘しています。

作者は秀吉の“右筆”の1人

村井准教授によりますと、「駒井日記」の作者、駒井重勝は、豊臣秀吉や秀次の書状を書く右筆を務めていました。

秀吉や秀次の右筆は複数いたことが分かっていて、今回見つかった日記の筆跡をもとに、重勝がどの書状を担当していたのかなどの研究が進むとしています。

また、今回の原本と比べると、江戸時代の写しは体裁が整えられているうえに字の間違いなどがあり、原本によって日記の表記や内容などが正確に分かるということです。

村井准教授は「自筆が出てきたことで、『この朱印状は駒井が書いたんだ』や『この時代に駒井が右筆だったんだ』など、詳細に字を検討していけば分かると思うので、秀吉の右筆たちの研究をする上でも非常に貴重な発見です」と話しています。