“怖がり経営”の底力

“怖がり経営”の底力
リセッションプルーフということばをご存じでしょうか。ウォータープルーフは水に強い=防水、リセッションプルーフは不況に強いというアウトドアビジネスの特徴を示すことばです。日本を代表するアウトドア用品メーカー「モンベル」、過去さまざまな不況の波を乗り越えてきましたが、今回のコロナショックは創業して45年で最大の危機だといいます。創業者で登山家でもある辰野勇会長に話を聞き、「怖がりな登山家は経営に向く」と語る、自身の経営哲学に迫りました。(大阪放送局記者 太田朗)

登山に明け暮れた青春時代

1947年、大阪・堺市で生まれた辰野さん。高校1年生の辰野少年は著名な登山家ハインリヒ・ハラーが書いたアイガー北壁登はん記「白い蜘蛛」に衝撃を受けます。スイスにあるアイガーは標高3970メートル。その北壁は1800メートルもの岩壁がそびえ立ち、多くの登山家の命を奪った「死の壁」と呼ばれるほど、登頂が困難でした。

辰野さんは当時のことをこう振り返ります。
辰野さん
「世界にはこんな場所があるのかと思いました。本で読んだアイガー北壁は危険で過酷で、そしてとても魅力的でした」
「いつかは登りたい」
辰野さんは高校卒業後は登山用品店などで働きながらクライミングの技術を磨き、1969年、21歳の若さでアイガー北壁の登頂に成功。
当時の世界最年少記録を打ち立てたのです。

登山で学んだ“リスクマネージメント”

一方、辰野さんは山で多くの仲間を失っています。
辰野さん
「近くの六甲山の岩場で滑落した仲間が病院に運ばれました。痛み、苦しみもだえながら、徐々に力が弱くなっていき、最期は目を見開いた状態で亡くなりました。たくさんの仲間が急な落石や墜落などいろんな理由で亡くなりました。これは若いころの原体験として体に染みついています」
山では、一瞬の気の緩みや決断が生死を分ける。この経験から学んだのが、「常に最悪を想定する」ことの重要性です。

常に先のことを心配して万全の準備を行うことが、いざというときの早い決断につながる。登山におけるリスクマネージメントは、その後の経営戦略にもいかされていきます。

他社に頼るが、頼り切らない

1975年、辰野さんは28歳のとき、モンベルを創業しました。大阪市西区の雑居ビルの1室に構えたオフィスはわずか7坪、電話と机だけでのスタートだったといいます。
飛躍のきっかけは、アメリカの化学メーカーとの出会いでした。登山家である辰野さんは粗悪な品質の登山道具は最悪、死にいたることをよく知っていました。

シュラフ=登山用寝袋の品質を高められないかと着目したのがアメリカを代表する化学メーカー、デュポンが開発した軽くて暖かいポリエステル繊維でした。モンベルを起業する前の商社勤務時代にデュポンの担当者と面識があったことから直接交渉してこの繊維を独占使用する権利を獲得。モンベルのシュラフは飛ぶように売れたのです。
さらに会社を大きく成長するきっかけとなったのは創業から5年後、ドイツでのパーティーで出会った、あるアメリカ人との出会いでした。イヴォン・シュイナード氏、アメリカの登山用品メーカー「パタゴニア」の創業者です。

登山家どうし意気投合した2人は、パタゴニア製品の日本での輸入販売を行う契約を結びました。その後、パタゴニアの売り上げはモンベルの総売り上げの4分の1を占めるまでに急成長。

しかし、辰野さんは悩みます。いまはよくても、いつか相手企業の経営方針が変わるかもしれない。また、このままでは自社ブランドが育たない。熟考した結果、提携の解消を決断。将来のリスクを考え、大なたを振るったのです。
辰野さん
「パタゴニアの売り上げを捨てる。これは目先の問題でいうと大変なことなんですけど、5年後10年後と先を見据えたときにやはりこのままではだめだと、自分たちのブランドを一生懸命しっかりやっていくことがなにより大切だと考えました」
1年後には、モンベルブランドだけで提携解消前よりも売り上げを伸ばすことができました。

危機に強い“怖がり経営”

辰野さんが創業以来貫いてきたのが、登山家ゆえの「恐がり経営」です。株式は上場せず、事業拡大のための投資は必要最小限に抑え、利益はなるべく蓄えに回す。

このおかげで財務の安定性を示す自己資本比率は80%に達しています。トヨタ自動車の38%、キヤノンの56%をはるかに上回る水準です。

日本企業は内部留保をため込みすぎだとよく投資家などから批判を受けてきました。しかし、新型ウイルスによる過去に経験がない経済ショックに見舞われる今、潤沢な資金があることは大きな強みになっています。
辰野さん
「登山家は最悪を想定します。ある意味怖がりなんです。モンベルの経営では、資本金をどんどん使って新たな事業展開に投資していくということをよしとしてきませんでした。自己資本を蓄積してきたということです。目先の売り上げにとらわれ過ぎる事なく、蓄えを増やして体力をつけて、ビジネスを長く継続していくことが大事です。そういう意味では、怖がりな登山家は会社経営に向いているのかもしれません。最悪を想定して準備をしていたからこそ、この危機が1年2年と続いたとしてもやっていける覚悟があります」

静かな挑戦続く

辰野さんは実は夢だったアイガー北壁の登頂に成功したら登山をやめるつもりだったと私に語りました。ところが頂上に立ち、絶景の先にマッターホルンという別の山が目に入り、「次はあの山に登ろう!」と意を新たにしたということです。

72歳になって今なお、経営の第一線にいる辰野さん。視線は足元ではなく、すでにコロナ収束後にあります。

次に必要とされる製品はどのようなものなのか、ザイルの結び目を慎重に確認しながら挑戦を続ける山男の静かな情熱。今の時代に適した経営スタイルの1つなのだと感じました。
大阪放送局記者
太田 朗
平成24年入局
神戸局を経て大阪局で経済担当