知られざるスティーブ・ジョブズ・コレクション 画廊との20年

知られざるスティーブ・ジョブズ・コレクション 画廊との20年
マッキントッシュ・コンピューターからiPhoneまで、ITの傑作商品を次々と開発して世界を変えたスティーブ・ジョブズ。IT分野のフロントランナーとして世界をけん引する一方、日本文化にも深い関心を持っていたことが知られている。しばしば京都を訪れ、すしやそばといった日本食も好んでいた。そうしたジョブズが、ひそかに熱中して集めていた日本文化が、もう一つある。ジョブズの死去(2011年)から来年で10年。ジョブズの「隠れた一面」に迫る。
(国際放送局 佐伯健太郎)

新製品発表 スクリーンに現れたのは…

ジョブズがマッキントッシュ・コンピューターを発表した1984(昭和59)年1月。スクリーンに現れたのは、テクノロジーとはおよそそぐわない、流れるように美しい黒髪をくしでとかす浴衣姿の官能的な女性だった。
この絵は、橋口五葉(はしぐち・ごよう)という“新版画”の作家が1920(大正9)年に制作した木版画「髪梳ける女」(かみすけるおんな)。当時の関係者は、ジョブズが会社に持ち込んだものを利用したと話している。

ジョブズは、コンピューターを発表する前の1983年6月と、その後の1984年2月に、同じ作品を日本で購入したことがわかっている。ジョブズがとても気に入っていたとみられる。

ジョブズが禅や和食などの日本文化に傾倒していたことは知られているが、“新版画”に熱中していたことは、ほとんど知られていない。

私は、ジョブズがなぜ日本の新版画を採用したのか、以前から不思議に思っていた。そうしたジョブズの「隠れた一面」を知るキーパーソンが東京にいた。

「新版画を集めたいので、いろいろと教えてほしい」

1983(昭和58)年3月、東京 銀座の目抜き通りにあった老舗の画廊を、よれよれのTシャツにジーンズ姿の3人の若者が訪れた。その1人が、当時、アップル・コンピュータの会長を務めていたジョブズだった。

接客をしたのは、松岡春夫さん。英語を話し、1969(昭和44)年から1975(昭和50)年まで、画廊のサンフランシスコの支店に勤めた。
松岡さんに名刺をさし出したジョブズはいきなり、「これから新版画を集めたいので、いろいろと教えてほしい」とあいさつした。当時は印刷代がまだ高い時代で、松岡さんは、手渡された多色刷りの名刺を見て驚いた。
このとき同行した2人は、ジョブズと共に会社を立ち上げたスティーブ・ウォズニアック氏と同僚のロッド・ホルト氏。いずれもアップル・コンピュータの歴史に残る人たちだ。

初めて店を訪れたジョブズが購入したのは、新版画の作品2点。このうち、桜の背景に富士山が描かれた作品について、松岡さんは、欧米人が好みそうな典型的な作品だと感じた。ただ、もう1点の美人画は、数が少なく、貴重なもので、高額であったにもかかわらず、ジョブズが買ったことが印象に残った。
実は、松岡さんは、ジョブズがどんな人物か知らなかった。わかったのは、その日、自宅に帰って、ジョブズを紹介する夕刊の記事を見たときだった。その後、松岡さんとジョブズとのつきあいは20年に及んだ。

新版画=明治~昭和の木版画

ジョブズが購入した“新版画”の作品というのは、明治後半から昭和にかけて作られた木版画のことだ。江戸時代に人気があった浮世絵版画に近代的な色を使い、伝統の復興を目指した。

海外から観光客を誘致するため、当時の鉄道省が作った海外向けのポスターやカレンダーに採用されたり、アメリカの展覧会で紹介されたりして、1930年代半ばには、日本よりも海外で人気があった。

「作品を選ぶ嗅覚には、プロの感覚を感じた」

ジョブズは日本に来ると、人が少ない午前中に店に立ち寄ることが多かったが、1日に2回立ち寄ることもあった。娘を連れてきたこともあった。

松岡さんが目を見張ったのは、新版画についてのジョブズの知識だった。店に入ってくると、松岡さんがいる奥の版画コーナーの部屋に入ってきて、在庫にある作品を見せてもらいながら、パッパッと素早いスピードで、「これは」という作品を購入した。それが終わると、新版画の作家の画集を見て、作品をチェックしていた。

その様子を見ていた松岡さんは、「ほしいものが、すべて頭の中に入っているようだった」と話している。

同時に強く印象付けられたのが、ジョブズの審美眼の確かさだった。ジョブズは、新版画の重要な作品をきちんとおさえていた。それは、明らかに、一般の人とは違っていた。

松岡さんは、「ジョブズさんの作品を選ぶ嗅覚には、プロの感覚を感じた。まだ若かったにもかかわらず、新版画について何十年も勉強しているという感じだった。よほど勉強していたのではないか」と、驚きを隠さない。

また、ジョブズが注文したのは、特に1923(大正12)年の関東大震災の前に制作された作品が多かった。そうした作品は、多くが焼失していて数が非常に少なく、貴重なものとなっていた。
ジョブズが購入した「塩路おかね路」(しおじおかねみち)について、松岡さんは、「外国人がおよそ選ぶことのない渋好みの作品。数が少ないので、値段も高かった」と話している。

この作品は、川瀬巴水(かわせ・はすい)が日本の風景を版画で制作した最初期のものだ。ジョブズは、そこまで知っていたのだろうか。

松岡さんによると、ジョブズが購入した新版画の作品は、少なくとも41点。最も多かったのは、風景画が得意だった川瀬巴水の25点で、全体の60%を占める。

このほか、川瀬巴水の作品24点を含む33点の注文を受けていた。ジョブズは、特に川瀬巴水と美人画、そして雪景色の作品を好んだ。
ただ、松岡さんは、店にあるものを紹介することに徹し、客の好みをあえて聞くという、立ちいった接客はしなかった。

ジョブズが選んだものについて松岡さんは、「平和や色彩の豊かさが感じられる作品が多い。ノスタルジーの感じ方が、日本人と同じなのではないか」と話している。

ビジネスの成功を子どものように喜ぶ

松岡さんとよく話すようになったジョブズは、時折、自分のビジネスのことについて話すこともあった。

ジョブズは、当時のソニーの盛田昭夫会長のことをよく話し、「盛田さんにヘリコプターに乗せてもらって、東京を1周した」と笑顔で話していた。また、ソニーが開発したブラウン管の「トリニトロン」が欲しかったと話し、それに関する商談がまとまったときには、店内で子どものようにはしゃいでいた。

一方、IT分野のフロントランナーになっていたジョブズにとって、松岡さんの店に通った時期は、みずから設立したアップル・コンピュータから追放された時期とも重なる。この直前、松岡さんは、ジョブズが「おれは一株を残してアップルを去るんだ!」と厳しい口調で話していたのをよく覚えている。

松岡さんは当時のジョブズの心境について、「新版画の作品を見ることで、一時的にでも、厳しいビジネスの世界から逃れて、傷ついた心を癒やし、リラックスしたかったという、そのひと言に尽きるのではないか。本人には、それが、とても大事なことだったのではないか」と話している。

新版画 関心の原点は…

しかし、なぜ新版画が好きなのか、ジョブズが明かすことはなかった。
そんなジョブズの新版画への関心の原点を、明かしてくれた人がいた。十代の頃からの友達で、アップル最初の従業員として雇われたビル・フェルナンデス氏。彼は、「スティーブに新版画についての興味を与えたのは、自分の母親だった」と話している。

ジョブズは13歳から18歳まで、友達だったフェルナンデス氏の家でよく遊び、彼の母親に自分の息子のようにかわいがられていた。

実は、フェルナンデス氏の祖父が川瀬巴水の作品を集めていた。そして、スタンフォード大学で日本美術を学んだ母親が、自宅でいつも新版画の作品を10枚ほど掲げていたのだ。
フェルナンデス氏は、「スティーブは間違いなく、私の家に掲げられていた美術品の影響を受けていた」と話している。
フェルナンデス氏が当時住んでいた家の写真からも、川瀬巴水の作品が掲げられているのがわかる。その後、日本を訪れたジョブズは、この中にあった「赤目千手の滝」(あかめせんじゅのたき)を松岡さんから購入した。ジョブズはどんな気持ちだったのだろうか。

これまでの取材で、私はジョブズと親しい関係にあった人たちに連絡を取ったが、秘書を務めたリン・タカハシ・フランクリン氏から「浮世絵にはとても興味を持っているようだった」というコメントを得るのが精いっぱいだった。

また、アップル日本法人の社長などを務め、ジョブズと7年間仕事をした原田泳幸氏は、「ビジネスにおいては深いつきあいがありましたが、プライベートな部分について、彼はすべての人と距離をおいていたと思われます。彼の日本の文化に関する興味はいろんな場面で知っていましたが、決してそれを日本人に話さなかったことも、彼らしさと思っています」というコメントを寄せてくれた。

いまも謎の1枚

ジョブズとの20年にわたるつきあいの中で、松岡春夫さんにとっては、いまも謎の残る1枚がある。川瀬巴水が戦前の1937(昭和12)年に制作した「阿かい夕日」(あかいゆうひ)だ。
馬に乗った兵士たちが平原を進むこの絵は、美しい風景を好んで描いた川瀬巴水のほかの作品とは全く異なっている。この作品は、ジョブズが松岡さんに、「どうしても探してほしい」と注文して購入したものだ。ふだんは、店の在庫の中から購入していたジョブズが、この作品だけは、松岡さんに探し出すよう強く求めた。

松岡さんは、「作品に表現された逆光やグラデーションがきれいだと思ったのか。コンピューターでは表現できない色彩だからほしいと思ったのか。リラックスしたかったのか。平和を感じたかったのか」と話している。

松岡さんにその理由を尋ねるチャンスはなかったが、いまも謎の残る1枚となっている。

ずっと愛していた新版画

松岡さんとジョブズとの最後のやり取りは、2003(平成15)年の秋だった。すでに銀座の画廊から独立していた松岡さんの店の電話の留守録音に、「Hi, Haru, I’m Steven Jobs」というジョブズの声が入っていた。

その後、2011(平成23)年に出版されたジョブズの自伝を手にした松岡さんは、1枚の写真に目がくぎづけになった。ジョブズの自宅の壁に、「あの作品」が掲げられていたのだ。

新版画の美人画の名手として知られる鳥居言人(とりい・ことんど)が、1931(昭和6)年に制作した「朝寝髪」(あさねがみ)。ジョブズが28年前(1983年)に店を初めて訪れたときに購入した2点の1つ。

松岡さんは、「ジョブズさんが店で最初に購入した作品を、その後も大事にしてくれていたことがうれしく、感動した」と話している。ジョブズにとっては、ずっとお気に入りの1枚だったと思われる。
ジョブズがなぜ新版画を好きだったのか、新版画が彼のデザインにどんな影響を与えたのか、という疑問から始めた取材だったが、わからないことも多い。

ただ、スティーブ・ジョブズという、いまも影響力のある存在が、新版画の作品を熱心に集めていたことで、新版画に新たな光があたるのではないか。かつて、日本の浮世絵が、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、モネやゴッホなどの芸術家に大きな影響を与え、その現象は「ジャポニスム」と呼ばれた。新版画は、ジョブズにとっての「ジャポニスム」だったとも言えるのではないか。

松岡さんは、「ジョブズさんは自分のセンスや審美眼だけを信じて作品を選びとっていました。そうして選んだ作品は、新版画の傑作ばかりだった。彼が収集を続けていたら、間違いなく、新版画の世界で大きな影響力を持つことになったと思います。彼が集めたものを“スティーブ・ジョブズ・コレクション”として、ぜひ見たかった」と話している。
国際放送局
佐伯健太郎
昭和62年入局、秋田放送局、マニラ支局長、八戸支局、水戸放送局などを経て現職。