本当に助けてほしかった~新型コロナ 33歳に命の危機~

本当に助けてほしかった~新型コロナ 33歳に命の危機~
「お話し聞いてもらえますか?」

4月末、記者の携帯電話に1通のメールが届いた。送り主は2週間前に取材で出会った33歳の男性。スーツ姿で待ち合わせ場所に現れた男性のほおはげっそりとこけ、表情はやつれきっていた。そして、うつろな目でこう声を絞り出した。

「本当に助けてほしかったんです」

スーツ姿で食料配布の列に

男性と初めて出会ったのは4月18日。私は、NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」が緊急に開いた生活困窮者向けの相談会の取材に訪れていた。

東京・新宿区の都庁近くの高架下で開かれた相談会。この日は朝から雨足が強かったが、無料で配布される食料品を求め、いわゆるホームレスの人たちなどが長い列を作っていた。

その列の中に、スーツを着た若い男性の姿があった。身なりからは窮状が伺えない。しかし声をかけると、緊急事態宣言によるネットカフェの休業で居場所を失い、収入もなくなったと明かした。そして「所持金がもう40円しかありません」とつぶやいた。

東日本大震災で解雇 そして ネカフェに

なぜ、ネットカフェで寝泊まりする生活を送るようになったのか。

男性は九州出身。高校卒業後、関西地方の飲食店で働き、20歳のころ、地元に戻った。そして、実家で暮らしながら、契約社員として工場で働いていたという。

男性が「人生の歯車が狂い始めた」と話したのが、9年前の東日本大震災のころ。震災の影響で、工場の部品の調達ができなくなり、24歳で解雇を言い渡された。正社員への採用も見え始めていたさなかの、突然の解雇だったという。

そのころ両親が離婚。実家で同居していた父親との関係も悪くなり、26歳で家を出た。神奈川県内の自動車工場で期間工を務めたあと、都内の飲食店で働き、しばらくは店員向けの寮で暮らした。

しかし3年前、新たな勤務先となった店には寮がなかった。収入は月に18万円ほどあったが、住民票を移さないまま家を出たため、アパートの部屋を借りるのは難しかったという。それからはネットカフェで寝泊まりする生活を送るようになっていた。

収入も居場所も失った

「あしたから出勤しないでほしい」

男性が勤務先の飲食店のオーナーからこう告げられたのは、新型コロナウイルスの感染が拡大した4月初めのことだ。そして緊急事態宣言を受けた東京都の休業要請でネットカフェも利用できなくなった。

休業手当などが支払われることもなく、収入と居場所を一気に失い、初めての路上生活が始まったという。

4月18日の相談会。男性はNPOのスタッフから、生活保護の申請を勧められていた。貯金はなく、所持金はわずか、今後の収入のあてもない。国の支援を受けなければ、生活が難しいと判断されたのだ。

そして3日後に、NPOの事務所で生活保護の詳しい説明を受けることを約束。NPOからは、その間のホテル代などに使ってほしいと、1万5000円の支援金が手渡された。

途絶えた連絡 生活保護には抵抗が…

3日後の4月21日。私は、居場所を失った人たちの窮状を伝えるため、男性に「NPOに相談する様子を取材させてほしい」と伝え、了承を得ていた。しかし男性はこの日、姿を現すことはなかった。メールを送ったが返信はない。相談会の終了まで4時間余り待ち続けたが、NPOにも連絡はなかった。

私は「生活保護には抵抗がある。まだ申請するかどうか判断ができない」という男性のことばを思い出していた。30代の若さで生活保護を受けることへの抵抗感。感染が収束すれば、元の職場に戻れるのではないかという期待感。しかし、1万5000円の支援金で生活できる時間も限られている。

「食事は取れているのだろうか」。心の片隅で男性の身を案じる日々が続いた。

突然のメール 2週間ぶりの再会

「お話し聞いてもらえますか?」

男性から私の携帯電話にメールが届いたのは4月30日夕方のことだった。すぐにメールを送ると「あす、池袋で会いたい」と返信があった。
翌5月1日午後5時半、男性は待ち合わせ場所のJR池袋駅前に約束の時間どおりにやってきた。2週間前と同じスーツ姿。しかし顔は青白く、ほおはげっそりとこけ、表情はやつれきっていた。

3日間、食べてません

あれから2週間、どのように暮らしていたのだろうか。

男性はNPOからの支援金で、数日間、ビジネスホテルに泊まったという。しかし、所持金はすぐに底をつき、再び路上生活を始めていた。

都内の公園は、緊急事態宣言を受けて閉鎖されているところも多いという。居場所を探して歩き回り、たどりついたのが、池袋駅近くの公園だった。植え込みを囲うブロック塀に腰掛け、座ったまま2時間ほど浅く眠る生活を続けているという。
男性の財布を見せてもらうと、中身は空っぽ。所持金は1円もなかった。そして「実は3日間、何も食べていないんです」と打ち明けた。
(男性)
「初めてなんですよ、こういう路上生活。しんどいですよね。食べることもできないので、本当に倒れるんじゃないかと思います。公園に1人でいるときは、この先、精神的に追い詰められて、飛び降りて死んじゃうんじゃないかと考えたこともありました。ちょっと限界来たなという感じです。この先、不安しかないですね。真っ暗です、この先は」

支援が届かない

国や自治体は、生活に困窮する人たちのために、さまざまな支援策を講じている。例えば、休業や失業に追い込まれた人が最大20万円を無利子で借りることが出来る「緊急小口資金」。しかし申請に必要な住民票がなく、融資を受けるのは難しいという。10万円の給付金の申請書も住所がない男性には届かない。

1週間前には、東京都がネットカフェの休業で居場所を失った人たちのためにビジネスホテルの部屋を無料で提供していることを知り、区役所の窓口を訪れた。しかし窓口には多くの人が殺到。担当者に「きょうは締め切りになった」と言われ、利用を諦めたという。
スマートフォンの料金も払えなくなり、電話は使えなくなっていた。充電できる飲食店などを探し回り、無料のWi-Fiを使って記者にメールを送ったのだという。しかし、充電できる店を見つけるのも容易ではなく、この日、電源は切れていた。
(男性)
「充電もできないので携帯が丸1日、見られないときもあります。情報がなく、どこに行ったら助けてもらえるのかが全く分かりませんでした。メールしたのは、話を聞いてほしかったからです。本当に助けてほしかったんです」
私の想像をはるかに超えていた厳しい現実。支援も届かず、男性は都会の片隅で1人孤立していた。

「このままでは本当に死んでしまうかもしれない」。私は焦燥感にかられ、胸の鼓動が早くなるのを感じていた。

記者の案内でビジネスホテルへ

どうすれば、男性の力になれるのだろうか。まず、私の頭に思い浮かんだのが、男性が利用を諦めていた都の支援策、ビジネスホテルへの宿泊につなげることだ。

都によるとネットカフェなどで寝泊まりしながら生活する人は1日当たりの推計でおよそ4000人。こうした人たちの一時宿泊施設として、都がビジネスホテルの部屋を十分確保していると聞いていた。利用者は4月末の時点でおよそ750人。男性も宿泊できるはずだ。

この支援策、生活に困窮する人などは自治体の福祉の窓口で、生活保護を受けずに自立した生活を目指す人は都の窓口で、それぞれ申し込む必要がある。所持金がない男性の場合、本来、自治体の窓口で申請する必要があるが、あすは土曜日、区役所の窓口は開いていない。

このため私は都庁の担当部署に電話して男性の状況を説明。すると担当者は緊急性が高いと判断し「大型連休中はビジネスホテルに宿泊できるよう対応する」と約束してくれた。
翌5月2日、私は男性と一緒に、都の窓口に向かいホテルの宿泊券の代わりになる申込書を受け取ることができた。およそ3週間続いていた路上生活。男性は少し安どした表情で、こう話した。
「きつかった。精神的にも体力的にも本当にきつかったですね。ほっとしています。命が救われたかなと思います。毎日2時間くらいしか眠れなかったので。まずはホテルでゆっくり休みたいです」

緊急事態宣言延長で生活保護申請を決断

私は男性に聞きたいことがあった。なぜ、約束していた生活保護の相談に来なかったのですかと。

男性はその理由について「親に連絡が行くのが、いちばんのネックだったかもしれません」と打ち明けた。

生活保護を受給するにあたっては、扶養調査のため自治体から家族に連絡が行くケースもある。しかし、男性は家族との関係が悪化し、7年以上連絡を取っていない。生活に苦しむ自分の状況を、親だけには知られたくないという思いがあったという。

ただ、緊急事態宣言の延長が男性の心境に変化を与えていた。
(男性)
「30代で、まだ働き盛りの年齢なので、生活保護に頼らなくてもやっていけると、抵抗感がありました。拒否感が本当に強かったですね。まだ何とかなるんじゃないかという思いがありました。ただ、緊急事態宣言が延長され、いつになったら店で働けるのかと絶望しました。1人では本当にどうにもならないので、国の支援を頼るしかないと思いました」
男性が相談した「自立生活サポートセンター・もやい」。緊急事態宣言が出される中、先月は週2回のペースで臨時の相談会を行った。

面談での相談件数は1か月で163件。「所持金が数百円しかない」「住まいや居場所を失った」などと、男性のように生活保護を申請しなければ暮らしていけない緊急性の高い相談が多く寄せられているという。
(もやい 大西連理事長)
「これまで普通に働いていた人が急に仕事を失って所持金がなくなり、どうしようもなくなった状態で相談に訪れるケースが非常に多い。感染拡大の影響が社会全体に広がり、みんな苦しいから、自分だけ助けてということが言いだしにくい空気が広がっているのではないか。生活保護を利用するのが恥ずかしいとか、周りに知られたくないという価値観があり多くの人がためらいを感じている。まずは命があってなんぼ。自分の命を守るための手段として生活保護の制度を遠慮なく使ってほしいし、制度に対する社会の理解が進むことを願っている」

一歩一歩 進むしか

今月5日、男性は「もやい」を訪れ、生活保護の説明を受けた。そして3日後、区の窓口で生活保護を申請。当面の生活費の支給を受け、緊急事態宣言が出されている間は、引き続きビジネスホテルに宿泊できることになった。申請のあと、穏やかな陽光の差し込む公園で、男性に話を聞いた。
(男性)
「まずはほっとしています。でも生活保護をあんまり使いたくないので、アパートを借りて、ちゃんとした仕事を見つけて、早く自立した生活を送れるようにしていきたいと思います。今回のコロナウイルスがきっかけで、きちんとした生活を送る大切さが身にしみました。この先、不安はありますが、1歩1歩、前に進んでいきます」
その瞳には、生気が戻っているように感じた。
(社会部記者 横井悠)