パンデミックは世界のパワーバランスを変えるのか

パンデミックは世界のパワーバランスを変えるのか
ウイルスはこれまで幾度も「戦争」に匹敵するほどのダメージを人類にもたらし、国際秩序にも多大な影響を与えてきた。「第二次世界大戦以来最大の試練」と言われる新型コロナウイルスのパンデミック。この地球規模の危機により最も大きな痛手を受けているのは、超大国アメリカだ。ウイルスという共通の敵を前に世界を連帯させるリーダーシップを発揮できないばかりか、世界最強を誇ってきた米軍の現場部隊にも感染が及んでいる。パンデミックを通り抜けた先には、今とは違う世界秩序が待ち受けているとの指摘も出ている。感染拡大は世界のパワーバランスにどのような影響をもたらすのか。2つの大国、米中を中心に見ていく。(解説委員 津屋 尚)

世界最悪に苦しむ超大国

米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、2020年5月12日正午現在(日本時間)、新型コロナウイルスの感染者は世界全体で418万人、このうちアメリカの感染者は3分の1近い134万人、死者はおよそ8万人を超え、世界最悪の状態が続いている。

世界秩序の変化をめぐる議論が専門家の間で起きているのは、最も深刻な事態にあるのがこれまで長く世界のリーダーを自任してきた外ならぬアメリカだからだ。アメリカでは感染拡大のピークは越えたとの見方が示されているが、経済はリーマンショックを上回る大きな打撃を受け、感染拡大防止の観点からは拙速ともとれる経済活動再開も見られる中で、このまま収束するのかは見通せない。

“力の象徴”米軍部隊で集団感染

パワーバランスへの影響を見る上で見落とせないのは、ウイルスの感染が、強大な軍事力を支えるアメリカ軍の現場にも広がっていることだ。中でも注目は、アメリカの軍事戦略の要であり、日本の安全保障にも関わりの深い原子力空母での感染拡大だ。南シナ海に展開中の「セオドア・ルーズベルト」で3月末、集団感染が発生。空母は2か月近くがたった今もグアムに留め置かれたまま動けず、感染者数は1100人以上にのぼっている。
私はかつて、米海軍の空母におよそ40日間乗船した経験がある。空母には船を動かす要員のほか、艦載機を運用するための航空要員など実に5000人が乗り組んでいるが、ごく一部の幹部を除き、ほぼ全員が相部屋だ。しかも多くは、蚕棚のような3段ベッドがずらりと並ぶ狭い船室に寝泊まりする。空母の船内はいわば「3密」のかたまりで、感染症が発生すれば一気にまん延するリスクが極めて高いのだ。
空母での感染者は、セオドア・ルーズベルト以外にも横須賀に配備されているロナルド・レーガンや、アメリカ西海岸で整備中だったニミッツとカール・ビンソンでも確認された。ルーズベルトを含む4隻はいずれも、アジアや太平洋正面での任務が想定されているので、アジアには直ちに出動できるアメリカの空母がいないという異例の事態に陥った。
空母で初めての感染者確認から1か月余りがたった頃、空母は徐々にではあるが運用再開に向けて動き始めた。ニミッツが長期派遣前の洋上訓練に入ったのに続き、ロナルド・レーガンも6か月ぶりに試運転のため横須賀基地の岸壁を離れた。
4月末になって、グアムに留め置かれているセオドア・ルーズベルトには、隔離のため退避していた乗組員が船に戻り始めた。ただ、船内に残って消毒や原子炉の管理などにあたってきた700人が代わって下船して2週間以上隔離される。さらに艦載機の着艦訓練などこの先の定められたプロセスを考えれば、再び空母の即応体制が整うまでにはまだしばらくかかるだろう。
空母は、いざというとき、紛争地や競争相手国の沖合に展開し、文字どおりアメリカの強大な「力」を示して強いメッセージを送るいわば“切り札的存在”だが、思いどおり運用できなければ抑止力の低下は否めない。


空母での感染拡大は未来永劫続くわけではなく長期的な問題ではないとの見方もあるが、空母の不在が引き金となって周辺国の予期せぬ行動を誘発し、地域情勢に長期的な影響をもたらす可能性もはらんでいる。何よりライバルの中国が「力の空白」が生じている現状を軍事的な好機ととらえかねないとの指摘もある。

鬼のいぬ間に…

この指摘を裏付けるように中国は、アメリカの空母不在の機に乗じて活動を活発化させた。米空母で集団感染が明らかになった3月末、中国海軍は、領有権をめぐる対立が続く南シナ海で、潜水艦や航空機なども参加する大規模な実弾演習を行った。4月になると、空母「遼寧」の艦隊が、中国の軍事戦略上の防衛ラインである「第一列島線」を越えて太平洋に進出、台湾付近を航行して南シナ海に抜ける“示威行動”を行った。
中国人民解放軍の公式ニュースサイトChina Militaryには、「アメリカ軍のアジアでの作戦能力は低下している。中国海軍はいかなる状況でも国家の主権と領土を守る能力がある」という主旨の主張が繰り返し掲載された。
中国はさらに、南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島と西沙(パラセル)諸島にそれぞれ新たな行政区を置くと一方的に発表。このうち南沙では、国際社会の非難を無視して軍事拠点化を進めているファイアリークロス礁の人工島に新行政区の政府庁舎が置かれる。中国は、アメリカ軍の活動が低下している間に、南シナ海に対する実効支配を一段と強めようとしているのは明らかだ。
ところで中国では、感染が拡大した武漢などへの対応に多くの軍人が投入されたことが報じられたが、軍全体から見ればその規模は限定的との見方もある。中国の指導部は、新型コロナの危機の中でも安全保障面を重視し、軍には本来任務最優先で活動させているとの分析もある。中国軍にも感染者は出ているとみられるが、それでもあえて活発な活動を見せるのは、「いつでも作戦を遂行できる態勢にある」と内外に示し、アメリカや台湾、それに日本などの周辺国をけん制するねらいがあるのだろう。

“力の空白を埋めよ”

中国が活動を活発化させる中、アメリカ軍は空母抜きでどのように対応しようとしているのか。4月中頃、最新のF35ステルス戦闘機や海兵隊の部隊を乗せた強襲揚陸艦アメリカが「第一列島線」の内側にあたる東シナ海に展開した。
中国ののど元ともいえる台湾海峡には、イージス駆逐艦バリーを派遣して海峡を通過させた。2隻の艦艇はその翌週、南シナ海に移動して合流。これにオーストラリア海軍も加わったことを公表し、中国の動きをけん制した。
さらには、本土から派遣された空軍のB1爆撃機が日本の航空自衛隊と共同訓練を行った。力の空白を埋めようとさまざまな対応をとるアメリカだが、そのさじ加減によっては、中国の予想以上の強い反応を招いて軍事的緊張が過度に高まる可能性もあり、情勢を注視していく必要がある。

星条旗は「コロナの海に沈む」のか

米中の軍の動きを中心に見てきたが、世界秩序に影響を及ぼすのは軍事の要素だけではない。さらに重要なのは、世界への影響力、リーダーシップだ。長く国際社会のルールづくりをリードしてきたアメリカは、このコロナ危機下でリーダーシップを発揮できていない。

アメリカ第一主義を掲げ、政権発足以来、国際協調に背を向けるような行動を続けてきたトランプ大統領は、ウイルスという共通の敵を前に世界が結束すべき事態に及んでも、大統領選挙最優先ともとれる姿勢が目立っている。

特に、中国への批判を強め、3月末のG7外相会議では、アメリカが「武漢ウイルス」という文言にこだわったため共同声明がまとまらなかった。さらに、WHO=世界保健機関への資金拠出停止を表明。テドロス事務局長が中国寄り過ぎると中立性を疑問視する声はあるものの、トランプ政権のやり方は、世界の結束を乱しかねないとの批判も浴びた。トランプ氏はその後も、新型コロナウイルス「COVID-19」を「中国ウイルス」と呼び続けている。大局的な観点から大国間の対立を乗り越えて世界の連帯をうながそうという姿勢は見られない。

中国「マスク支援」は“美談”なのか

世界のリーダーとしてアメリカの存在感が薄れる中、中国が積極的な動きに出ている。感染拡大に苦しむ各国に不足するマスクなどを送って支援する「マスク外交」を展開し、中国こそが世界をリードする存在だと宣伝工作を繰り広げている。
アメリカの同盟である欧州諸国に対しても積極的に支援を展開。医療が崩壊し、欧州で最も深刻な状況に陥ったイタリアに対しては、アメリカや独仏などEUの主要国よりも先に手を差し伸べたのだ。支援をちゅうちょしたEUの仲間に失望していたイタリア国民や政界からは中国からの支援に感謝の声も多く聞かれ、中国は「美談」として世界に発信した。欧米の中に生じた不協和音を巧みに利用した形で、未知のウイルスの感染が世界に拡大していく最初の発生源になった責任はどこ吹く風だ。
さらに3月4日の新華社通信は、「中国が医療品の戦略的管理により対米輸出を禁止すれば、アメリカは新型コロナウイルスの大海に沈むだろう」とアメリカを挑発してみせた。

そして、4月8日、アメリカが世界最多の感染者数に苦しむ中、中国では武漢の都市封鎖が解かれた。延期されていた全人代・全国人民代表者会議も5月22日に開催が決まった。中国の大都市の繁華街にはにぎわいが戻り、中国指導部はコロナ危機からの完全復活を印象付けようとしている。中国は強権を使って市民を監視し自由を制限することで最悪の事態から脱した。自由や市民の権利を重んじてきた欧米諸国も、このコロナ危機を脱するため、国民の自由に大きな制約を加えている。中国からは「コロナ危機は民主的なシステムより専制的な政治システムのほうが優れていることを証明した」との主張も聞こえてくる。

しかし、中国の思惑どおりにいくとは限らない。「マスク外交」に対しては、支援に名を借りた影響力の拡大工作ではないかとの警戒感も広がっているからだ。加えて、中国経済も打撃を受け、GDPの伸び率は初めてマイナスを記録したし、今後、サプライチェーンの中国依存を減らす動きも予想される。また、「新型ウイルスは武漢の研究所から漏れ出たものだ」というアメリカの主張がもし客観的に証明されれば、中国に対する国際的な評価も損なわれることになるだろう。

勝利するのは、民主主義か強権主義か

今後の世界のパワーバランスは、主要国がそれぞれ最終的にどれくらいの痛手を受け、回復にどれだけ時間がかかるかが行方を左右することになるだろう。過去のパンデミックがそうであったように、経済活動の再開をきっかけに感染拡大の第二、第三波が襲う可能性もあり、先はまだ読めない。

この先、新型コロナとの長い戦いが待ち受けている。パンデミックが過ぎ去った後、世界をリードするのは、自由と民主主義を尊重する国家なのか、より強権的な国家なのか。確かなのは、このまま世界が今と何も変わらぬものである保証はどこにもないということだ。

この不安定な時代にあって、民主主義を標ぼうする国家の行動が問われている。人間を忖度(そんたく)しないウイルスに打ち勝つため、希望的観測や政治的思惑ではなくあくまで科学的判断に基づく対策を貫けるか。同時に、忘れてはならないのは、そうした戦いを粘り強く続けながらも、自由と人権、そして、何より国民の命と生活を最後まで守りきることだ。
解説委員
(安全保障担当)
津屋 尚

報道局国際部、英王立のRUSI客員研究員などを経て2012年より現職。イラク戦争では米空母に長期乗船取材も。