朝日新聞阪神支局襲撃事件33年 新型コロナで記帳台など設けず

朝日新聞阪神支局襲撃事件33年 新型コロナで記帳台など設けず
昭和62年に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、記者2人が殺傷された事件から3日で33年になりました。ことしは新型コロナウイルスの影響で支局に記帳台などは設けられませんでしたが、知人らが訪れ、亡くなった記者を追悼しました。
昭和62年5月3日の夜、西宮市の朝日新聞阪神支局に目出し帽をかぶった男が侵入して散弾銃を発砲し、小尻知博記者(当時29)が殺害され、別の記者1人が重傷を負いました。

事件のあと、「赤報隊」を名乗る犯行声明文が報道機関に送られ、朝日新聞を狙った犯行が繰り返されましたが、未解決のまま時効となりました。

事件から33年となった3日、支局の1階に祭壇が設けられ、知人や地元の人たちが訪れ、遺影に手を合わせました。

支局では例年、記帳台と拝礼所を設け、3階の資料室を公開していましたが、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大の防止のため見送られました。

小尻記者から取材を受けたことがあるという千葉県の高校教師、沼山尚一郎さん(56)は「外出を控える時期ですが、仕事のきっかけを与えてもらった方なので、今までの感謝の気持ちを伝えました。この事件の重みは忘れてはいけないと思います」と話していました。