熊本地震 2度目の震度7から4年 感染拡大が観光に深刻な影響

熊本地震 2度目の震度7から4年 感染拡大が観光に深刻な影響
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一連の熊本地震のうち、2度目の震度7を観測してから16日で4年です。土砂災害が相次いだ阿蘇地域の主要な鉄道や国道の復旧はことし10月までに終わる見通しですが、新型コロナウイルスの感染拡大が被災地の観光面に深刻な影響を及ぼしています。
4年前、平成28年の熊本地震では、災害関連死を含めこれまでに熊本県と大分県で275人が亡くなりました。

最初に震度7を観測した2日後の4月16日、熊本県内では2度目の震度7を観測し、阿蘇地域では大規模な土砂災害が起きて交通インフラが寸断されました。

JR豊肥本線は阿蘇駅と肥後大津駅の間が、熊本と大分を結ぶ国道57号線も一部の区間が今も不通となっていますが、熊本県は今月10日、このうちJRはことし8月ごろに運行を再開し、国道は10月ごろに通行できるようになるとの見通しを示しました。

また、地震で崩落した「阿蘇大橋」は、来年3月ごろに開通できる見通しです。

これにより、交通インフラの復旧は大きく進みますが、新型コロナウイルスの感染拡大で阿蘇地域の宿泊施設ではキャンセルが相次ぐなど観光面に深刻な影響が出ていて、地域の復興がどの程度進むのかは見通せなくなっています。
大きな被害が出た熊本県南阿蘇村では地震の発生時刻にあわせて犠牲者に祈りがささげられました。

このうち阿蘇大橋が崩落した南阿蘇村の現場には近くを車で走行していて行方が分からなくなり、およそ4か月後に下流で見つかった大学生の大和晃さん(当時22)の両親が訪れました。

両親は現場でろうそくに火をともし花を手向けたあと地震が起きた午前1時25分に祈りをささげました。

父親の大和卓也さんは「この日が来ると地震が起きたときに引き戻され、つらくなります。自分たちがここに立ち続けることで、晃の感じた寒さや怖かった思いを和らげてやりたいです」と話していました。
南阿蘇村では、一連の熊本地震のうち2度目の震度7を観測した地震で、東海大学農学部のキャンパス周辺にあったアパートが倒壊し、当時4年生の脇志朋弥さん、2年生の大野睦さん、それに1年生の清田啓介さんが亡くなりました。

地震から4年となる16日は、未明に学生や卒業生など10人あまりが倒壊したアパートの跡地を訪れました。

そして地震の発生した時刻にあわせて黙とうし、亡くなった学生たちに祈りをささげました。

地震後に東海大学農学部に入学し、熊本地震の「語り部」の活動をしている4年生の辻琴音さんは、アパートの跡地で黙とうをしたあと、後輩に向けて、先輩から伝え聞いた亡くなった学生のことや地震が起きた当時のことを語っていました。

辻さんは「今後の災害で悲しい思いをする人が出ないよう、『語り部』として、活動を続けていくという思いで黙とうをしました。まだ『語り部』をしたことがない後輩たちにも、この場所で起きたことを少しずつ伝えていきたい」と話していました。