ウイルスと闘った畜産農家 「甘く見たらとんでもないことに」

ウイルスと闘った畜産農家 「甘く見たらとんでもないことに」
「若いから重症化しない」「私が出社しないと仕事にならない」。不要不急にもかかわらず、こういう風に今も外出し続けている人がいるかもしれません。「見えないウイルスとの闘い。甘く見たら、とんでもないことになります」「口てい疫」という見えないウイルスと闘った畜産農家の訴えです。

畜産農家「当初は面倒くさいと思ってました」

「当初は甘かったし、正直、消毒とか面倒くさいとも思ってました」。こう話すのは、宮崎県で畜産農家を営む日高義暢さんです。

日高さんが住む宮崎県川南町は、日向灘に面した県のほぼ中央に位置しています。人口1万5000人ほど。多くの住民が牛や豚の畜産に関わっています。

しかし、こののどかな町は10年前、消えてしまいかねない、そんな危機にさらされました。

『口てい疫』 見えないウイルスとの長い闘い

家畜の伝染病「口てい疫」の流行です。このウイルスは人には感染しませんが、感染力が強いため、牛や豚など家畜が感染すると、感染拡大を防ぐため殺処分の対応がとられています。

隣町で感染の疑いがある牛が見つかったのが、ちょうど10年前の4月20日。翌日には、日高さんの町でも見つかりました。口てい疫はまたたくまに広がり、翌月の5月には、県が県内全域に非常事態を宣言。

畜産県宮崎は、見えないウイルスとの長い闘いに入りました。繁華街からは人が消え、相次ぐイベントの自粛。夏の高校野球の県大会も無観客試合で行われました。結局、終息宣言までのおよそ4か月間で、牛や豚合わせて29万頭が処分されました。経済的な影響はおよそ2350億円にのぼりました。

「町が沈んでいくようでした」

この口てい疫の被害が最も集中したのが、日高さんが住む川南町でした。しかし、日高さんは当時の意識の甘さをこう振り返ります。

「はじめの頃は本当に甘かったと思います。どこかひと事でした。恥ずかしい話ですが、豚舎に入る際にウイルスを洗い流すためにシャワーの設備を設けていましたが、毎日は使っていませんでした。やろうと思えばできるのに、やっていなかったですね。豚舎内の消毒も、今ほど徹底してはなかったです」

「ヒッチハイクウイルス」と呼ばれる口てい疫のウイルス。人を媒介にして移動すると言われています。しかし当初は、畜産農家の仲間内でも危機感はそれほど高くなかったといいます。

「会合とかの集まりをどうするかという話になった時も、『人にはうつらないでしょ』みたいな感じでした」。しかし、感染は日に日に拡大。その頃になってようやく、危機感を持つようになりました。

それからは日高さんたち畜産農家は、いつ、自分の牛や豚が感染してしまうのか。その恐怖におびえ、極限の緊張状態が続いたといいます。「なんとか感染を防げるのではないかって気を張っていましたが、仲間がどんどん感染していくのを見て、これは本当にやばいと、町が沈んでいくようでした」

「当事者意識を持ち続けて行動するしかない」

しかし、いったん爆発的に感染が広がってしまってからでは、どんなに対策をとっても、どんなに警戒しても、見えないウイルスには効果は限定的でした。結局、感染は地域全体に広がってしまい、日高さんも当時、飼育していた家族同然とも言える豚、8235頭すべてを殺処分しました。

当時を振り返り、日高さんは、今の新型コロナウイルスの感染拡大の状況が、かつての口てい疫でのみずからの体験と重なる部分があると話しています。

「人と家畜の違いもありますが、見えないウイルスとの闘いという意味では同じなのかなと。そして、なにより当事者意識が薄い感じが、当初の私たちと重なる部分があります」

そのうえで、こう訴えています。「口てい疫でも、感染してみて初めてやばいとなりました。それまでは、まさか自分が感染するとも、広めるとも思っていませんでしたから。でも、実際はその可能性は絶対に否定できないんです。自分が広めるかもしれないという当事者意識を持ち続けて行動するしかないんです」