「マスク外交」切り崩されるヨーロッパ

「マスク外交」切り崩されるヨーロッパ
新型コロナウイルスの深刻な影響を受け、「パンデミックの中心」とされるヨーロッパ。医療用品の欠如、経済の落ち込みなど、幾重にも重なる打撃に加えて、ある目に見えない力がヨーロッパを揺るがしている。

欧州で展開される「マスク外交」

先月21日、ヨーロッパ南東部 バルカン半島にある小さな国、セルビアの空港にチャーター機が降り立った。乗っていたのは中国の医療チーム。そして20万枚の医療用マスクや人工呼吸器だ。
出迎えにはセルビアのブチッチ大統領が参じ、その様子はテレビの特別番組で生中継で大々的に伝えられた。
セルビアでは新型コロナウイルスの感染が広がり、国家は非常事態を宣言していた。ブチッチ大統領はこう述べて中国を絶賛した。
ブチッチ大統領
「困ったときにこそ助けてくれるのが真の友人だ。中国からの支援を決して忘れない」
中国の「マスク外交」。
新型コロナウイルスに関連する中国の医療支援は、フランスやスペイン、ギリシャなどヨーロッパ各国に幅広く行われた。
なかでも規模が大きかったのが、感染による犠牲者が多いイタリアだ。
イタリアはことし2月以降、北部を中心に感染が拡大。病院は急増する重症患者で対応が追いつかず「医療崩壊」とも呼ばれる事態に陥っていた。
そこに手をさしのべたのが、中国だ。
先月、医療チームに加え、マスクなど不足している医療用品を送った。イタリアのディマイオ外相は「これこそ『連帯』と呼ぶものだ。われわれは1人じゃない。助けてくれる人たちがいる」と中国への信頼を隠さなかった。
中国政府はこれまでに127の国に医療物資を支援、医療チームの派遣先は11の国にのぼると発表。貿易ベースでは、先月以降、マスク38億6000万枚、防護服3700万着、人工呼吸器1万6000台など、総額で102億人民元、日本円で1500億円余りを輸出したとしている。

中国の「マスク外交」 ねらいは?

中国がとりわけヨーロッパへの接近をはかる理由。それは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」と関係があると指摘されている。
中国が「マスク外交」を展開するイタリアやギリシャ、それにバルカン半島諸国は「一帯一路」の要衝で、これまでもインフラ整備のための覚書を結んだり、巨額の投資を行ってきた。
たとえばセルビアの隣国、モンテネグロ。
国内最大の港を起点に国を横断する高速道路の建設を中国政府が出資し、ヨーロッパ内陸部に至る巨大な物流網を築くねらいとみられている。

むしばまれるEU

新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、新たな「外交」戦略に乗り出した中国に対し、本来、真っ先にヨーロッパ各国を束ね、支援すべきEU=ヨーロッパ連合の対応は後手にまわっている。
イタリアの状況が深刻になりつつある中でも、フランスやドイツは当初、自国で生産したり保有したりしているマスクなどの医療用品の国外輸出を禁止する措置を導入。EUの結束を損ねる行為だと他の加盟国の強い反発を招いた。
各国で外出制限の措置がとられた結果、傷んだ経済を立て直す方法をめぐっても足並みは乱れている。
EUは今月になって、加盟国への融資や企業の救済などに日本円で最大64兆円を投じることで合意した。しかし、イタリアやスペインが強く要求する「ユーロ共同債」の発行については、裕福なドイツやオランダが財政規律の緩みにつながるなどとして強く反対。深刻な対立を招いている。
さらに、EUの根幹をなす、加盟国間の人とモノの「移動の自由」もなし崩しに。感染を封じ込めるためとして、各国はあいついで国境管理を厳格化し、各国間の医療用品の供給にも遅れが生じる事態になった。
国境をなくし、長い時間をかけて統合を進めてきたEUの歩みは、ウイルスによっていとも簡単に阻まれてしまったのだ。

ロシアも支援…その思惑は

結束が揺らぐEUを横目に、ヨーロッパに接近しているのは中国だけではない。ロシアもだ。
先月下旬、イタリアのコンテ首相と電話会談したプーチン大統領はその翌日には、早速イタリア北部に支援要員を派遣。派遣されたのはロシア軍の「放射線・化学・生物学防護部隊」に所属する感染症の専門家や医師などおよそ100人だった。
病院で患者の治療を支援したり、高齢者施設で消毒剤を散布したりして精力的に活動を行った。
ロシアの野党勢力からは、医療体制がぜい弱なロシアが他国を助けている余裕はないと批判があがったが、プーチン大統領のねらいはしたたかだ。
その一つは、ロシアを敵視するヨーロッパの連帯の切り崩しだ。ロシアは2014年のクリミア併合などを受けてEUから制裁を科せられ、NATOとも対立が深まっている。
支援を通してヨーロッパに染みついたアンチロシアな見方を少しでも変えるきっかけにしたいという考えもあったとみられる。
ヨーロッパ各国の連帯を弱めることで、ロシアの影響力を拡大できれば、それは「国益」にかなった一歩になる。
もう一つのねらいは、自国の「安全保障」に関わるものだ。
軍事専門家のドミトリー・リトフキン氏はロシアが行ったイタリア支援について「ウイルスの性質や特徴を特定するための研究だ」と指摘。ロシアでの感染拡大に備えてワクチン開発などに向けたサンプルを集めることが目的だという。
かつて原爆が投下された広島と長崎にいち早く調査団を派遣したのもソビエトだったが、今回もそうしたことを想起させる素早い動きだった。
さらにロシアは中国と同様、セルビアへの支援も行った。セルビアといえばその隣国、北マケドニアが先月、NATOに正式加盟したばかりで、バルカン半島で拡大するNATOの影響力にくさびを打ちたい思惑が透けて見える。
対外環境のどんな変化も逃さずそれを「国益」と「安全保障」に結び付けるのがプーチン大統領の鉄則だ。
去年、プーチン大統領は難民問題などに対処できないヨーロッパの現状を挙げて、欧米の掲げる「自由主義」は時代遅れになったと発言して話題となった。
新型コロナウイルスへの対応でまたも連帯の揺らぎを露呈したEUの現状は、現在の国際秩序を切り崩す絶好のチャンスだと、プーチン大統領は計略をめぐらせているに違いない。
EU加盟国の外交筋はこう本音を漏らす。
「どのような支援でも歓迎だ。目先の対応が第一で、中国やロシアの支援を受け入れることによって、今後どのような影響が出るのか考えている余裕はない」
「移動の自由」「連帯」という基本的な理念すら棚上げにしたEU。「パンデミックの中心」となった厳しい現実を前に、理想や長期的な戦略を語っている余力はないという印象すら受ける発言だった。
そして専門家は、ウイルスがもたらした激しい混乱の中で、新たな動きに出る中国やロシアに対し、EUの影響力が低下することに警鐘を鳴らしている。
オーストリア・グラーツ大学南東欧研究センター
フロリアン・ビーバー教授
「2008年の世界金融危機、ギリシャ危機、ヨーロッパ難民危機、そしてブレクジットなど、多くの危機に直面する中で、力の空白が生じている。その間隙(かんげき)をつく形で、ロシアや中国、トルコなどが活発に活動している。中国は、マスク外交によって比較的『低コスト』で、PR活動ができたといえる」
新型コロナウイルスはいずれ封じ込められよう。
しかし、経済や社会、政治にもたらされた変化は、今後、長い期間、影響を及ぼし続けるだろう。
ヨーロッパでは、それが、戦後築いてきた結束と秩序が乱れる深刻な問題につながりかねない。ウイルスが浮き彫りにしたヨーロッパのもろさを、みずからの手で治癒できるのか、EUに課された課題はとてつもなく重い。
ブリュッセル支局長
工藤 祥
モスクワ支局長
松尾 寛
ウィーン支局長
禰津博人