志村けんさん死去 地元 東京 東村山から市長が 兄が 親友が…

志村けんさん死去 地元 東京 東村山から市長が 兄が 親友が…
志村けんさんが亡くなったことについて、出身地の東京 東村山市の渡部尚市長は「志村さんは東村山音頭を踊られて、全国的に東村山の名前を広めてくれた偉大な英雄です。東京オリンピックの聖火リレーのランナーになっていただいていたので、来年には聖火を持って元気に走っていただけると考えていましたし、そうなってほしいと願っていたので本当にショックです」と話していました。
また「志村さんは身をもって新型コロナウイルスのおそろしさを多くの人に示してくれたと思います。この病気が本当におそろしいということを再認識しながら、かからない、そして、うつさないための取り組みを全市民でがんばっていきたい」と話していました。

志村けんさんの兄「70歳になったばかり 本当に残念」

志村けんさんが亡くなったことについて兄の知之さんは東京 東村山市の自宅の前で取材に応じ、「まだ70歳になったばかりなのに、本当に残念です」と涙を浮かべて話していました。

知之さんら親族は先月25日に志村さんの古希の祝いを都内で開いたばかりだったということで、知之さんが志村さんと会ったのは、そのときが最後になったということです。

知之さんは「お祝いのちゃんちゃんこや焼酎をもらって、とても喜んでいました。最近は体調にも気を遣っていたし、まさかこんなことになるとは思いませんでした」と振り返りました。

志村さんはその後、今月20日に入院し、新型コロナウイルスへの感染が確認されたため、病院で面会することもできず、29日夜、事務所の関係者から電話で亡くなったことを知らされたということです。

知之さんの妻で志村さんの義理の姉にあたるサヨ子さんは「新型コロナウイルスがこんなにひどくなるとは思わず、最後に会うこともできませんでした。本人もさぞ悔しいだろうと思います。地元だけでなく、多くの人に愛された偉大な方でした」と話していました。

そして知之さんは「芸能界の第一線でずっと忙しく頑張ってきたので、今はただ、ゆっくりと休んでほしい」と話していました。

親友「これからもずっと自分の中で生き続ける」

志村けんさんが亡くなったことについて、小学生からの親友で東村山市に住む角田英光さん(70)は「自分にとって志村にかわる人はいないし、これからもずっと自分の中で生き続けると思う」と涙ながらに話していました。

訃報を聞いた時について角田さんは「回復するのを信じて待っていたので受け止められず、家の外を眺めたときにいつもみる景色にもかかわらず風景が入ってこなかった」と話していました。

角田さんによりますと、志村さんは小学校の同級生で60年以上のつきあいがあり、数年前の正月には家で一緒に酒を飲んだほか、20年前に角田さんの家が完成したときにも母親と一緒にお祝いに来てくれたということです。

そして、「あいつが笑いの部分で日本中に表現してきた人間だから泣いて送るのはよくないと思う。いろいろなことを共有できて本当によかった」と話していました。

また新型コロナウイルスで亡くなったことに関しては「いままでは新型コロナウイルスがこんなにも身近なものとして考えていなかった。志村のことを見て、コロナは誰でもなって、誰でも勝つことができるわけではないことをみんなで考えていかないといけないんだと思う」と涙ながらに話していました。

東村山駅前に献花台 ワッキーさんも訪れる

西武新宿線の東村山駅前には献花台が設けられ、訃報を知った多くの人々が訪れています。

お笑いコンビ「ペナルティ」のワッキーさんも訪れ、「亡くなったと聞いて、いてもたってもいられませんでした。子どものころから土曜の夜8時が楽しみで、また大人になって子どもができた今も、家族で笑わせてもらっていました。お笑い芸人のはしくれとして、志村さんといつかコントができたらと思っていましたが、かなわず残念です。ひと言では言い表すことができませんが、ありがとうございましたと感謝の気持ちを伝えたいです」と話していました。

献花に訪れた東村山市の30代の女性は「あまりにショックで東村山市の星を失ったと思いました。いままでお茶の間で笑わせてくれて、東村山のために貢献してくれたことに感謝したいです」と話していました。

東村山市の50代の夫婦は「東村山を代表する志村さんが亡くなったと聞いてお花だけでもと思い来ました。やっぱり寂しく、小さい頃から見ていたので残念です」と話していました。

「ショック」「惜しい人亡くした」地元からは惜しむ声

東京 東村山市では惜しむ声が聞かれました。

20代の男性は「小さいころからテレビでよく見ていましたし、東村山のスターなのでショックです。落ち込んだ時に志村さんの『だいじょうぶだぁ』というギャグを聞くと不安が少しなくなりました。天国にいっても人々を笑わせるような存在でいてほしいです」と話していました。

またお年寄りの女性は「東村山市の人気者で惜しい人を亡くしたと思います。高齢者はすぐウイルスをもらってしまうので、遊びたい気持ちはわかるけど外出は自粛してほしいです」と話していました。

西武新宿線の東村山駅前には志村さんのギャグで東村山市が全国に知られることになったことへの感謝を示すために植えられた3本のけやきの木、「志村けんの木」があり、30日は記念碑に花をたむけたり、木に抱きついて別れを惜しむ人たちの姿も見られました。