検証 官邸の「意思決定」

検証 官邸の「意思決定」
新型コロナウイルス対策の司令塔を担う総理大臣官邸。帰国チャーター機の派遣から、大規模イベントの自粛、学校の一斉休校、水際対策の大幅強化など、重大な決断が相次いで下される一方、実務を担う省庁には混乱も見られる。未曽有の事態に政策の決定過程で何が起きているのか。取材や記録をもとに検証する。
(政治部記者 馬場勇人・高洲康平)

なぜ、官僚がメモを取るのか

3月5日夕方の政府対策本部。

各省庁の幹部が身を乗り出すようにして、安倍総理大臣の発言を必死にメモっていた。
この日、安倍が打ち出したのは水際対策の抜本的な強化だ。
「会議での総理大臣の発言は、始まる前に決まっている」というのが永田町、霞が関での常識だ。
経済財政諮問会議や未来投資会議など、政府の会議は官僚の事前調整を経たうえで、総理が了承する形で会議の前に実質的に決定される。陪席する官僚も、発言内容を把握していることがほとんどだ。

しかし新型コロナウイルスの対策では、省庁間の根回しを待つことなく、安倍が政治判断する場面も目立つ。このため官僚たちは、安倍の発言を実際に聴くまで政策の最終形が分からず、必死にメモを取る事態となっているのだ。

「水際対策」官邸VS厚生労働省

水際対策の抜本的な強化のターニングポイントは、中国と韓国からの入国者への2週間の待機要請だった。

NHKが事前に入手したペーパーには、「停留」という表現があった。
「停留」は感染の疑いのある人を医療機関などに一定期間とどまらせるもので、法律に基づく強制力があり、自宅やホテルなどにとどまってもらう「待機要請」よりも強い措置だ。

しかし厚生労働省の幹部は、「停留」に否定的だった。中国と韓国からの入国者は、日本人を含め非常に多い。「そんなにたくさんの人数を収容できる施設があるなら、クルーズ船の時にやっている」というのが、厚生労働省の論理だった。

そのことばから、強い措置を求める官邸に対し、実務を担う厚生労働省が難色を示している姿がうかがえた。

午後に入り、一部の報道機関が「対策本部で『隔離』・『停留』を決定へ」などと報じ始める。

しかし厚生労働省の別の幹部は、夕方の対策本部が開かれる直前、「直前まで議論が続いていたから、報じるのは安倍総理の発言を待ったほうがいい」と忠告した。やはり「停留」が入るのか。

午後6時54分から始まった対策本部。
会議の最後、記者団が取材する中、安倍が発言した。発言の中に「停留」ということばはなかった。
結局、「停留」は行わないのか。
すでに夜7時のニュースは始まっていた。報道機関向けの事務方のブリーフィングはなく、手がかりは安倍の発言のみ。報道は、正確が第1だが、急がなければならない。綱渡りのような作業となった。
結果は安倍のことば通り、「停留」でなく「待機要請」だった。
その日の夜。
官邸関係者は次のように解説した。
「当初は『待機要請』ではなくて、『停留』だった。各省からの押し返しもあって、この表現に落ち着いた。要するに、『しばらく来ないでくれ』という趣旨なので、細かい話はやめようと」

また、別の関係者は、安倍の発言だけでは詳細な政策内容は分からないとの記者の指摘に対し、「私もそう思う。一度聞いただけでは分からないよね」とつぶやいた。

「イベント自粛要請」一夜で急転

大きな驚きが広がったのはこれだけではない。

これより10日ほど前の2月23日。

集団感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応にめどがつき始めたころだった。
安倍は政府の対策本部で、新型コロナウイルス対策の基本方針を策定するよう指示する。
官邸の幹部は、
◇クルーズ船の対応に一段落がついたこと
◇国内で武漢との関係性が分からない感染例が相次いできたこと
などを例にあげ、今後は、国内の感染拡大防止に対策の軸足を移す考えを示した。

そして指示から2日後の25日。

正午すぎから開かれた政府の対策本部で基本方針が決定された。
感染拡大を防ぐため、イベントの開催について、感染の広がりなどを踏まえ、開催の必要性を改めて検討することなどを求めるものの、一律の自粛要請は行わないとされた。
このあと、官邸は、通常とは違う動きをみせる。

新型コロナウイルスへの対応が始まって以降、安倍は、関係閣僚や各府省庁の幹部と打ち合わせをする「連絡会議」で政策のすりあわせなどを行ったあと、全閣僚をメンバーとする「対策本部」で政策決定を行ってきた。

しかし、この日は対策本部で基本方針を決定したあと、「連絡会議」を開いたのだ。
午後3時2分から始まった連絡会議は、54分間続いた。
そして、翌日の26日。

衆議院予算委員会の合間を縫って開かれた政府の対策本部で、安倍は、大規模なスポーツや文化イベントなどについて、2週間程度、中止か延期、または規模を縮小するよう要請する考えを示した。
一夜にして、政府の方針が変わったことになる。
政府高官は、こう振り返る。
「総理は、基本方針で果たして十分だろうかと考えたんだと思う。基本方針の内容では、主催者が判断に悩み、結果として全国で対応がまちまちになるという懸念があったんだろう」

サッカーJリーグがすべての公式戦の延期を決定したのが25日。3月8日に春場所が始まる大相撲、さらに3月20日に開幕戦を控えていたプロ野球など、国内でも有数の観客動員を誇るスポーツイベントがめじろ押しのこの季節、主催団体に動揺が広がったのは想像に難くない。

さらに別の官邸幹部は、与党や経済界などから、統一的な自粛の基準を示してほしいと強く求められたことなどを示唆した。

「一斉休校」官邸VS文部科学省

さらに大きな衝撃が走ったのは、翌日の2月27日だった。

極めて異例の措置となる、学校の一斉休校要請が発表されたのだ。
内閣官房の幹部は、発表直前に開かれた各省庁の連絡会議では、全く議題になっていなかったと証言する。

しかし、実は発表の何日も前から、官邸と文部科学省の攻防が水面下で繰り広げられていた。

子どもたちへの感染を防ぐためにどのような措置を取るべきか、文部科学省はさまざまなパターンのシミュレーションを行っていた。一斉休校も1つの案としてはあったものの、「課題が多すぎて現実的ではない」という結論になっていたという。

一斉休校発表の前の週、文部科学省の藤原誠事務次官は、こうした省内の検討結果を官邸の杉田官房副長官に伝えた。われわれの記録では、前の週から27日までに少なくとも2回面会している。
事態が動いたのは発表2日前の25日。
官邸から文部科学省側に、「一斉休校も1つの案として検討したい」とする意向が伝わったのだ。

この日、北海道の鈴木知事が道内の教育委員会に対し、すべての公立学校の休校を検討するよう要請した。
政府高官は、鈴木知事から事前の相談があった際、「やったらどうか」とゴーサインを出した。そして、この北海道の措置を全国でも行えないか、迷いが出始めたという。

その迷いがうかがえるのが、政府が25日に発表した新型コロナウイルス対策の基本方針だ。
「学校等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等から設置者等に要請する」と記されている。
休校に関して触れられているが、規模や時期は定かではない。

発表当日のせめぎ合い

そして、発表当日の27日。記録と取材をもとに時系列で追う。

午前9時48分。
文部科学省の藤原事務次官が官邸に入る。宛先は杉田官房副長官。
藤原が入ってから1時間がたち、2時間が経過した。いっこうに出てこない。

官邸のエントランスに立つ記者たちが違和感を感じ始めて2時間半が経過。
午後0時21分に藤原が出た。

官邸を出る藤原を記者たちが囲み、取材を行ったところ、午前11時ごろから30分程度、丸山初等中等教育局長を連れだって、安倍との打ち合わせに出席していたことも分かった。

この面会の際に、安倍から直接、「一斉休校を考えているので、検討してくれ」と指示を受けていたことが、のちの取材で判明する。

藤原は、官邸を出たあと文部科学省で大臣の萩生田に報告。
驚いた萩生田は、みずから安倍にアポイントを入れ、午後1時29分から安倍と面会。官邸に入る際、記者団が囲むと、「コロナの件で総理と面会する」とだけ話した。
40分ほどたった午後2時8分。
萩生田が面会を終え、総理番の前に姿を現した。車に乗り込む前にこう言った。
「次の対策会議で中身をもう一度出そうと思っています」
このひと言が何を意味するのか、すぐにはわからなかった。
このときの安倍との面会。
萩生田は、保護者が仕事を休まざるをえない場合にどうするのか、学童保育の扱いをどうするのかなど、文部科学省だけではカバーできない課題が多すぎるとして、全国一斉の休校に慎重な姿勢を強調したが、安倍の意思は固かったという。

そして、午後6時21分からの政府の対策本部。
安倍が、3月2日から、全国の小中学校、高校の一斉休校を要請することを発表したのだった。

首相の判断は正しかったのか

世界に広がり続ける新型コロナウイルス。
アメリカのトランプ大統領やフランスのマクロン大統領は「戦争」ということばを使っている。東京オリンピック・パラリンピックを控える日本をはじめ、世界各国にとっても、厳しい戦いを強いられているのが現状だ。

安倍は、国民生活に計り知れない影響が及ぶと考えられる施策も、やつぎばやに打ち出してきた。それに対しては批判や戸惑いの声も聞かれる。
政府関係者は、次のように語った。
「今回はある意味で非常事態だ。平時とは違う。政治の世界は根回しが必要だが、今回は根回しが足りないという声も出ていることも承知している。しかし、リーダーは即断即決が求められる場合がある。その判断がよかったかは、結果が出てみないと何ともいえない」

総理大臣の判断は正しかったのか。
ウイルスへの対応が続く中、問われるのはまだ先になりそうだ。
(文中敬称略)
政治部記者
馬場 勇人
銀行員、週刊誌記者を経て2015年入局。高松局を経て19年から政治部。現在は官邸クラブで総理番。趣味は海外旅行。好きな国はタイ。
政治部記者
高洲 康平
2013年入局。岐阜局、広島局を経て19年から政治部。現在は官邸クラブで総理番。趣味はサッカー観戦。好きなチームはイングランド・プレミアリーグのアーセナル。