救われた私だから教員になりたい

救われた私だから教員になりたい
9年前のあの日、多くの子どもたちが教員の避難誘導で津波から逃れた一方、失われた命も少なくありません。
「なぜ、自分は助かったのか」
津波が迫るなか、教員と高台を目指した小学生は、そのことを問い続けながら、みずからも教員を志すようになりました。震災を体験した私だからこそ。
(仙台放送局記者 家喜誠也)

助かった自分 奪われた祖父

ことし2月、仙台市青葉区の宮城教育大学で開かれたゼミの報告会。教員を目指す学生たちが学校の防災対策について発表しました。
その1人、3年生の三浦美咲さん。9年前の3月11日午後2時46分、小学6年生だった三浦さんは宮城県南三陸町の学校で激しい揺れに襲われました。
三浦さん
「6時間目の授業でテストの返却をしていました。突然、大きな揺れがきて机の下に入ったのですが、机をつかんでいても浮いていると思ったくらいでした」
その後、学校を襲った津波。校舎の2階まで飲み込まれましたが、三浦さんたち児童103人は教員の避難誘導で高台に逃げ、助かりました。

一方で三浦さんは、津波で当時64歳だった祖父を亡くしました。建設業を営んでいた祖父は従業員を先に避難させていて逃げ遅れたといいます。
三浦さん
「津波へのきちんとした認識を持っていれば祖父も助かったのではないかと悔しい思いでいっぱいでした。私は助けてもらったけれど、やっぱり、自分の命は自分で守らなければいけないことを痛感しました。そのためには、小さい頃から学校などで災害への知識を身につける『防災教育』が重要だと思ったのです。祖父を亡くしたことが教員を目指すきっかけになりました」

教員に求められるものとは

災害から子どもの命を守るために教員に求められることとは。去年4月、3年生になった三浦さんは、大学が新たに設けた『311ゼミナール』に参加することにしました。このゼミは東日本大震災の教訓を生かした学校の防災対策や防災教育の在り方について主体的に学ぶのが特徴です。
三浦さんはまず、みずからの体験を検証することにしました。去年8月、ゼミの仲間とともに訪れたのは母校の小学校。当時の校長から避難の経緯を聞くことにしたのです。
あの日、最初に避難したのは標高14メートルにある学校近くの駐車場。そこで元校長の柴山洋子さんが語ったことばに三浦さんは驚きました。当時の学校の危機管理マニュアルではこの避難場所しか定めていなかったというのです。
元校長 柴山さん
「駐車場から海の様子を見たら、『これは異常だ』ということですぐ、もっと高いところに行こうと。そこで子どもたちを連れてより高い畑のほうに上がっていったのです」
三浦さんたちは畑に再避難。しかし、そこにも津波が迫ってきます。柴山さんは、偶然居合わせた住民の意見で、学校周辺で最も高い保育園に向かうことを決めます。

三たびの避難。柴山さんら教員の指示のもと、三浦さんたち児童は全員無事でした。想定外の事態に住民とも連携しながら臨機応変に対応していたことが確認できたのです。
三浦さん
「迅速な対応だったり、地域との連携だったり、私は本当に恵まれて助かったのだなと思います」

失われた命への思い

「本当に恵まれていた」
三浦さんがそう話したのは、心にずっと引っ掛かっていた学校があったからです。児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校です。子どもたちは教員の指示のもと、津波が来るまでおよそ50分間校庭にとどまり、避難が遅れました。
三浦さん
「私が助かった一方で、大川小学校では多くの子どもたちが亡くなったと聞いて、現場にいた先生たちはどんな気持ちだったのだろうと思ったのです。きっと無念だっただろうと」
亡くなった10人の教職員も子どもたちを守りたいと思っていたはず。でもなぜ、それができなかったのか。教員を目指す三浦さんだからこその思いを抱えていました。
母校での検証を終えた数日後、三浦さんの姿が大川小学校にありました。語り部活動を続ける遺族の話を聞くためです。

語ってくれたのは次女を亡くし、中学校の元教員でもある遺族の佐藤敏郎さんでした。

佐藤さんの話では、学校の危機管理マニュアルが極めてずさんだったというのです。マニュアルに津波の際の避難場所として記載されていたのは『公園や空き地』。大川小学校の近くにはいずれも存在しない場所でした。

結局、教職員は判断が遅れ、児童とともに川近くの高台に避難しようとして津波に飲み込まれたのです。事前の備えができていなかったために、教員たちは適切な行動を取ることができず、多くの命が失われたことが裁判でも裏付けられたと知りました。
三浦さん
「マニュアルの整備など子どもの命を守るための事前の準備をしっかりすること。そのうえで、現場で適切な判断をすることがどれほど大事なのかが分かりました」

導いた2つのこと

1年間の学びの成果を発表するゼミの報告会。そこで三浦さんは、みずから導き出した2つのことを発表しました。
三浦さん
「子どもを預かる教員として災害時に求められるのは『臨機応変な対応』と『事前の十分な備え』の2つだと思います。どちらか一方ではありません。この2つがあって教員としての責任が果たせるのです」
まもなく4年生になる三浦さん。ことしは教員実習も行われ、教壇に立つ日も近づいています。あの日、身近な家族、そして多くの子どもたちの命が失われた一方で、自分が助かったことの意味。そのことを問いかけながら一歩一歩、教員を目指します。
三浦さん
「私が教えることになるのは、震災を知らない子どもたちがほとんどになると思います。あの日を体験したからこそ、教えられることがある。震災の記憶や教訓を語り継いでいくとともに、自分で自分の身を守れる子どもたちを育てることを私の使命としていきたい」
仙台放送局記者
家喜誠也

平成26(2014)年入局
宇都宮放送局を経て去年8月から仙台放送局。現在は宮城県庁を担当。