「語られなかったことば」 障害者殺傷事件 最後の傍聴記

「語られなかったことば」 障害者殺傷事件 最後の傍聴記
「すみません。最後に1つだけいいですか」。死刑判決を受けた被告は証言台の前で手を上げましたが、発言は認められず、裁判は終わりました。最後に何を語ろうとしたのか。

その被告に姉を殺された男性は、2年半ほど前に1度は用意しながらも、その時は出せなかった手記を判決の日に寄せてくれました。そこに記されていたことばとは。

19人の命が奪われた障害者殺傷事件の裁判、最後の傍聴記です。(障害者殺傷事件取材班)

判決の日 手を上げた被告

この2か月、横浜地方裁判所にほど近い、横浜港の公園で何度も見られた傍聴に並ぶ人々の列。判決の日となった3月16日は1603人が傍聴しようと訪れました。

ただ、ここにも新型コロナウイルスの影響が。列に並ぶ人々がマスク姿というのはもちろん、法廷でも感染拡大防止のため席をあけて座る対応が取られました。その結果、傍聴席はこれまでの半分以下の10席に減り抽せんの倍率は160倍に上りました。
川崎市から訪れた50代の男性は、「実は自分の中にも差別的な気持ちがあるのではないかと思い、その戒めの意味も込めて傍聴に来ました。極刑はしかたないと思いますが、障害者を差別する考えがどのように生まれたのか、被告にはもう一度きちんと話してほしいです」と話していました。
裁判は予定どおり午後1時半に開廷。植松被告は黒のスーツに白いシャツを着て弁護士の隣の席に座りました。

冒頭で横浜地方裁判所の青沼潔裁判長は、結論にあたる主文を述べず、判決の理由を先に読み上げ始めました。
40分ほど読み上げが続く中で、被告には事件当時責任能力があったと認めたうえで、判決を言い渡しました。
「計画的かつ強烈な殺意に貫かれた犯行で、19人もの命を奪った結果はほかの事例と比較できないほどはなはだしく重大だ。遺族のしゅん烈な処罰感情は当然で、死刑をもって臨むほかない」
検察の求刑どおり被告に死刑を言い渡しました。
この間、じっと証言台の前に座り、裁判長のほうを見たまま動かなかった植松被告。ところが、裁判長が「閉廷します」と述べて立ち上がったとき、被告は証言台の前で席から手を上げました。
「すみません。最後に1つだけいいですか」
被告の突然の申し出に市民から選ばれた裁判員はいったん座りかけますが、裁判長に促され法廷を出ました。発言の機会を認められないまま残された被告。裁判は午後2時15分ごろ閉廷しました。

判決受けて遺族は 被害者は

判決を受け、一部の遺族や被害者などが会見や文書で気持ちを伝えました。
事件で犠牲となり法廷で「甲Eさん」と呼ばれた60歳の女性の弟は、遺族のなかで唯一被告人質問に立ち、「自分のことが好きですか」「コンプレックスが事件を起こしたのではないですか」とただしたほか、変わらぬ被告に「切ない裁判」だと語っていました。
判決のあと取材に対し、語ったことばです。
「被告には法廷で『間違えたことをした』と言ってほしかったが、最後までかたくなに考えを変えなかったので、もう何も言う気持ちはありません。事件から時間がたちだんだんと落ち着きを取り戻してきましたが、こうして話をするたびに事件の当日に戻ってしまいます。最後に見た姉の顔は忘れられません。事件は風化していくかもしれませんが、事件をきっかけに障害のある人や社会的に弱い人が安心して暮らせるようになってもらいたいです」
事件で首や腹を刺され一時、意識不明の重体となった尾野一矢さん(46)の父親の剛志さん。初公判から傍聴に通い続け、みずから被告人質問に立ち「事件を起こしていま幸せか」「意思疎通をとろうと努力したことがあったのか」などと直接ただしました。
判決のあとの記者会見では、次のように話しました。
「遺族や被害者の家族が望んでいた結果となったことについては、少しほっとしています。被告の一挙手一投足から少しでも謝罪の気持ちや反省が見えればと思ってすべての裁判を傍聴しましたが、全くそれが見られずとてもがっかりしています。彼がなぜ事件を起こしたのか、障害者を『かわいい』と言っていた青年の考えがなぜ変わったのか、理解できないまま裁判が終わってしまい、もやもやしたままです。判決はひと区切りですが、通過点にすぎません。事件を風化させず少しでも障害のある人が暮らしやすい世の中になるように取り組んでいきたいです」
事件で殺害された19歳の「美帆さん」の母親と兄の代理人を務めた滝本太郎弁護士も記者会見しました。滝本弁護士は、かつてオウム真理教から信者の脱会を支援し、みずからも信者から襲撃された経験があります。
「判決文はたった20枚しかなく、事件について『ヘイト犯罪』、『テロ犯罪』であることをはっきり書いていません。不十分で残念な“必要最小限の判決文”としか思えず不満です」
そう批判したうえで、判決を聞いた「美帆さん」の母親の様子についてこう語りました。
「きょうで終わりだとほっとしているようでしたが、今回の裁判を責任能力と量刑だけを審議する簡単なものにしてほしくない、実のある裁判にしてほしいという思いで私に依頼していたので、判決文にそれが反映されず、『裁判とは、判決とは、こんなものでしょうか』というもの足りなさを感じているようでした」
その美帆さんの母親は、判決後、手書きのコメントを寄せました。
「当然の結果だと思う。悲しみは変わらない。けれど、1つの区切りだと思う。大きな区切りであるけれど、終わりではない。19の命をむだにしないよう、これから自分のできることをしながら生きていこうと思います」

識者たちが見た裁判と判決 「社会」は「私たち」は

私たちはこの事件と裁判をどう捉え、そこから何を考えたらいいのか、識者たちのことばです。
重い知的障害のある娘と暮らし、植松被告と接見を重ね裁判も傍聴した和光大学名誉教授の最首悟さんです。
「『障害者は人ではない』という植松被告の主張に、裁判所は踏み込んで判断することを避けるしかなかったのではないか。残念ながら、現在の法制度では彼を正当に裁くことはできないのだと思います」
そのうえでこう指摘しました。
「遺族や被害者の家族の肉声を聞くことで、どれだけ人の存在が重く、かけがえのないものであるか、皆さんが触れることができたのはいいことだったと思います。植松被告は、人間の尊厳をきれいごとだと言いますが、それは本当に彼だけの考えなのか、人間の平等、人間の権利が私たちにどれだけ根づいているのか大きな問題だと感じます」
脳性まひの障害があり障害者と社会の関わりについて研究している東京大学の熊谷晋一郎准教授です。
「生きる価値のある命と価値のない命に線を引くというのが被告の犯行の動機だったことに対して怒りを覚えてきたが、死刑判決はその被告の命に線を引くもので私にとっては複雑で葛藤を伴う判決だ。自分の行為を振り返る時間が省かれ、一生をかけて罪を償うことができない死刑判決は被告にとっては想定内のことで被告の目的が達成されてしまったのではないかという印象も残る」
そのうえで社会が抱える課題を指摘しました。
「障害者のケアを家族と施設に丸投げするという社会の構造に問題がある。障害がある人が弱い立場に置かれ、その一方で家族と施設職員が重すぎる責任を負わされているのが現状だ。社会全体でその負担を分散させることが重要で、障害の有無にかかわらずお互いに支え合える社会になれるかどうか、一人一人に投げかけられているように感じる」
発生当時から障害者殺傷事件と社会のありようを見つめてきた映画監督の森達也さんです。
「19人もの人が亡くなったのに2か月という短い期間で終わってしまい、なぜこのように被告が変貌したのか掘り下げられなかった。被告が突いてきた僕らが抱える矛盾に対し、命は平等というのなら出生前診断はどうなのか、何をもって命とみなすのか、考える前に裁判が終わってしまった。死刑判決となり凶悪な人間だから生きる価値がないというのも1つの選別で、同じ構造に社会がはまってしまっていることをもっと意識するべきだ。命の格差や自分の中の差別性など矛盾や理不尽さを一人一人が考え続けることが、事件を風化させないためには大事で、それにより社会は変わるのではないか」

“語られなかった”被告のことば

ところで、「最後に1つだけいいですか」と言った被告は、何を語ろうとしていたのでしょうか。

もし多くの人が望んだ心からの謝罪のことばがあればと、念のため判決の翌日に拘置所の被告と接見して聞きました。
しかし、被告が語ったのは…
「世界平和に一歩近づけるにはマリファナが必要ですと発言しようとしていた」「謝罪は考えていなかった」
そう語ったあと控訴をしないと考える理由についてこう言いました。
「この事件って面倒くさいじゃないですか。うん、この事件は面倒くさいなとつくづく思います」

法廷で「語られたことば」 判決の日に寄せられた手記

結局、今回の裁判では、被告がどのような過程を経てあれほどまでの差別的な考えを募らせていったのか、どうして「殺害」という行為にまで至ったのか。背景に施設が抱える課題があるのか、被告の生育環境と関わるのか、それとも社会の風潮が土壌となったのか、見えないままに終わりました。

一方、法廷ではこれまで「語られなかったことば」が伝えられました。

初公判に合わせ娘の名前と写真を手記とともに明かした美帆さんの母親。みずから被告人質問に立った60歳の姉を奪われた男性。また遺族の心情陳述や、読み上げられた19人全員の遺族の調書では、知ることのなかったそれぞれの人柄や人生、そして「不幸ではなく幸せだった」「ことばはなくとも意思を伝えてくれていた」と被告への反論とも取れることばが続きました。(それぞれのことばはNHKの特設サイト「19のいのち」でご紹介しています)
こうした中、判決の日、2年半前に書かれた手記が報道各社に寄せられました。法廷で「甲Hさん」と呼ばれた65歳の姉を亡くした弟が事件から1年が過ぎたころに用意したものです。その時はすべてを伝える心情にはなれず一部を抜粋して寄せていました。今回、新たに記されていたことばです。
「姉が私にとってどんな人か、と問われれば『姉は姉でしかない』と答えます。言葉を発することはできませんでしたが、両手の指を使い、ジェスチャーや表情で意思の疎通ができました。私にとって大切な姉であり大切な家族でした」
そして、障害を理由にいじめられていた姉をめぐり、1つのエピソードがつづられていました。
「私がまだ小学生のとき、姉が何人かの子にからかわれ、いじめられているのを見つけたことがあります。私は怒って怒鳴りながら彼らに向かっていきました。そして逃げていく彼らに向かって石を拾って投げたら1人の頭に当たって怪我をさせてしまいました」
謝りにいくため、母親と一緒に怪我をさせた子の家に向かったそうです。
「母はその子のお母さんに言いました。『怪我をさせてごめんなさい。治療費は払います。だけどこの子のしたことは怒ることはできないんです』。その子のお母さんも『娘さんをからかってごめんなさい。許されることではないことをしました』と言って、怪我をした子を連れてきて頭に包帯を巻いているその子にも私たちに謝らせてくれました」
2年半の時を経て寄せられた手記。きっとまだまだ多くの語られていないことばや思いがあるのだと思います。そこに思いをめぐらせた2か月の裁判でした。

傍聴記は今回で最後になりますが、美帆さんの母親の「大きな区切りではあるけれど終わりではない」ということばを受け止め、私たちもまた事件が投げかけた問いと向き合い続けていきたいと思います。