1964年東京パラリンピック 秘蔵映像は問いかける

1964年東京パラリンピック 秘蔵映像は問いかける
青空に映える赤いジャケットで入場する車いすの選手たち。車いすスラロームにダーチャリー、今は実施されてないユニークな競技に取り組む選手たちの表情は晴れやかでした。今から56年前、1964年の東京パラリンピックを撮影したカラー映像が新たに見つかりました。東京オリンピックでは市川崑監督のカラーの公式記録映画が有名ですが、それに勝るとも劣らないパラリンピックの鮮明な映像に関係者は驚きを隠しません。2回目のパラリンピックを目前に新たに発掘された秘蔵映像は、56年の時を超えて私たちに今、何を問いかけているのでしょうか?(スポーツニュース部 島中俊輔記者)

鮮明カラーでよみがえる56年前のパラリンピック

見つかったカラー映像は26分40秒。赤や青の鮮やかなジャケットを着た世界各国の選手たちの入場行進で始まります。日の丸を先頭にそろいのえんじ色のユニフォームで入場する日本選手団の姿も映し出されています。
競技の映像は15種目。車いすバスケットボールや陸上、競泳など現在のパラリンピックの種目だけではありません。
やりを的に向かって投げ、その正確性を競う「やり正確投げ」。ダーツとアーチェリーを組み合わせた「ダーチャリー」。そして、車いすで障害物を越えていく「車いすスラローム」。

現在のパラリンピックでは実施されていない競技の貴重な映像も記録されていました。
パラリンピックの記録映像に詳しい上智大学の師岡文男名誉教授に映像を見てもらいました。師岡教授は「カラーで見ると臨場感が違う。ついにこの映像を見ることができたのは大変大きな喜びだ」と興奮した様子で話しました。

ついに見つかったカラー映像

この映像は誰がどういう経緯で撮影したものなのでしょうか。その手がかりは映像の冒頭に表示されたクレジットにありました。
箱根療養所とは当時、パラリンピックに出場した多くの選手が入所していた国立の施設です。

東京オリンピックでは市川崑監督のカラーの公式記録映画が有名ですが、パラリンピックでは作られませんでした。ただ、大会の報告書では記録映像が自主製作で6本作成され、このうち2つがカラーで記録されたと記されています。

映像のクレジットから長年、行方がわかっていなかった2つのカラー映像のうちの1つで、当時の厚生省、すなわち国が制作した限りなく公式記録に近い映像だと確認できたのです。

親子がつないだフィルム

では、なぜこれほど鮮明な映像を残すことができたのでしょうか。映像が記録されていたのは16ミリのネガフィルム。普通に保管していると劣化によって鮮明さは失われます。保管していた神奈川県厚木市の細谷公夫さん(88)の自宅を訪ねました。
細谷さんは当時、箱根療養所で手術の様子などを記録する写真技師の仕事をしていました。このため、フィルムの知識があるとして、細谷さんにフィルムが託されたということです。

細谷さんはその後、違う病院に移りましたが、その際も病院の写真室にある暗室の中で保管を続けていました。
細谷さんは仕事を受け継いだ息子の晃宏さん(60)にも「大事なものだから捨てないでほしい」と伝えていて、今回、晃宏さんがフィルムの映像を確認して発見に至りました。

光が入らず温度や湿度もしっかり管理された暗室で保管されていたこと、そして、親子2代の心のこもった引き継ぎによってこの鮮明な映像を後世に残すことができたのです。

細谷さんは介護施設にいて、詳しい話を聞くことはできませんでしたが、晃宏さんは「父は映っている中身の価値には、すごく意識があったと思う。このフィルムがなくなると過去の資料がなくなってしまうという意識が強く、今回、しっかりと世に出ることで安堵してくれていると思う」と話していました。

音声に残された障害者の実像

この映像で注目すべきポイントはもう1つあります。

「音声」です。

実は今回発見されたフィルムには音声がありませんでした。しかし、箱根療養所が所有していたフィルムの中にナレーションがついた映像が残されていることがわかり、NHKが今回の映像と合成しました。

中でも外国人選手193人の生活実態についての調査結果を伝えるナレーションに関係者の注目が集まりました。

当時の選手団長を務め、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる故・中村裕医師が外国人選手を対象に行った聞き取り調査の結果をナレーションにして伝えていたのです。
映像では、例えば選手たちの映像に乗せて障害を負った原因は交通事故や労働災害だけでなく、戦争による人も27人いたと説明しています。

病院で過ごした期間については6か月以内が22人、1年以内が41人と半数近くが1年以内に病院を離れていると紹介しています。

また、選手村で笑顔で過ごす外国人選手の映像とともに、全体の63%にあたる121人が車を持っていて、49%にあたる95人が仕事についていると紹介しています。

そして、ナレーションの最後をこう結んでいます。
「競技を通じて、あるいは日常生活を通じて外国選手と日本選手がよく比較されました。外国選手は全般に朗らかで、スポーツも楽しみながらやっているのに対し、日本選手はその逆であるということです。日本選手の大多数は病院や療養所の入院患者であり外国選手は社会人であるという環境の差があるのです」
専門家は、パラリンピックをきっかけに日本の障害者が置かれている環境を変えたいという国や関係者の強い思いが読み取れると指摘します。
師岡教授は「当時の厚生省としてはこれからの日本を海外に匹敵するだけの障害者福祉を進めなくてはいけないとアピールしたかったことが伝わってくる。パラリンピックを障害者福祉行政をもっと進めるための幅広い理解を得るきっかけ作りに使いたいということだったと思う」と話していました。

56年前のボランティア

そして、もう1つ、師岡教授が指摘したのがボランティアです。映像には選手をサポートするボランティアの姿も捉えられていたのです。選手が乗った車いすを押し、車から降ろすボランティア。
競技でもボランティアのボーイスカウトが砲丸投げの選手の車いすが動かないよう押さえています。
車いすフェンシングでは車いすを押さえる人もマスクをつけているのがわかります。当時からボランティアが障害がある選手たちを懸命に支えていたのです。

師岡教授は「当時からボランティアが本当に協力的に頑張っていた。今回は2段も3段も進化させてほしい」と話していました。

カラー映像は問いかける

あれから56年。2020年の日本は街の段差は減りホームドアが設置され、車いすが乗れるタクシーも増えました。

障害をカバーする多くの機器も開発されて雇用環境も向上し、バリアフリーは格段に広がっています。

しかし、私たちの心の中にある障害者に対するバリアーがなくなったと自信を持って言い切れる人はどれほどいるでしょうか。

そして、東京で2回目のパラリンピックを迎えるいま、私たちひとりひとりの意識を変えることはできるのでしょうか。発掘されたカラー映像は半世紀の時間を超えて問いかけています。
スポーツニュース部 記者
島中俊輔