報酬1億円から700万円 CEOの見つめる先

報酬1億円から700万円 CEOの見つめる先
アメリカのシアトルに異色の経営者がいる。決済代行のベンチャー企業を率いるダン・プライスCEOだ。300万円ほどだった社員の最低年収を、倍以上の700万円余りに引き上げ。一方で、1億円を超えていた自身の報酬を大幅にカットし、最低年収の700万円余りにそろえた。その大胆な行動の背景には、アメリカ社会を覆う格差の問題があった。(ワシントン支局記者 吉武 洋輔)

35歳のCEO

2月19日。シアトルの本社で待っていると、ダン・プライスCEOは現れた。16年前にクレジットカードなどの決済の代行を担う会社を創業し、今では従業員200人の規模にまで成長させた。長髪に、ひげという風貌。服装もラフな西海岸スタイル。その日は水曜日だったが「きのう友達とスキーに行っていたんだよ。日本にもニセコっていうすばらしいスキー場があるんだってね」と気さくに話し、雰囲気をなごませてくれた。早速、なぜ最低年収700万円余りを保証する制度を導入したのか。そのワケを尋ねた。
Q なぜこうした異例の取り組みに踏み切ったのですか?
プライスさん
あるときたまたま気付いたのですが、女性社員のひとりが、収入を得るために夜にマクドナルドで働いていたんです。彼女は一日中働いていました。会社では、顧客から相談があれば早朝や週末にも働いていました。それでも彼女はマクドナルドで働くことで生活費をまかなっていました。彼女がどれだけ一生懸命に献身的に働いているか、私はわかっていました。そのとき、生活に欠かせない家賃、医療費、教育費などのニーズを確実に満たすことができるような給与を与えることが、経営者には必要だと思ったんです。アメリカではよく満足に給与をもらえない人のことを「怠けている」とか「十分な仕事をしていない」とか言うが、私はいつもそんなことはないと思っていました。
Qみずからの報酬もカットするという大胆な行動ですが、まわりの会社などからはどんな評価を受けましたか?
プライスさん
“社会主義者”だと言われましたよ。バカだとも言われたし、失敗するとも言われました。でもそれはわかっていたことでした。最上位にいる裕福で権力のある人たちは、現状のシステムの恩恵を受けていますので、これを変えようとすると、批判も懸念も出てくるのです。アメリカは働く人の間の給料の格差が大きすぎて、持続可能な状況だと思いません。投資家に回る資金を減らして働く人のために使われるべきでしょう。

格差是正の難しさ

一般的に、人件費の上昇は利益を圧迫するため、売り上げがアップしたあとに人件費に充てるのが、経営者のセオリーだ。しかし、プライスさんは、年収を上げながら事業を拡大することに成功した。売り上げは5年前の3倍の1兆円規模まで拡大した。
社員に話を聞くとその理由が見える。「生活のことを心配せずに仕事に取り組める」「全員をやる気にさせてくれた」「彼の勇敢な決断を尊敬する」といった声。そして、働く人のための給与は優秀な人材の定着にもつながっているのだろう。しかし、プライスさんはみずからの行動に納得していなかった。
Qあなたの行動で何を証明していきたいのでしょうか。ほかの企業も同じように取り組めますか?
プライスさん
証明したかったのは、私たちの計画が競争力を保ちながら、機能するものだということでした。そして、それは証明できました。しかし、結局は失敗ですよ。なぜなら、他の企業が追随しないからです。他のCEOや裕福な人は変わらなかった。現在アメリカを脅かしている恐ろしい危機を解決する唯一の方法は、みんなで取り組むことですが、残念ながらこの5年間でそれは難しいことがわかりました。
プライスさんの感じる限界。その一方で、アメリカでは去年8月、大手企業のCEO181人が「株主最優先からの転換」という声明を発表した。そこには、勤勉に働く人が報われるよう待遇を見直していくという内容が盛り込まれている。アマゾン、ボーイング、GMなどのCEOが名を連ねていた。格差是正の声が強まる中、企業としての姿勢を示したものだが、具体的な行動がどのような形で表れてくるのだろうか。

社会主義 世代の分断

プライスさんに批判的な人たちは、彼を“社会主義者”と呼ぶ。アメリカでは、社会主義ということばをよく聞くようになった。これは若者たちが、資本主義がもたらした格差の固定化に疑問を持つようになったからだ。若者を対象にした世論調査では「社会主義に好意的」と答えた人は51%にのぼり、資本主義の45%を上回った。ソビエトや中国のイメージが強い社会主義にアレルギーを持つ親世代とは異なる感覚だ。それが世代間の分断を生んでいるとも言われる。
35歳のプライスさんも、アイダホ州の保守的な家庭で育った。最近、母親と会話したとき「もしあなたが政治家になっても、私は共和党に投票するわ」と言われたという。ただ、身を削って格差是正に取り組むプライスさんのまっすぐなことばを聞き、「資本主義か社会主義」という固定化されたイメージにとらわれず、新しい社会の形が議論されていってほしい、と感じた。
プライスさん
私たちはみんな、もう少しお金を、お金をと、求めてしまう。でも、それを見直す時が来たことを認識する必要があります。私たちは本当に大切なことに集中しなければなりません。それは、住む場所があること。安全であること。食べ物があること。健康であること。教育を受けていること。自分にとって意味のある仕事をしていること。家族のために取り組むことです。それが分かったときには、お金を求め続けることが人生をよくするわけではないことに気付くことができますよ。
ワシントン支局記者
吉武 洋輔
2004年入局
名古屋局・経済部を経て現所属