ある日突然、遺体の前に

ある日突然、遺体の前に
彼はその日、遺体と向き合っていた。
小さな女の子だった。目を背けたかった。
でもできない。体を拭いた布を洗う、それが彼の役目だからだ。

彼はその日、避難所にいた。
住民に問い詰められた。
でも言えなかった。「わからない」とは。

生と死が交錯した9年前、その記憶を撮影する。ある目的のために。
(家喜誠也)

証言1:安置所へ行ってくれ

●撮影を開始します

「多数のご遺体を見てしまうということで、精神的にまいってしまう方もいたという話を聞いて、ちょっと自分もまずいかなという思いはあった」
「ご遺体の洗浄を手伝ってくれと言われて行った。
警察が遺体を拭いて、その布を私がバケツで洗う。泥だらけの布を洗って、バケツが泥だらけになったら、外に出て水を捨てる。自衛隊の給水車だと思うんですけど、そこから水を汲んで、また持って行く、そのような作業をしていました」

永谷拓也、40歳。当時、宮城県で農地整備などの担当職員。

震災発生からおよそ2週間後、名取市の増田体育館に設置された遺体安置所に派遣された。
「最も印象に残っていたのは、自分のテーブルのところで見た小学校何年だろうな、3~4年生くらいかな。あまり大きくない女の子。こんな津波がなければ、生きていたんだろうなと思うような子が運ばれてきて。それがちょっと今でも忘れられないですね」

遺体を見るのが怖く、めがねを外して作業をした。それでも、その光景は目に焼き付いて離れなかったと語った。

証言2:身元を調べろ

●撮影を開始します

「対応が大変でした。気を遣いながらというところがありました。遺体の数がとにかく多いので、ほくろの位置とか、傷とかひげ、そばかす、いぼ、あざ、あとは頭髪が長い短いとか、特定できるように細かくできるだけ聞きました」
佐藤康幸、54歳。当時、宮城県で鳥インフルエンザなど家畜の伝染病対策の担当職員。

遺体の身元確認の手伝いをすることになった。もちろん、経験はない。遺族から特徴をできるだけ細かく聞き取り、手探りで対応した。

証言3:頭から消えない

●撮影を開始します

「やはり心身のバランスを崩してしまった。家に帰って寝るときも、いっぱい並んだ遺体が頭から消えなかったり、老人施設から来たようなおばあちゃんとか、体格の立派な男性、自分と変わらない女性、子ども。こんなふうになってしまうんだなと」
安達裕美、54歳。当時、仙台地方振興事務所・農業振興部の職員。

多くの職員が共通して語ったのが、「精神の疲れ」だった。

●2019年12月19日 撮影終了

それは「エスノグラフィー」

「エスノグラフィー」は直訳すると「民族誌」。体験したことをありのままに語ってもらい、証言を集めて記録する。
なぜ、エスノグラフィーなのか。

理由は震災だ。あの日から9年となる宮城県、いまや「震災の仕事を知らない職員」が3分の1を占める。

しかし災害は必ずやってくる。ある日突然、遺体と向き合うことになるかもしれない。だが宮城県の対応マニュアルには、県職員が遺体をどう扱うかなどの記述は存在しなかった。誰もが手探りで向き合った、凄絶な経験をなんとか伝えなければならない。

そのためにいま、行われているのが「災害エスノグラフィー」なのだ。

証言4及び5:「わからないと言えない」

●撮影を開始します

「避難所自体がどういうものか。実際に行く前まで全く見当もつかない、想像もつかない、そういった世界でした」
鈴木慶彦、37歳。当時、北部地方振興事務所・林業振興部の職員。

避難所の担当となった。

「住民の方は“役所の人が動いている”というだけでも気持ちが違ってきます。何かあれば話が必ず来るのでそのときに“分からない”“知りません”“できません”とかは言ってはいけない」
伊丹相治、60歳。当時、東部地方振興事務所の地方振興部長。

避難所で気付いたのは、被災者からは無条件に頼りにされる存在だということだった。

●2020年1月23日 撮影終了

なぜ文字のマニュアルではダメなのか

撮影は去年8月から開始。複数の職員から2時間ほどかけて撮影する。
これまでに200人以上。来年までに1200人の収録を予定。テーマは「遺体安置所での対応」「救援物資の調達」「仮設住宅の整備」など80項目に上る。
なぜ、文字のマニュアルにまとめないのか。

いや、県の災害対応の記録やマニュアルはある。常に刷新され続けている。
だが実際の現場では、マニュアル通りに事が進まない。マニュアルには記載されていない現場の生の証言を集め、判断に至った経緯やその時の感情なども記録として残すことで、より効果的に当時の状況を伝えたいという狙いがある。

「言葉に詰まる、涙を流す、一方では思い出したくない、語りたくないという表現をする人もいる。感情の表現を、映像や言葉で残すことによって、リアリティーをもって、当時の様子が伝わるのではないか」
後藤康宏、60歳。宮城県の震災復興・企画部長。

エスノグラフィーを担当する部のトップだ。彼自身は当時、県庁で現場から戻った部下の報告を聞く立場だったが、そうした立場である自らの証言さえも収録した。

マニュアルを超えた対応

小野里啓、47歳。台風19号の被害を受け、仮設住宅の建設を指揮した。
だが震災の際には別の部署にいたため、仮設住宅の建設は初めてだった。もちろん正規のマニュアルは読んだ。ただ、それだけでは足りないと思い、台風対応まっただ中の去年11月末、エスノグラフィーを傍聴した。

「お風呂の追い炊き機能がない」
「仮設住宅の床に隙間があり虫が中に入ってくる」
「寒さがひどい」

建設後に入居者からの細かい要望や苦情が相次いでいたことを知った。マニュアルには書いていない。

さっそく現場の担当者に、被災者からより丁寧に話を聞き取るよう指示した。
あらかじめアンケートをとり、寒さ対策や、スロープを設けるバリアフリー対策など、必要な工事をあらかじめ施した。これまでに入居者から不満の声は上がっていないという。
「エスノグラフィー調査で、その時にそんなことがあったんだとか、そんなところが苦労したという意外と知らない細かなところが分かった点もありました」

オープンソースに

「宮城県で起こったこと、そして職員の経験は、全国どこでも起こりうることで、非常に役に立つ情報だと思う。これを宮城県だけの宝にするのではなく、全国の宝、または全世界の宝として発信して、活用してもらうことが重要だ」
村井嘉浩、59歳。震災を経験した宮城県知事。

エスノグラフィーは、阪神・淡路大震災の対応などを検証するために研究者が初めて取り入れ、その後、手法が確立された。ただ、証言の内容があまりに赤裸々なため、すぐに公開されることは珍しい。

しかし宮城県は、再来年度の後半をメドに証言を冊子にまとめるほか、調査を受けた職員の同意を得て、聞き取りの様子をホームページで公開することも視野に入れている。

「職員が経験したこと、感じたことはそれぞれ違うし、それを参考にすることは非常に有益だと思う」

「想定外」に立ち向かうために…

近年、大災害のたびに語られる「想定外」。

多くの自治体の職員たちがそれに向き合い、決してマニュアルには記されていない対応を迫られている。そこには後悔や反省といった苦渋の思いもあるが、教訓や気づきもある。それらはみな、次に、そして救いにつながる。
エスノグラフィーで得られたものは、いわば「公共の財産」だろう。それが災害のたびに蓄積され、共有されていけば、「想定外」や「未曽有」に少しでも立ち向かえる力になるかも知れない。

被災地に勤務する記者として、そうした「公共財」を少しでも集める取材を続けたいと思う。そして私自身の経験もいつか、「公共財」になるかもしれない。なってほしい、と願う。
(文中敬称略)
仙台局記者
家喜 誠也
2014年入局。宇都宮放送局を経て去年8月から仙台放送局。現在、宮城県政を担当。