ふるさとを撮る しまい込んでいた気持ち

ふるさとを撮る しまい込んでいた気持ち
もう、9年です。あれからさまざまなことがありました。時とともに前に進んだこともありますが、まだまだだなと思うことも…。東北の被災地で、日常の写真を撮り続けている女性たちがいます。震災の記憶を残して伝えたいから、というだけではありません。撮ることが、被災した自分の今の心を見つめることにもなるからです。(ネットワーク報道部記者 井手上洋子)

撮って、伝える

宮城県石巻市の高橋泰子さんです。震災の時は、石巻赤十字病院で看護師をしていました。津波で家は全壊し、仕事のない日に身の回りを整えるのがやっとで、心が休まる日はなかったといいます。

ことし2月、高橋さんは東京で学生たちに当時の体験を語りました。野戦病院のような現場で、小さなおにぎりを分け合って食べた記憶。先の見えないつらさがあるものの「不安だ」と口に出すことすらできなかった、胸がえぐられるような感覚。

被災体験とともに日頃の備えの大切さを訴えた高橋さんは、みずから撮った写真の1枚を紹介しました。2013年、10月の写真です。
写真のメッセージ
「石巻を象徴する日本製紙の煙突から出る煙
震災で工場が被災し、稼働が停止してしまいました。
石巻にとってなくてはならない存在なんです。
たくさんの人が悲しみ、心配した。
工場再開!煙突からあがる煙に息づく石巻が見えました。
でも、震災のつめ跡はまだ残っています。」
高橋さん
「復興のわずかな光が差したような気がしてうれしかった。ただ、その工場の周辺はがれきなどがあって、震災のつめあとがまだまだ残っていたので、複雑な思いだったことを覚えています」

フォトボイス

高橋さんは、被災者が写真を撮影し、メッセージ(声)とともに発信する「フォトボイス」という活動をしているグループの1人です。

グループには、岩手・宮城・福島で被災した女性たち、およそ40人が参加。福島から東京などに自主避難した人たちもいます。メンバーがこれまでに撮った写真は400点以上。
写真集の刊行や、国内外での展示会の開催のほか、震災当時の体験や防災を伝えるワークショップなどの活動を行っています。

そのときの気持ちを語り合う

「フォトボイス」の活動で欠かせないのが、写真を撮ったときの気持ちを互いに語り合うことです。グループのメンバーは定期的に集まり、一人一人の写真をスクリーンに映しながら、時間をかけて、撮影したきっかけや当時の気持ちなどについて話しています。

グループの活動を支えているNPO法人「フォトボイス・プロジェクト」の共同代表・湯前知子さんは、この語り合いの大切さを強調しています。
湯前さん
「震災によって多くの命や大切な場所や思い出が奪われました。今も悲しみや無力感、痛みを抱えながら暮らしている人たちもいます。震災から時間がたつにつれて、気付かないうちに、そうした気持ちにふたをしてしまった自分の感情に活動を通じて向き合うことで少しは軽くなる方もいます。グループで本音を語り合うことが心理的な回復につながっているようです」

自分の気持ちが見えてきた

福島市のみゆさんは、撮った写真についてグループのメンバーと語ることで「ふたをしていた」自分の気持ちに気付いてきたといいます。

震災と原発事故の当時、2人の娘は小学校5年生と生後11か月。放射性物質の影響が心配でしたが、仕事がある夫を残して家族が離れ離れになるのは避けたいと、生まれ育った福島に家族で残りました。

その後、子どもたちは元気に育っています。次第に平穏を取り戻しつつあるようにも見える生活を、家族とともに過ごしていました。そんな中、みゆさんが2018年4月に撮影した写真です。
写真のメッセージ
「例年より人出が少なかった花見の名所、
花見山。
福島を忘れられたのかと思い、
ふと寂しくなった。
いつもより早く春が来たせいなのだったら
いいけれど…」
震災から何年もたっていても、まだ人々は福島を遠ざけているのではないか。原発事故の影響を「いつまでも気にしていられない」という風潮もある中で、心の奥で不安をくすぶらせていた、自分の気持ちがありました。
みゆさん
「みんな同じ状況だし、もっとつらい状況の人もいるかもしれない。だから自分だけで思っていればいいのかなって心の奥にしまっていました。地元の友達や子どもの前では気にしていられない。けれど、グループのみんなと話す場があると、落ち着いて自分の気持ちを思い返したり『泣いていいんだよ』って言われたりするので自分を解放しているのかなって」
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から9年。2月下旬、今撮りたいと思う場所を尋ねると、みゆさんが向かったのは福島市の中心部にあり、人々から親しまれている山、信夫山から見える風景でした。
みゆさん
「震災前に子どもを連れて遊んでいた思い出の場所です。その場所にも今も線量計や除染で出た廃棄物の仮置き場があって、震災があった現実を目の当たりにします。これはいつまで続くのだろうかと思い続けてしまう。この9年は自分のなかではあっという間でしたが、必死でした。今後、福島がどう変化していくのかを撮影していきたい」

何気ない日常の写真には

グループの数多くある写真の中で、記者の目にとまったのは、ふるさとの風景や自宅の庭に咲く花など、身近なものを写したものでした。
そうしたものを撮るのは、震災によってさまざまな「日常」が突然変わってしまったことへの、悲しみや喪失感もあったのではないかと感じました。

今回話をしてくれた人たちは、つらい被災体験について語りつつも「でも、自分よりもっと大変な思いをしている人たちがいる」と話していました。必死に前を向こうとしている被災地の人たちの思いを、これからも取材していきたいと思っています。